2026年4月24日金曜日

「江戸を知る」竹内誠著

 

現代人が忘れてきた、人との共生、自然との共生、江戸の社会から学ぶ!!

「江戸を知る」竹内誠著 

江戸学事始めを、Gemini要約しました。


「100万都市」、「社会構造」、「江戸文化」、等々

江戸の「社会システムと文化」は、ネタが尽きないですね。


「江戸は死んだ過去ではない」**ということです。江戸を知ることは、私たちのDNAの中に眠っている「知恵」や「美意識」を再発見する作業である。


非常に興味のある内容でした。

これから少し深掘りして勉強したいと思います。

以前にGemini要約して読んだ「江戸という幻景」渡辺京二著、に通じる点、多々ありました。



「江戸を知る」竹内誠著


『江戸を知る』 竹内誠著 江戸学事始め

■全体要約

 

竹内誠氏の**『江戸を知る』**は、東京学芸大学名誉教授であり江戸東京博物館の館長も務めた著者が、ステレオタイプな「時代劇の江戸」ではなく、史料に基づいたリアルな江戸の社会システムと文化を解説した一冊です。

本書の要約を、主要な4つの視点に分けて整理しました。

 

1. 100万都市」を支えた合理的なシステム

江戸は当時、ロンドンやパリを凌ぐ世界最大級の人口を抱えていました。本書では、この巨大都市がなぜ破綻せずに機能していたのかを説いています。

 

  • リサイクル社会: 徹底した資源の循環(古紙、衣類、さらには排泄物まで)が行われていた「持続可能な都市」としての側面。
  • 高度なインフラ: 玉川上水などの水道網や、火災に対応するための広小路・火除地の整備など、都市計画の先進性が強調されています。

 

2. 「公」と「私」を分ける社会構造

江戸時代の身分制(士農工商)は固定的な差別構造として語られがちですが、著者はより機能的な役割分担として捉えています。

  • 町人の自治: 町内会のような組織が自治を行い、お上(幕府)に頼り切らない自立したコミュニティが形成されていました。
  • 武士の役割: 武士は単なる特権階級ではなく、行政実務を担う「官僚」としての側面が強かったことが解説されています。

 

3. 成熟した「江戸文化」の正体

江戸文化は、決して上流階級だけのものではなく、大衆が主役となって花開いた点に特徴があります。

  • 高い識字率: 寺子屋の普及により、庶民が文字を読み、娯楽(浮世草子や読本)や情報(かわら版)を享受できる土壌がありました。
  • 「粋」と「野暮」の美意識: 経済力を持った町人たちが、権力を笠に着るのではなく、洗練された振る舞いや美学を尊んだ文化背景が詳しく述べられています。

 

4. 現代に繋がる江戸のアイデンティティ

著者は、江戸を単なる「過去の遺物」としてではなく、現代の東京や日本人の精神性のルーツとして捉えています。

  • 共生の知恵: 狭い長屋で他者と折り合いをつけて暮らす「江戸のしぐさ」に象徴されるような、対人関係の知恵。
  • 江戸から東京へ: 明治維新による断絶がありつつも、都市の骨格や人々の気質には江戸のDNAが色濃く残っていることを示唆しています。

 

💡 読後感のポイント

この本は、江戸を「貧しく不自由な封建社会」とするネガティブな歴史観を覆してくれます。むしろ、限られた資源の中で豊かに、そして合理的に生きる術を知っていた成熟社会として江戸を描き出しているのが最大の特徴です。

江戸の日常生活、経済、災害対策、娯楽まで網羅されているため、歴史好きだけでなく、現代の都市論や環境問題に興味がある方にとっても示唆に富む内容となっています。

 

 

■竹内誠著『江戸を知る』目次

竹内誠著『江戸を知る』(角川ソフィア文庫など)の目次は、江戸の都市構造から人々の暮らし、文化、そして終焉までを網羅的に捉えた構成になっています。

主要な章立ては以下の通りです。

 

『江戸を知る』目次構成

第一章 江戸の開府と都市計画

  • 家康の江戸入国と都市建設:湿地帯だった江戸をいかにして世界最大の都市へと変貌させたか。
  • 城下町の整備と身分配置:将軍のお膝元としての空間構成。

第二章 江戸の社会構造と支配体制

  • 幕府と町奉行所:都市行政の仕組み。
  • 町名主と五人組:町人たちの自治システムと相互扶助。
  • 武士・町人・職人の暮らし:それぞれの身分が果たした役割。

