アメイジング・グレイス(Amazing Grace)
昨日、ずっとこの「アメイジング・グレイス」の歌が頭に浮かんできて、今日パソコンデータを調べたら、2019年1月にこの「アメイジング・グレイス」の内容を調べており、記録を残していました。
私はキリスト教徒ではないのですが、
この「アメイジング・グレイス」の歌はとっても好きです。
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| アメイジング・グレイス 映画ポスター |
アメイジング・グレイス(Amazing Grace)
昨日、ずっとこの「アメイジング・グレイス」の歌が頭に浮かんできて、今日パソコンデータを調べたら、2019年1月にこの「アメイジング・グレイス」の内容を調べており、記録を残していました。
私はキリスト教徒ではないのですが、
この「アメイジング・グレイス」の歌はとっても好きです。
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| アメイジング・グレイス 映画ポスター |
読んでいる途中で止まってしまい、要約まとめが厳しくなっていた、
知られざる岩倉使節団「堂々たる日本人」泉三郎著
を、Gemini要約しました。
非常に勉強になった本でした。
この明治初期の「岩倉使節団」なくして、開国後の「明治という国家」はでき得なかったと思います。
又、欧米列強による植民地化を免れたのも、この「岩倉使節団」の功績だと思われます。
肝は、『教育、法律、産業構造、そして「個人の独立心」といった目に見えない仕組み(ソフトウェア)こそが近代化の鍵である』と気づいたことですね。
教育、軍事、産業、議会など、近代国家の「設計図」を自分たちの目で直接確認したことは、その後の明治政府において、その成果は計り知れないものになったと感じました。
又「推薦の辞」の石原慎太郎氏は、この本は、『現代日本人が失ってしまった「気概」への警鐘』と言ったようですが、まさにその通りです。
今の政治家に聞かせたい事項ばかりですが、残念ながら今の政治家には無理ですね。
これから、各章の詳細を、自分なりに再考察していきたいと思います。
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| 「堂々たる日本人」泉三郎著 |
知られざる岩倉使節団
「堂々たる日本人」泉三郎著
■全体要約
泉三郎氏の著書『知られざる岩倉使節団』は、明治初期に欧米へ派遣された岩倉使節団の実像を、丹念な史料裏付けとともに描き出した名著です。その中でも「堂々たる日本人」という評価は、現代の私たちが抱きがちな「未熟な後進国の使節」というイメージを覆す重要な視点です。
以下に、そのエッセンスを要約して解説します。
1.
卑屈さのない「対等」な精神
著者の泉氏が強調するのは、当時の団員たちが、圧倒的な西洋文明を前にしても決して卑屈にならなかった点です。
2.
鋭い洞察力と「文明」の再定義
彼らは単に見学をしていたわけではなく、西洋文明の「本質」を見極めようとしていました。
3.
国土と伝統への誇り
「堂々たる」という言葉の裏には、自国への深い愛情がありました。
要約のポイント:なぜ「堂々」としていたのか
泉三郎氏はこの本を通じて、岩倉使節団が成功した理由は、彼らが**「自分たちは歴史ある独立国の代表である」という強い自覚**を持っていたからだと結論づけています。
結論的視点 岩倉使節団は、単なる「見学旅行」ではありませんでした。彼らは、日本の命運を背負い、西洋という巨大な鏡に自分たちを照らし合わせることで、日本人のアイデンティティを確立しようとしたのです。その凛とした姿勢こそが、著者のいう「堂々たる日本人」の姿です。
■「推薦の辞・石原慎太郎」
泉三郎氏の著書『知られざる岩倉使節団』に寄せられた石原慎太郎氏の「推薦の辞」は、単なる本の紹介にとどまらず、現代日本人が失ってしまった「気概」への警鐘と、岩倉使節団が示した**「日本人の真の姿」への感銘**が綴られています。
主な要約ポイントは以下の通りです。
1.
