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洗脳手伝ううち自分自身も洗脳 東京大学名誉教授・平川祐弘氏
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東京大学名誉教授 平川祐弘氏 |
平川 祐弘(旧字体: 平川 祐弘、ひらかわ すけひろ、1931年〈昭和6年〉7月11日 - )は、日本の比較文学研究者、評論家。東京大学名誉教授、国家基本問題研究所理事。
洗脳手伝ううち自分自身も洗脳 東京大学名誉教授・平川祐弘
渡辺京二氏が熊本で歳末に亡くなった。『逝きし世の面影』(平成十年、葦書房)という情緒豊かな標題の書物で、日本が西洋化することで失った明治末年以前の文明の姿を追い求めた。この代表作が十七年に平凡社ライブラリーとして再刊され、解説を書いた。
「西洋人という鏡に映った旧日本の姿に新鮮な驚きを感じた渡辺氏の、イデオロギーや先入主にとらわれない、率直な反応が、美しい日本語に表現されていて、本書を価値あるものとした。共感は批評におとらず理解の良き方法である」
明治は「美化された幻影」か
九州で予備校講師を務めた著者は、学問の本道を進んだ人ではない。だが歩き方には力があった。滅んだ古い日本の姿をしのぶには、異邦人の証言に頼らねばならないとし、私たちは自覚しないが、西洋人がひとしく注目した明治初年の生活の特徴を、「陽気な人びと」「簡素とゆたかさ」「親和と礼節」等に分類、詳述した。
「外国人が見た日本」という視角について渡辺氏は指摘する。「日本の知識人には、この種の欧米人の見聞記を美化された幻影として退けたいという、強い衝動に動かされてきた歴史があって、こういう日本人自身の中から生ずる否認の是非を吟味することなしには、私たちは一歩も先に進めない」
なぜインテリは逝きし明治の面影を「美化された幻影」として退けるのか。それは敗戦後、占領軍の管理下で日本批判が繰り返され、知識層は日本が好(い)い国のはずはない、と自虐的に思いこんだからである。一例が中野好夫氏で、戦争中の愛国者は、一転、戦後民主主義の旗振りとなった。前非を悔いた東大英文科の有名教授は、以前は愛した小泉八雲ことラフカディオ・ハーンを戦後は全面的に否定し、ハーンがたたえた神道の国日本をぼろくそに難じた。
米英側では日本に帰化したハーンを敵国を美化した日本政府御用の裏切り者と非難した。『ケンブリッジ英文学史』はハーンは「全く無価値」と切って捨てた。そんな様だから、戦後の東大英文科出身者でハーンをまともに扱った人はいない。
トウダイモトクラシ
外国文学専攻の秀才は、本国の作家評価に敏感に反応する。戦前に英文科主任だった市河三喜氏が東大に集めたハーン関係資料は、篤志家の関田かをる氏が私費で出版助成するまで、誰も利用しなかった。トウダイモトクラシとはこのことだ。
劇作家でシェークスピアの翻訳者の木下順二氏も、中野氏に似た。木下氏の父はハーンから直接教わったが、木下氏本人は熊本中学五年生で百枚の小泉八雲論を校友会雑誌に寄稿した。中学で木下氏に英語を教えた丸山学氏は後に熊本商大教授でハーン研究の開拓者となるが、熊本の五高生だった木下氏は丸山氏の紹介で「八雲先生と五高」という記事を『九州新聞』に寄稿した(昭和十年四月『五高同窓会会報』に転載)。
この秀才は同十一年、東大英文科に進学、中野氏に師事し、昭和十年代を通じ、中野氏とハーンや演劇を論じ合い中野氏の勧めで『夕鶴』を書いた。民話に想を得るあたりハーンの刺激にちがいない。
ハーンの民俗学に着目した丸山氏の『小泉八雲新考』が平成八年に講談社学術文庫として再刊され、監修の木下氏にお会いしたが、かつて傾倒したハーンにすこぶる冷淡で「日本人が小泉八雲を好きなのは自己愛のあらわれ」と敗戦直後の中野氏と同じだった。
中野氏は敗戦直後に発した悪口を改め、筑摩書房の明治文学全集に小泉八雲の解題を書いたのに、と私は思った。来日外国人の日本観を「美化された幻影として退ける」と渡辺氏が言ったのは、木下氏も念頭にあってのことだろう。
占領下の検閲で歪んだ日本観
だが占領下の報道制限と検閲で一番被害を蒙(こうむ)ったのは、ハーンよりもハーンが良しとした神道だ。日本の宗教文化についての発言は厳しくコントロールされ、米軍が「神社神道」を改名した「国家神道」なるものに対し知識人は悪口を言うべきもの、という社会通念が固着した。戦後の閉ざされた言語空間で培養された蛸壺(たこつぼ)史観の持ち主の一人は、昨年も『文藝春秋』で神道について歪(ゆが)んだ見方を述べた。占領軍の検閲・宣伝工作の後遺症は恐ろしい。
それだけに令和三年に刊行された山本武利著『検閲官 発見されたGHQ名簿』(新潮新書)には愕然(がくぜん)とした。なんと占領下、中野氏の紹介で木下氏が検閲官として連合国軍総司令部に勤務したことが詳述されていたからである。
山本氏の調査は仮借ない。読んで陰鬱(いんうつ)になった。日本の多くの英才は「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」という憲法に違反する仕事をしながら、検閲する自分を正当化した。
彼らは日本独立後も、戦後の閉ざされた言語空間の枠を維持し続けた。同胞の洗脳を手伝ううちに、自分自身が洗脳されてしまった人たちだったのである。(ひらかわ すけひろ)
日本が西洋化することで失った明治末年以前の文明の姿はどんなだったのだろうか?
非常に興味がありますね。