第三章 江戸の経済と流通

  • 巨大消費都市の胃袋:全国から集まる物資(「下り物」など)と市場の活気。
  • 貨幣制度と金融:両替商の役割と経済の発展。

第四章 江戸の生活文化と美意識

  • 衣食住の風景:長屋暮らしの知恵と、江戸前の食文化(寿司、天ぷら、蕎麦)。
  • 「粋」の構造と盛り場:浅草や吉原、芝居小屋などの娯楽空間。
  • 寺子屋と教育:驚異的な識字率を支えた教育システム。

第五章 災害・信仰・年中行事

  • 火事と喧嘩は江戸の華:頻発する大火への対策と、火消しの活躍。
  • 江戸っ子の信仰:富士講や御府内八十八箇所巡りなど。
  • 四季を彩る行事:五節句や花見、隅田川の花火。

第六章 江戸から東京へ

  • 幕末の動乱と江戸の変容:開国から明治維新にかけての変化。
  • 江戸の遺産:現代の東京に引き継がれた精神と都市の記憶。

 

ポイント 本書は、単に事実を羅列するのではなく、「なぜ江戸という都市がこれほどまでに成熟し、平和を維持できたのか」という問いに対し、社会・経済・文化の多角的な視点から答えを出そうとする構成になっています。

 

 

■竹内誠著『江戸を知る』の各章の要約

 

■第一章「江戸の開府と都市計画」

 

竹内誠著『江戸を知る』第一章「江戸の開府と都市計画」**は、徳川家康が何もない湿地帯だった江戸を、いかにして世界最大の都市へと作り替えていったか、そのグランドデザインを解説する非常に重要なパートです。

この章の要約を、4つの主要なポイントに絞って解説します。

 

1. 徳川家康の入国と「関東国替え」

家康が豊臣秀吉の命により、住み慣れた三河・駿河(現在の愛知県・静岡県)から関東へ移封された背景から始まります。当時の江戸は、太田道灌が築いた城こそあったものの、周囲は広大な湿地帯と荒野が広がる「辺境の地」でした。しかし、家康はこの地の**地理的ポテンシャル(広大な関東平野と水運の利)**を見抜き、壮大な都市建設に乗り出します。

 

2. 「天下普請」による大規模な地形改造

江戸の町づくりは、単に建物を建てることではなく、まず**「地形そのものを変える」**ことから始まりました。

  • 神田山の切り崩しと埋め立て: 神田山を削り、その土で日比谷入江(現在の丸の内・日比谷付近)を埋め立て、市街地を広げました。
  • 水路の整備(道三堀と小名木川): 物資を運ぶための運河を掘削し、利根川などの河川を東へ移す「利根川東遷事業」など、大規模な治水と水運網の構築が行われました。

 

3. 「のの字」型の渦巻き状都市構造

江戸の都市計画の最大の特徴は、江戸城を中心に**時計回りの渦巻き状(「の」の字型)**に町を拡張していった点にあります。

  • これにより、都市が拡大しても常に中心部(江戸城)とのアクセスが保たれ、防衛上の死角も少なくなりました。
  • 螺旋状に堀を巡らせることで、物資を船で城の近くまで運び込める効率的な物流網も同時に実現しました。

 

4. 身分に応じた空間配置(ゾーニング)

限られた土地に多くの人を住まわせるため、厳格な土地利用のルールが定められました。

  • 山の手(高台): 主に武家地。大名や旗本が住むエリア。
  • 下町(低地): 主に町人地。職人や商人が住み、密集した長屋文化が生まれるエリア。
  • 寺社地: 防衛の拠点や火災時の避難場所としても機能するよう、戦略的に配置されました。

 

まとめ

第一章では、江戸が自然発生的にできた町ではなく、家康による**「高度な政治的・軍事的・経済的な計算」**に基づいてゼロから設計された人工都市であったことが強調されています。

この章を読むことで、現在の東京の地下鉄や道路網が、実は400年前の江戸の骨格をそのまま引き継いでいることがよく理解できる構成になっています。



■第二章「江戸の社会構造と支配体制」

 