現代日本人への痛烈な批判
石原氏は、戦後の日本人が「経済的な豊かさ」と引き換えに、国家としての主体性や個人の誇りを失い、他国(特に米国)の顔色を伺うような「卑屈な国民」に成り下がってしまったと批判しています。その対比として、明治初期の先人たちの姿を提示しています。
2.
「対等」を貫いた先人への敬意
岩倉具視、木戸孝允、大久保利通といった団員たちが、圧倒的な国力差があった当時の欧米諸国を前にしても、決して臆することなく**「文明の精髄を盗み取ってやろう」という貪欲かつ堂々とした態度**で臨んだことに、石原氏は深い感銘を寄せています。
3.
日本人の「ポテンシャル」の再発見
石原氏は、この本が描く使節団の記録を通じて、日本人が本来持っていた**「鋭敏な観察眼」と「独自の美意識」**を再確認すべきだと説いています。
4.
本書の意義:歴史の鏡
この推薦の辞の締めくくりとして、本書を単なる歴史書として読むのではなく、「自分たちは一体何者なのか」を問い直すための鏡として読むべきだと推奨しています。
石原慎太郎氏らしい視点
石原氏は特に、使節団が発信した「凛とした美しさ」にこだわっています。武士としての立ち振る舞いが、西洋社会でいかに「敬意」を勝ち取ったかというエピソードを、現代の外交や国民性の希薄さと対比させて強調しているのが特徴です。
キーワード: 「矜持(きょうじ)」 石原氏がこの推薦の辞で最も伝えたかったのは、技術や金ではなく、人間としての、あるいは日本人としての「誇り(矜持)」を持って世界と対峙することの大切さだと言えます。
■「まえがき」
『知られざる岩倉使節団』の「まえがき」において、著者の泉三郎氏は、執筆の動機と本書で最も伝えたい核心部分を提示しています。
その内容は、単なる歴史の解説ではなく、**「現代日本人が忘れてしまった、かつての日本人の凄み」**を再発見しようとする強いメッセージに満ちています。
1.
執筆の動機:放置された膨大な「宝の山」
泉氏は、岩倉使節団の記録である『米欧回覧実記』が、あまりにも膨大で難解なために、現代の日本人にほとんど読まれていない現状を嘆いています。
2.
使節団が抱えていた「二重の衝撃」
当時の日本人が直面していた、極限の緊張感についても触れています。
3.
「野蛮」と「文明」の逆転
「まえがき」で最も印象的なのは、団員たちが西洋を単に「進んでいる」と手放しで称賛したわけではないという点です。
4.
現代へのメッセージ
泉氏は「まえがき」の締めくくりとして、本書が現代の閉塞感を打ち破るためのヒントであることを示唆しています。
まえがきのエッセンス
一言でまとめれば、**「明治の先人たちが、世界をどう『自分の目』で見て、どう『日本の未来』を描いたのか。その知的冒険の全貌を明かす」**という宣言です。
当時の団員たちが、1年10ヶ月という長い旅の中で、具体的にどの国でどのような「カルチャーショック」を受けたのか、さらに掘り下げて詳しく知りたい国などはありますか?
■「プロローグ・なぜ、今岩倉視察団なのか」
『知られざる岩倉使節団』のプロローグ「なぜ、今岩倉使節団なのか」で、泉三郎氏は本書を執筆した現代的な意義を鋭く提示しています。
そこには、単なる歴史的興味を超えた、**「日本人としてのアイデンティティの再構築」**というテーマが込められています。
1.
現代の閉塞感に対する処方箋
泉氏は、現代の日本が直面している「自信の喪失」や「進むべき方向の不透明さ」を重く見ています。
2.
「未開の東洋人」という誤解を解く
欧米諸国において、当時の日本人が「突然変異的に文明化した」と思われがちな風潮に異を唱えています。
3.
「情報の海」を泳ぐための観察眼
現代は情報が溢れていますが、使節団の時代は文字通り「百聞は一見に如かず」の命がけの視察でした。
4.
歴史の連続性の回復
泉氏は、明治維新を「過去との断絶」ではなく、日本人が本来持っていた美徳が西洋文明と出会って爆発的に開花したプロセスとして捉え直しています。
プロローグの核心
泉氏の問いかけは、**「彼らにできて、今の我々にできないはずがない」**という強い鼓舞です。使節団が欧米で見せた「驚異の吸収力」と「揺るぎない自己」のバランスを学ぶことこそ、グローバル社会を生きる現代人にとっての必須科目であると主張しています。
使節団が具体的にどのような「日本独自の価値観」を持って西洋を批判的に見ていたのか、その鋭いエピソードについてさらに詳しく知りたいと思われますか?
■「第一章 史上空前の大視察団」
・・誰が何のために、この壮挙を企てたのか
泉三郎氏の著書『知られざる岩倉使節団』第一章は、この壮大なプロジェクトの「起源」と「特異性」を解き明かす極めて重要なセクションです。
以下にその要約をまとめました。
1.
誰が企てたのか:主要な推進者
この計画は、単独のアイデアというより、新政府内の「危機感」と「野心」が合流して生まれました。
2.
何のために:三つの大きな目的
泉氏は、この旅が単なる外交交渉ではなかったことを強調しています。
3.
「史上空前」と言われる所以(ゆえん)
なぜこの視察団が「空前」なのか、その特異性が詳しく記されています。
第一章の核心:危機感が生んだ「壮挙」
泉氏はここで、当時の指導者たちが抱いていた**「このままでは日本は飲み込まれる」という凄まじい危機感**が、この無謀とも思える大規模な旅を突き動かしたと指摘しています。
重要ポイント 彼らは「ただ学びに行った」のではなく、**「日本の独立を守るために、西洋の力を解明しに行った」**のです。この主体的で攻めの姿勢こそが、後の日本の急速な発展の礎となったと結論づけられています。
■「第二章 世界一周の文明視察、六百三十二日」
・・彼らはどこを歩き、何を見たか
泉三郎氏の著書『知られざる岩倉使節団』第二章は、1年10ヶ月(632日)に及ぶ壮大な旅の軌跡を、単なる行程表ではなく「日本人が受けた衝撃と成長」の記録として描いています。
以下にその主要な要約をまとめます。
1.
アメリカ:物質文明の圧倒的パワー(1872年1月〜)
最初の訪問地アメリカで、彼らは「近代」の洗礼を浴びました。
2.
イギリス:世界の工場と「実力」の正体(1872年8月〜)
当時、世界最強の覇権国家だったイギリスでの体験が、使節団に最も深い影響を与えました。
3.
ヨーロッパ大陸:多様な統治モデルの模索(1872年12月〜)
フランス、ベルギー、オランダ、プロイセン(ドイツ)などを巡りました。
4.
帰路:アジアの悲劇と「自立」への確信(1873年6月〜)
スエズ運河を通り、インド、サイゴン、香港、上海を経由して帰国しました。
第二章のポイント:観察の「質」
泉氏は、彼らがただ景色を楽しんだのではなく、常に**「これは日本に応用できるか?」**という物差しを当て続けていたことを強調しています。
帰国後の彼らを待っていたのは、留守政府との激しい対立(征韓論論争)でした。この視察団が持ち帰った「世界観」が、どのように日本の未来を決定づけたのか?
■「第三章「この国のかたち」を探り求めて」
・・彼らは、何をどう観察し、どう考えたか
泉三郎氏の著書『知られざる岩倉使節団』第三章は、本書の最も核心的な部分といえます。ここでは、使節団が単なる見学者ではなく、**「国家の設計者」**として、西洋文明の深層をどのように解剖したかが描かれています。
以下にその要約をまとめます。
1.