竹内誠著『江戸を知る』の**第二章「江戸の社会構造と支配体制」**は、世界最大の人口を支えた江戸の町が、どのようなルールと組織で運営されていたのかを解き明かす章です。

この章の要約を、4つのポイントで解説します。

 

1. 職能による「身分制」の実態

江戸の社会は「士農工商」という階級差よりも、それぞれのグループが社会の中で果たす**「役(やく/役割)」**によって構成されていたと説かれています。

  • 武士: 行政・軍事を担当する「官僚」集団。
  • 町人: 商業・工業を担い、都市の経済を支える集団。 単なる支配・被支配の関係ではなく、それぞれの身分が独自の職能を持って都市を共同管理している側面が強調されています。

 

2. 「町奉行所」による都市行政

江戸の司法・行政・警察を一手に引き受けていたのが「町奉行所」です。

  • 少数精鋭の管理: 南・北(のちに中も一時設置)の奉行所を合わせても、実務を担う与力・同心はわずか数百人でした。
  • 効率的な統治: これほど少ない人数で100万都市を維持できたのは、幕府がすべてを直接支配しようとせず、民間(町人)の自律的な組織をうまく活用したためです。

 

3. 町人の自治システム「町入用と五人組」

江戸の町は、町人たちが自らの手で運営する**「自治」**が基本でした。

  • 町三奉行と町名主: 奉行所の下で、実務を取り仕切る町名主(まちなぬし)が重要な役割を果たしました。彼らは世襲制が多く、町の生き字引として住民をまとめました。
  • 五人組: 近隣の数軒をひとつのユニットとし、防犯や防災、相互扶助を連帯責任で行わせるシステムです。
  • 町入用(まちにゅうよう): 街灯の整備やゴミ処理、祭りの費用などは、町人たちが自ら出し合う「町費」で賄われていました。

 

4. 武家地と寺社地の特権

江戸の土地の約7割は武家地(大名屋敷など)であり、そこには町奉行の権限が及びませんでした。

  • 権限の分散: 武家地は大名が、寺社地は寺社奉行が管理するという「場所による支配の分断」がありました。
  • 「公」と「私」: 武家屋敷の門内は「私的な空間」としての側面が強く、都市の中に異なるルールを持つ小さな共同体が無数に点在しているような特殊な構造を成していました。

 

まとめ

第二章の核心は、**「幕府による強力な独裁ではなく、住民の自律と職能ごとの役割分担によって秩序が守られていた」**という点にあります。この「お上に頼りすぎない自治の精神」こそが、江戸の平和と活気を長く維持させたエンジンであったことが詳述されています。

 

 

■第三章「江戸の経済と流通」

竹内誠著『江戸を知る』の**第三章「江戸の経済と流通」**は、世界最大級の消費都市・江戸を支えた強力なサプライチェーンと、貨幣経済の仕組みを解説しています。

この章の要約を、3つの重要なポイントで整理しました。

 

1. 「諸国之総(そう)城下町」としての物流網

江戸は自給自足の都市ではなく、日本全国から物資を集めることで成り立つ巨大消費センターでした。

  • 日本橋と市場: 物流の拠点となった日本橋周辺には、魚河岸(魚市場)や蔵前(米の集散地)が集まりました。まさに「江戸の胃袋」として、全国の特産品が運び込まれました。
  • 下り物(くだりもの): 特に質が高いとされた上方(京都・大阪)からの品物を「下り物」と呼び、酒、醤油、木綿などが大量に流入しました。これが手に入らない(つまらない)ことが「下らぬ」の語源になったというエピソードも有名です。

 

2. 水運が支えた大量輸送システム

当時の陸路(馬や人足)では、100万人の生活を支える物資を運ぶには限界がありました。そこで活躍したのが**水運(船)**です。

  • 菱垣廻船(ひがきかいせん)と樽廻船: 上方と江戸を結ぶ定期船が、大量の生活物資を安価に、そして効率的に運びました。
  • 河川の活用: 江戸の町中に張り巡らされた掘割(運河)は、船が直接商店の裏口まで荷物を届けられる「水の街道」として機能していました。

 