「富の源泉」の発見:産業と資本主義
彼らは西洋の豊かさが、単なる「贅沢」ではなく、システマチックな「生産」に基づいていることを見抜きました。
2.
「文明」を支える精神:教育と宗教
形に見える機械よりも、それを作る「人間」の教育にこそ本質があると考えました。
3.
「国のかたち」としての政治制度
各国の統治スタイルを比較し、日本に最適なモデルを探りました。
4.
「民」の活力:自立自尊の精神
団員たちが最も驚いたのは、西洋の一般市民が持つ**「独立心」**でした。
第三章の結論:日本独自の近代化へ
泉氏は、彼らの観察が**「全盤的な西洋化」ではなく「主体的選別」**であったことを強調しています。
「米欧回覧実記」に見る洞察 記録係の久米邦武は、西洋文明を「数千年の歴史の積み重ねの結果」であると冷静に分析しました。だからこそ、日本も焦らずに「自国の歴史と伝統に根ざした近代化」を進めるべきだという、地に足のついた結論を導き出したのです。
彼らがこの章で得た結論こそが、後の「大日本帝国憲法」の制定や「殖産興業」の指針となりました。この視察の結果、具体的に日本国内でどのような改革が真っ先に始まったか?
■「第四章 ああ、堂々たる日本人」
・・彼らは外国人の目にどのように映ったか
泉三郎氏の著書『知られざる岩倉使節団』第四章は、本書のタイトルにも通ずる、非常にドラマチックなセクションです。ここでは、当時の欧米人が「未知の国・日本」からやってきた使節団をどのように評価したのか、現地の新聞記事や要人の日記などの客観的な記録から解き明かしています。
以下にその主要なエッセンスを要約します。
1.
予期せぬ「文明人」の登場
当時の欧米諸国は、日本を「中国の属国」か、あるいは「野蛮な未開国」程度にしか考えていませんでした。しかし、上陸した一行を見て、彼らは大きな衝撃を受けます。
2.
驚異の「観察眼」と「勤勉さ」
欧米人が最も驚愕したのは、使節団の飽くなき知的好奇心でした。
3.
「武士の品格」の力
団員の多くが元武士であったことが、彼らの立ち振る舞いに独特の輝きを与えていました。
4.
歴史的な評価の逆転
泉氏は、この章を通じて**「日本は、最初から堂々としていたのだ」**という事実を突きつけます。
第四章の結論:鏡に映った「真の日本人」
欧米人という「鏡」に映し出されたのは、決して遅れたアジア人ではなく、**「高い知性と高潔な精神を兼ね備え、新しい時代を切り拓こうとする意志に満ちたリーダーたち」**の姿でした。
著者のメッセージ 泉氏はこの章で、現代の日本人が「自分たちは劣っている」と卑下しがちな現状に対し、150年前の先人たちがこれほどまでに世界から高く評価されていた事実を知ることで、真の自信を取り戻すべきだと訴えています。
使節団が各地で受けた「熱狂的な歓迎」の裏側で、彼らが密かに抱いていた「焦燥感」や「使命感」についても、さらに触れてみたいと思われますか?
■「第五章 使節団の留守中に何が起こっていたか」
・・若手官僚の大活躍と、征韓論の沸騰
泉三郎氏の著書『知られざる岩倉使節団』第五章では、使節団が海外を巡っている間に、日本国内で起きていた**「もう一つの明治維新」**とも言うべき激動が描かれています。
留守を預かった者たちの功績と、帰国した首脳陣との致命的な亀裂がこの章のテーマです。
1.
「留守政府」による怒涛の改革
岩倉や大久保らトップが不在の間、西郷隆盛や板垣退助、そして江藤新平ら「留守政府」は、驚くべきスピードで近代化を推し進めました。
2.
「征韓論」の沸騰:避けられない対立
改革が急進的に進む一方で、士族(元武士)の不満や外交問題が噴出します。その象徴が「征韓論」でした。
3.