3. 三貨制度と両替商の役割

江戸の経済を複雑かつ高度にしていたのが、独自の貨幣システムです。

  • 金・銀・銭の併用: 主に東国(江戸)で流通した「金」、西国(上方)で使われた「銀」、そして庶民の日常で使われた「銭(銅)」という三つの貨幣が共存していました。
  • 両替商の台頭: これらレートの異なる貨幣を交換する「両替商」は、単なる両替屋を超え、預金や貸付、手形の発行を行う現代の銀行のような役割を果たしました。これにより、現金を持ち歩かなくても遠隔地との取引が可能な高度な金融システムが成立していました。

 

まとめ

第三章では、江戸が「武士の政治都市」である以上に、**「高度にネットワーク化された経済都市」**であったことが強調されています。全国の経済が江戸を中心に回り、独自の金融ルールや物流システムが、後の近代日本経済の基礎となったことがわかります。

 

 

■第四章「江戸の生活文化と美意識」

竹内誠著『江戸を知る』の**第四章「江戸の生活文化と美意識」**は、100万都市に生きた人々の日常、娯楽、そして江戸っ子特有の精神性を鮮やかに描き出した章です。

この章の要約を、4つのポイントで解説します。

 

1. 長屋暮らしと「共生の知恵」

江戸の庶民の多くは、通りから一歩入った「裏長屋」で暮らしていました。

  • 究極のシンプルライフ: わずか四畳半ほどの空間で、生活用品を最小限に抑えた機能的な暮らし。
  • 共同体意識: 井戸やトイレが共有だったため、必然的に隣人と助け合う「向こう三軒両隣」の文化が発達しました。プライバシーが少ない反面、孤立することのない、セーフティネットとしての機能も持っていました。

 

2. 世界最高水準の「教育と情報」

江戸の文化を支えたのは、庶民の驚異的な識字率です。

  • 寺子屋の普及: 武士だけでなく、農民や町人の子供たちも読み書き・そろばんを学びました。
  • 出版文化の隆盛: 浮世絵、草双紙(絵本)、貸本屋などのビジネスが爆発的に広まりました。庶民が日常的にニュース(かわら版)や娯楽を楽しめる、世界でも稀な「情報の民主化」が起きていたことが解説されています。

 

3. 「粋(いき)」と「野暮(やぼ)」の美意識

江戸文化の核となるのが、独自の美学である「粋」です。

  • やせ我慢の美学: 金を持っていてもそれを見せびらかさず、さりげなく贅沢を楽しむ(裏地に凝るなど)。執着しすぎず、さらりと生きる潔さが尊ばれました。
  • 「通(つう)」の追求: 芝居や遊郭、吉原といった場所での振る舞いを通じて、教養とセンスを磨くことが男たちのステータスとなっていました。

 

4. 豊かな食文化と盛り場

現代の日本食の原型は、この時期の江戸で完成しました。

  • 江戸前の味: 忙しい町人や独身男性のために、屋台で手軽に食べられる「握り寿司」「天ぷら」「蕎麦」が普及しました。これらはまさに江戸のファストフードでした。
  • 四季を楽しむ娯楽: 隅田川の花火、花見、潮干狩りなど、季節ごとの行事を全力で楽しむ「遊びの精神」が、都市の活気を生んでいました。

 

まとめ

第四章では、江戸文化が単なる「過去の風俗」ではなく、「限られた条件下でいかに人生を愉しむか」という非常に高度な知恵と美学の集大成であったことが説かれています。この章を読むと、現代の日本人の気質や文化の根底にあるものが、いかに江戸時代に形作られたかを実感できます。

 

 

■第五章「災害・信仰・年中行事」

竹内誠著『江戸を知る』の**第五章「災害・信仰・年中行事」**は、過酷な都市環境の中で、人々がいかにしてリスクと向き合い、また日々の暮らしに彩りを見出していたかを解説しています。

この章の要約を、3つの柱で整理しました。

 

1. 災害との闘い「火事と喧嘩は江戸の華」

江戸は「火災の都市」と呼ばれるほど、たびたび大火に見舞われました。

  • 破壊消防のシステム: 水で消すのではなく、延焼を防ぐために建物を壊す「破壊消防」が主流でした。ここで活躍したのが、町人たちによる「町火消(まちびけし)」です。彼らは町のヒーローとして、独自の組織と心意気を持っていました。
  • 火除地(ひよけち)と広小路: 万治の大火(振袖火事)などの教訓から、幕府は延焼を防ぐための広場(広小路)や空き地(火除地)を都市の中に戦略的に配置しました。
  • 復興のエネルギー: 度重なる火災を、単なる悲劇としてだけでなく、都市を「リニューアル」する機会として捉える、江戸っ子の逞しさについても触れられています。

 

2. 庶民の信仰と「娯楽としての参拝」

江戸時代、信仰は切実な祈りであると同時に、最大のレジャーでもありました。

  • 講(こう)の組織: 同じ目的を持つ人々がお金を出し合い、代表者が伊勢参りや富士山、大山(神奈川県)などへ参拝に行く「講」という互助組織が発達しました。
  • 御利益と楽しみ: 浅草寺や成田山などへの参拝は、周辺の屋台や見世物小屋を楽しむ観光旅行としての側面が強く、人々の社交の場となっていました。

 

3. 四季を祝う「年中行事」

厳しい生活の中でも、季節の節目を大切にする習慣が、人々の精神的な支柱となっていました。

  • 五節句と歳時記: 人日(七草)、上巳(雛祭り)、端午、七夕、重陽といった五節句を祝う習慣が定着しました。
  • 江戸の風物詩: 隅田川の川開き(花火)、お花見、潮干狩り、お月見など、現代に続く季節行事の多くがこの時代に様式として確立されました。これらは「自然と共生する都市」としての江戸の魅力を象徴しています。

 

まとめ

第五章では、「自然の脅威(災害)」と「心の豊かさ(信仰・行事)」が表裏一体であったことが描かれています。災害を恐れつつも、神仏への祈りや季節の遊びを通じて、今日一日を懸命に、そして楽しく生き抜こうとする江戸の人々の精神構造が明らかにされています。

 

 

■第六章「江戸から東京へ」

竹内誠著『江戸を知る』の締めくくりとなる**第六章「江戸から東京へ」**は、幕末の動乱を経て江戸という都市がどのように「東京」へと脱皮したのか、そして何が失われ、何が引き継がれたのかを考察する章です。

この章の要約を、3つの重要な視点でまとめました。

 

1. 幕末の混乱と「江戸」の終焉

黒船来航以降、江戸の町はそれまでの平穏な秩序を失っていきます。

  • 武家地の崩壊: 参勤交代の緩和や幕府の弱体化により、江戸の人口の半分を占めていた武士たちが帰国。これにより、広大な武家地が空き家となり、都市としての経済バランスが一時的に崩壊しました。
  • 開国による衝撃: 横浜開港に伴う物価の高騰や、コレラなどの流行病の流入が、江戸の庶民生活を直撃した過程が描かれています。

 

2. 「東京」への改称と都市の再編

慶応4年(1868年)、江戸は「東京」と改称され、天皇を迎え入れることで日本の首都としての新たなスタートを切ります。

  • 空間の転用: かつての広大な大名屋敷(武家地)は、官公庁、大学、軍事施設、あるいは公園(上野公園など)へと姿を変えました。
  • 断絶と連続: 制度や外観は西洋化(文明開化)されましたが、都市の骨格(道、橋、堀の配置)は江戸時代のものがそのまま利用されました。著者は、物理的な連続性が「東京」という都市の土台になったことを強調しています。

 

3. 引き継がれた「江戸のDNA

システムとしての「江戸」は消滅しましたが、その精神性や文化は現代にまで息づいています。

  • 江戸の遺産: リサイクル精神、共生の知恵、合理的な考え方など、江戸時代に成熟した日本人の気質は、近代化の荒波の中でも形を変えて生き残りました。
  • 歴史の重層性: 現代の東京の繁栄は、決して明治以降にゼロから作られたものではなく、家康以来の260余年で培われた**「成熟した都市の基盤」**があったからこそ実現したものであると結論づけています。

 

全体のまとめ:著者が伝えたかったこと

本書の結びでは、江戸を単なる「古き良き過去」として懐かしむのではなく、**現代の都市問題(環境、格差、コミュニティ)を解決するためのヒントが詰まった「未来へのテキスト」**として捉え直すことの重要性が語られています。

江戸を知ることは、今の私たちが住むこの国の形と、自分たちのアイデンティティを再発見する旅である、という力強いメッセージで締めくくられています。

 

 