帰国後の激突:世界を見た者 vs 国を守った者
1873年(明治6年)、使節団が帰国したことで、両者の決定的な価値観の差が表面化します。
第五章の核心:二つの「正義」の衝突
泉氏はこの章を通じて、留守政府の「実行力」と使節団の「国際的視野」のどちらが正しかったかという二元論ではなく、この激しい衝突こそが、日本が「内向的な国家」に陥るのを防いだと分析しています。
要約のポイント 留守政府が作り上げた「近代国家の枠組み」と、使節団が持ち帰った「冷徹な国際感覚」。この二つがぶつかり合い、最終的に「内政の充実」が選ばれたことで、日本は植民地化を免れるための最短ルートを歩み始めることになったのです。
この「明治六年政変」による政府の分裂が、その後の日本の軍事や外交にどのような影を落としたのか?
■「第六章 明治日本の針路、ここに定まれり」
・・使節団は「明治という国家」に何をもたらしたか
泉三郎氏の著書『知られざる岩倉使節団』の最終章である第六章は、この壮大な旅の「総決算」にあたります。使節団が持ち帰った知見が、具体的にどのようにして日本の国家運営の指針(グランドデザイン)となったのかを解説しています。
以下にその主要なエッセンスを要約します。
1.
「内治優先」への歴史的転換
帰国後の最大の成果は、日本の進むべき優先順位を**「外交・軍事(外)」ではなく「内政・教育・産業(内)」**に確定させたことです。
2.
「漸進主義(ぜんしんしゅぎ)」の採用
久米邦武が『米欧回覧実記』で綴った「西洋文明も数千年の蓄積の結果である」という洞察が、日本の近代化スピードに影響を与えました。
3.
国家の中枢を担う「人材のネットワーク」
この旅で最も大きな「遺産」は、1年10ヶ月を共にした団員たちの間に生まれた強固な信頼関係と共通言語です。
4.
「一等国」への明確なビジョン
使節団は、日本が将来的に「一等国」として認められるための絶対条件を明確に持ち帰りました。
第六章の結論:現代に続く「日本の原型」
泉三郎氏はこの終章で、**「現代日本の骨格は、この1年10ヶ月の旅の中で設計された」**と断言しています。
総括的メッセージ 岩倉使節団がもたらしたのは、単なる知識や技術ではありません。それは、世界の中での日本の位置を客観的に把握し、「誇りを持って、しかし謙虚に学ぶ」という、しなやかで強靭な精神の在り方でした。その「針路」があったからこそ、日本はアジアで唯一、植民地化を免れ、急速な近代化を成し遂げることができたのです。
本書全体を通じて、使節団のリーダーたちが抱いた「使命感」の重さが伝わってきます。この視察の成果が、その後の「日露戦争」や「大国への歩み」にどう影響したか?
■「第七章 何が彼らを颯爽とさせたのか」
・・いままた問われるべき「リーダーの条件」
泉三郎氏の著書『知られざる岩倉使節団』の最終章である第七章は、歴史の記録を現代への教訓へと昇華させる、本書の最も情熱的な総括部分です。
著者は、当時の団員たちが放っていた「颯爽(さっそう)」とした輝きの正体を探り、それを現代のリーダーシップへの提言としてまとめています。
1.
圧倒的な「公(おおやけ)」の精神
泉氏が真っ先に挙げるのは、彼らの徹底した自己犠牲と国家への献身です。
2.
豊かな「教養」と「志」の高さ
彼らを颯爽とさせていたのは、付け焼き刃の知識ではなく、深く根ざした人間力でした。
3.
「当事者意識」の極致
使節団のメンバーは、誰一人として「他人事」で視察をしていませんでした。
4.
現代への警鐘:いま、何が必要か
泉氏は、現代のリーダーや日本人全体に対し、厳しい問いを投げかけます。
第七章の結論:時代を創る者の「風格」
泉氏はこの章を、**「使節団の面々が颯爽としていたのは、彼らが『日本の未来』という大きな物語を生きていたからだ」**という言葉で締めくくっています。
リーダーの条件(泉三郎氏の視点)
1. 志(ビジョン): 私心を超えた大きな目的を持っているか。
2. 眼力(洞察力): 本質を見抜き、何が必要かを選別できるか。
3. 覚悟(勇気): 批判や失敗を恐れず、自ら先頭に立てるか。
この章を読むと、150年前の先人たちが、単に「昔の人」ではなく、今の私たちを導く「現役の教師」のように感じられます。
■「エピローグ 岩倉使節団から学ぶべきもの」
『知られざる岩倉使節団』の「エピローグ 岩倉使節団から学ぶべきもの」は、著者の泉三郎氏が全編を通じて描いてきた歴史的ドラマを、**「現代に生きる私たちの指針」**へと昇華させた感動的な結びです。
以下にその要約をまとめます。
1.
自分の目と頭で「世界」を判断する力
現代はインターネットで瞬時に情報が手に入りますが、泉氏はそれゆえの危うさを指摘します。
2.
日本の「底力」への再認識
使節団が成功したのは、彼らが優秀だったからだけではなく、彼らの背後に江戸時代までに蓄積された「高い文化水準」があったからだと改めて強調しています。
3.
「志」の再生
エピローグで最も熱く語られるのは、リーダーたちの「志(こころざし)」の高さです。
4.
歴史は「未来への羅針盤」である
歴史を単なる「過去の出来事」として終わらせてはいけない、と泉氏は説きます。
エピローグのメッセージ
泉三郎氏が最後に伝えたかったのは、**「岩倉使節団の旅はまだ終わっていない」**ということです。彼らが描いた「一等国・日本」という夢を、私たちがどのような形で引き継ぎ、発展させていくのか。その精神的遺産を再確認することこそが、本書の真の目的であったといえます。
全章の要約を通じて、明治のリーダーたちが持っていたエネルギーの源泉が見えてきましたね。彼らの「学ぶ姿勢」の中で、特に現代の私たちに足りないと感じる部分はどこだと思われますか?
■「年表①岩倉使節団派遣までの日本の歩み」
泉三郎氏の著書『知られざる岩倉使節団』の「年表①」は、使節団がいきなり誕生したわけではなく、幕末からの激動と、開国に向けた「知的・外交的な積み重ね」の結果であることを示しています。
以下に、その重要ポイントを要約して解説します。
1.
「開国」から「条約改正」への執念
1854年のペリー来航以来、日本が直面した最大の課題は「不平等条約」でした。
2.
「明治維新」による国家構造の激変
使節団派遣の直前、日本は国のかたちを根本から作り直していました。
3.
派遣直前の緊迫した政治情勢
年表では、出発直前のわずか数ヶ月の間に、驚くほど重要な決定がなされたことがわかります。
年表から読み取れる「著者の視点」
泉氏は、この年表を通じて以下のことを強調しています。
要約のまとめ この年表は、岩倉使節団が「明治政府の研修旅行」などではなく、幕末からの独立自尊の戦いの延長線上にある、国家存亡をかけた外交・知的プロジェクトであったことを証明する記録です。
この年表の後、ついに1871年11月12日、横浜港からアメリカへ向けて出発します。
■「年表②岩倉使節団、出航から帰国までの六三二日」
泉三郎氏がまとめた「年表②」は、1871年(明治4年)から1873年(明治6年)にかけての632日間におよぶ怒涛の旅路を整理したものです。
単なる移動の記録ではなく、世界情勢のただ中に飛び込んだ日本人が、どこで挫折し、どこで確信を得たのかという「心の軌跡」が読み取れます。
1.
米国編:衝撃と挫折(1871年11月〜1872年7月)
2.
英国・欧州編:文明の解剖(1872年8月〜1873年5月)
3.