■「あとがき(結び)」

竹内誠氏による『江戸を知る』の**「あとがき(結び)」**は、本書で綴られてきた膨大な歴史的事実を、現代に生きる私たちへの「提言」として昇華させる重要なパートです。

著者が最後に伝えたかったメッセージを、3つのポイントで要約します。

 

1. 「暗い封建社会」というイメージの払拭

著者は、明治以降に作られた「江戸時代=暗く不自由な抑圧社会」というステレオタイプな見方を改めて否定します。

  • 実際には、江戸は非常に平和で、庶民が独自の文化を謳歌し、世界的に見ても高い教養(識字率)を持っていた**「高度に成熟した社会」**であったことを強調しています。
  • 私たちが歴史を学ぶ意義は、過去を裁くことではなく、その時代の「豊かさの質」を正しく理解することにあると述べています。

 

2. 「循環と共生」の知恵を未来へ

江戸時代が260年以上も続いた理由は、限られた資源を徹底的に使い切る**「完全循環型社会」**だったからだと結論づけています。

  • ゴミを出さず、物を修理して使い続け、排泄物さえも肥料として活用する合理性。
  • 狭い長屋で他者を尊重し、折り合いをつけて暮らす「共生の知恵」。 これらは、環境問題や孤独死、コミュニティの崩壊に直面する**現代社会こそが学ぶべき「未来へのヒント」**であると説いています。

 

3. 歴史の連続性とアイデンティティ

「江戸」と「東京」は断絶しているように見えて、実は地続きであるという点に改めて触れています。

  • 現代の東京の繁栄は、江戸という強固な土台(インフラ、精神性、経済基盤)の上に築かれたものです。
  • 私たちが自分たちのルーツである「江戸」を正しく知ることは、これからの日本がどこへ向かうべきかを考えるための**「羅針盤」**を手に入れることと同義である、という熱いメッセージで締めくくられています。

 

💡 結びのキーワード:『歴史は生きている』

あとがき全体を通じて著者が一貫して語っているのは、**「江戸は死んだ過去ではない」**ということです。江戸を知ることは、私たちのDNAの中に眠っている「知恵」や「美意識」を再発見する作業であると、読者に静かに語りかけています。




日本の歴史学者・江戸時代学者、江戸東京博物館名誉館長、東京学芸大学名誉教授 
竹内 誠氏 

竹内 誠(たけうち まこと、1933年10月29日[1] - 2020年9月6日)は、日本の歴史学者・江戸時代学者、徳川林政史研究所名誉所長、江戸東京博物館名誉館長、東京学芸大学名誉教授。
1933年、東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区)で生まれた。東京教育大学(現・筑波大学)文学部日本史学専攻に進学し、西山松之助に師事した。1957年に卒業。同大学大学院文学研究科に進み、1963年に博士課程を単位取得満期退学。その後は、徳川林政史研究所に主任研究員として勤務。その後信州大学助教授に転じ、1970年より東京学芸大学助教授を務めた。 1977年に学位論文『寛政改革の研究』を東京教育大学に提出して文学博士号を取得。のち教授昇格。1998年に東京学芸大学を定年退官し、名誉教授となった。1998年4月からは立正大学教授を務めた。2002年、江戸東京博物館館長に就任。2016年に館長を退任し、名誉館長をとなった。2020年9月6日、呼吸不全のために死去。86歳没。








2026年4月21日火曜日

『パンと牛乳は今すぐやめなさい!』内山葉子著

 

新聞の広告欄に載っていた気になる本、

『パンと牛乳は今すぐやめなさい!』内山葉子著

を、Gemini要約しました。


非常に面白かったです。


今まで何も考えずに、長年、日常的に摂取していましたが、本当に問題なかったのか?

非常に考えさせられる内容です。


人生も終盤に入っていますので、今後少し頭を切りかえて、実験してみようと思っています。




『パンと牛乳は今すぐやめなさい!』内山葉子著




パンと牛乳をやめる健康法 
『パンと牛乳は今すぐやめなさい!』内山葉子著 要約 


内山葉子先生の著書『パンと牛乳は今すぐやめなさい!』は、現代人の体調不良の多くが、実は日常的に摂取している**「小麦(グルテン)」と「乳製品(カゼイン)」**に起因しているという警鐘を鳴らす一冊です。
本書の要点をわかりやすく整理して解説します。



1. なぜ「パンと牛乳」がダメなのか?