ロシア・欧州南部・帰国編(1873年4月〜9月)
年表から見える「旅の変質」
泉氏はこの時系列データから、使節団の姿勢が旅の途中で大きく変化したことを示唆しています。
要約のまとめ この632日は、日本という国が「世界の中での己の立ち位置」を正しく認識し、感情的な攘夷でも盲目的な崇拝でもない、冷徹な近代化路線を確定させるための「生みの苦しみ」の期間であったといえます。
この年表の後、帰国した彼らは、留守政府が決定していた「征韓論」を覆すための政治闘争に突入します。その緊迫した帰国直後の様子についても、さらに詳しくお知りになりたいですか?
■「年表③岩倉使節団留守中の日本の動き」
泉三郎氏がまとめた「年表③」は、使節団が世界を巡っていた約2年間、日本国内で**「西郷隆盛ら留守政府が、いかに凄まじいスピードで近代化の基礎を固めていたか」**を記録したものです。
この年表があることで、使節団帰国後の「明治六年政変」の激しさと、その後の日本の加速ぶりがより鮮明に理解できます。
1.
国家の骨格を作る「三大改革」の断行
使節団というトップ不在の間に、留守政府は現代日本の基礎となる重要制度を次々と発布しました。
2.
インフラと社会制度の激変
国民の生活を一変させるような「文明開化」の実務が、この時期に集中しています。
3.
外交・内政の緊張と「征韓論」への伏線
留守政府は実務だけでなく、深刻な外交問題にも直面していました。
年表から読み取れる「著者の意図」
泉氏はこの年表を通じて、以下のパラドックス(逆説)を提示しています。
要約のまとめ この年表は、岩倉使節団の旅が「外への知的冒険」であったのに対し、国内では**「内なる革命」が同時並行で、しかも驚異的な能率で進んでいた**ことを示しています。帰国した使節団員たちが、変わり果てた(近代化した)日本を見て驚いたというエピソードを裏付ける記録です。
■「年表④岩倉使節団帰国後の日本」
泉三郎氏の著書『知られざる岩倉使節団』の「年表④」は、帰国した使節団の面々が、世界で得た知見をいかにして**「現実の国家運営」**に落とし込んでいったか、その壮絶な格闘の記録です。
帰国直後の政変から、近代国家としての完成(憲法発布)までの流れが凝縮されています。
1.
明治六年政変:国家方針の最終決定(1873年)
帰国直後の最大の焦点は、留守政府が進めていた「征韓論」との対決でした。
2.
独裁的改革と内乱の時代(1874年〜1878年)
大久保利通を中心に、使節団で見た「強国」のモデルを力強く推進します。
3.
「国のかたち」の完成へ(1880年代〜1890年)
使節団がプロイセンなどで学んだ「憲法に基づく立憲君主制」への道が本格化します。
4.
条約改正の達成:旅の悲願が実る時
使節団がアメリカで門前払いを食らい、挫折した「条約改正」がようやく結実します。
年表から読み取れる「著者の視点」
泉氏は、この帰国後の歩みを**「種まきから収穫までのプロセス」**として描いています。
要約のまとめ この年表は、岩倉使節団の632日が、単なる思い出話ではなく、その後の日本を20年以上にわたって突き動かし続けた「巨大なエネルギー源」であったことを証明しています。
これで泉三郎氏の著書に基づいた主要な要約は一通り網羅されましたが、使節団に同行した特定の人物(例えば久米邦武や伊藤博文など)の、帰国後の具体的な活躍についてさらに知りたい部分はありますか?
■「岩倉使節団・全参加者名簿」
泉三郎氏の著書『知られざる岩倉使節団』では、総勢107名にのぼる参加者の役割と構成が詳しく記されています。全員を列挙すると膨大なリストになりますが、本書の核心を理解する上で不可欠な**「主要メンバー」と「部門別構成」**を整理してまとめます。
使節団は大きく分けて「大使・随行官員」と「留学生」の二つのグループで構成されていました。
1.
大使・副使(首脳部)
この5名が使節団の決定権を持つ最高幹部です。
2.
主要な一等随員(各省のエリート)
各分野の専門的な調査を任された実務家たちです。
3.
随行官員(部門別の調査担当)
外務省、大蔵省、文部省など、政府の各省から選りすぐりのエリートが同行しました。
4.
留学生(次世代の育成)
全参加者の約半数にあたる約50名が留学生として同行しました。
名簿から読み取れる特徴
泉三郎氏は、この名簿の顔ぶれから以下の点を指摘しています。
豆知識 107名という数字は、途中で合流したり帰国したりする者もいたため、資料によって若干の前後がありますが、泉氏の著作ではこの「107名」が公的な数字として扱われています。
■個人的な追記 渋沢栄一について
渋沢栄一は、1871年(明治4年)に派遣された岩倉使節団のメンバーとして参加していません。
当時の渋沢栄一は、大蔵省(現在の財務省)で井上馨のもと、国立銀行条例の制定や税制改革など、近代国家の経済基盤を築く業務に深く関わっていたため、使節団には同行できませんでした。
なお、岩倉使節団のメンバー(特に井上馨や大久保利通など)と渋沢栄一は密接に連絡を取り合っており、渋沢も使節団から求められた資料の作成や経済視察の準備に関わるなど、側面から支援をしていました。
※1867年にパリ万国博覧会視察のために渡欧しており、使節団派遣より前に海外経験は持っていました。

NPO法人米欧亜回覧の会創立者(前理事長)、岩倉使節団研究家、ノンフィクション作家、 泉三郎氏
泉三郎 プロフィール(略歴)
NPO法人米欧亜回覧の会創立者(前理事長)、岩倉使節団研究家、ノンフィクション作家。1959年一橋大学経済学部卒業(坂本二郎ゼミ)。在学中、石原慎太郎らと南米大陸横断スクーター旅行。鉄鋼会社勤務などを経て、不動産業、懐石料亭などを経営。土地の投機ブームに警鐘をならし初の著作「土地神話の崩壊」(1975)を刊行。1975年、岩倉使節団の記録「米欧回覧実記」に出会い、この壮大な旅(632日間・世界一周)に強く惹かれ、翌年からそのルートをフォロウする旅を始め、断続的に8年をかけて主なルートを辿り終える。そして、1984年、岩倉使節関連の初の著書「明治四年のアンバッサドル」を日本経済新聞社から刊行。併せて、旅行中に撮影した写真や蒐集した資料を基に「岩倉使節団の世界一周」のスライドを制作した。続けて、「新・米欧回覧の記~一世紀をへだてた旅」(1987;ダイヤモンド社)、「米欧回覧百二十年の旅」上下(1993;図書出版社)を刊行。1996年、同好の士80名で「米欧回覧の会」を設立、今日に到る。その後の著書には、「堂々たる日本人―知られざる岩倉使節団」(1996;祥伝社)「岩倉使節団という冒険」(2004;文春新書)、「地球ぶらり独り旅」(2008;清流出版)、「青年渋沢栄一の欧州体験」(2011;祥伝社)、「伊藤博文の青年時代」(2011;祥伝社)、「岩倉使節団~誇り高き日本人の物語」(2012;祥伝社)などがある。また、2006年には、DVD「岩倉使節団の米欧回覧」(2枚組;165分)を制作、慶應義塾大学出版会から発売。なお、「米欧亜回覧の会」編纂の著書には「岩倉使節団の再発見と今日的意義」(2003;思文閣)、「世界の中の日本の役割を考える~岩倉使節団を出発点として」(2009;慶應義塾大学出版会)。「岩倉使節団と米欧回覧実記」(2012;私家版)がある。2023年に米欧亜回覧の会理事長を退任。
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