著者は、小麦に含まれるタンパク質**「グルテン」と、牛乳に含まれるタンパク質「カゼイン」**が、現代人の腸と脳に悪影響を与えていると指摘しています。

■小麦(グルテン)の問題点
腸の炎症(リーキーガット症候群): グルテンは腸の粘膜に微細な穴を開け、未消化の食べ物や毒素が血中に漏れ出す原因になります。
中毒性: グルテンが分解される過程で「エキソルフィン」という物質に変わり、麻薬のような依存性を生みます。
品種改良: 現代の小麦は、昔のものに比べてグルテン含有量が多く、体が処理しきれなくなっています。

■牛乳(カゼイン)の問題点
消化の悪さ: 日本人の多くは乳糖を分解する酵素が少ない(乳糖不耐症)だけでなく、カゼイン自体が腸内で未消化になりやすく、炎症を引き起こします。
骨への影響: 「牛乳=骨を強くする」という常識に対し、著者はむしろ体内のカルシウムバランスを崩す可能性があると説いています。



2. 引き起こされる不調の例

これらの食品を摂取し続けることで、一見関係なさそうな全身のトラブルに繋がります。
消化器系: 便秘、下痢、お腹の張り。
メンタル・脳: 集中力の低下(ブレインフォグ)、イライラ、うつ症状。
肌・アレルギー: アトピー性皮膚炎、花粉症、喘息。
その他: 慢性的な疲労感、頭痛、関節痛。



3. 実践:3週間の「除去食」

本書が最も推奨している解決策は、**「まず3週間だけ、完全にパンと牛乳をやめてみる」**というテストです。


■ステップと内容
①やめる:小麦製品(パン、パスタ、うどん、菓子)と乳製品(牛乳、ヨーグルト、チーズ)を一切断つ。

②観察する:体の重だるさ、肌ツヤ、お通じの変化をチェックする。

③気づく:3週間後に体調が良くなれば、それが自分の体に合っていなかった証拠。



4. 何を食べればいいのか?

「食べるものがない!」とならないよう、日本古来の**「和食」**への回帰を勧めています。
主食: お米(ごはん)を中心にする。
タンパク質: 魚、肉、卵、大豆製品(納豆や豆腐)。
調味料: 味噌、醤油、塩、酢などの伝統的な発酵調味料。



■まとめ:あなたの体は「食べたもの」でできている

この本の核心は、**「当たり前だと思っている食習慣を疑うこと」**にあります。
「なんとなく不調だけど、病気ではない」という未病の状態にある人は、一度これらを断つことで、自分本来のパフォーマンスを取り戻せるかもしれない、という希望を提示しています。
極端な禁止というよりは、「自分の体を使って実験してみよう」という前向きなセルフケアのガイドブックと言えるでしょう。




医学博士 内山葉子氏

内山葉子[ウチヤマヨウコ]
関西医科大学卒業。大学病院・総合病院で腎臓内科・循環器・内分泌を専門に臨床・研究を行った後、福岡県北九州市で葉子クリニックを開設、院長を務める。医学博士、総合内科専門医、腎臓内科専門医、ホメオパシー専門医。全人的な医療に基づき、自然医療や漢方・機能性食品などの補完・代替医療と西洋医学、心のケアなどを統合的に行い、さまざまな分野の難治性の疾患の診療を行う。









2026年4月19日日曜日

「1人の兵士」を見捨てなかった米軍

 

私が気に入った新聞コラム

「1人の兵士」を見捨てなかった米軍

直球&曲球 野口健 2026/4/16 13:00イスラエル・中東情勢直球&曲球



そのとおりですね。

日本の戦後の戦没者対応はかなり問題があります。


国はかつて遺骨収集活動を遺族会や戦友会などに事実上丸投げした。

戦後日本は経済発展にうつつを抜かし、大切なものを見失った。


この二つ指摘は、悲しいですが事実ですね。

やはり戦後の、結党70年の自民党政権の無責任さです。

アメリカが作った押しつけの憲法を、70年経っても変えられないことは、

もはや笑い話です。


しっかりとした政党が、今後出ない限り、日本は滅びますね。



日本の登山家、環境活動家 野口 健氏

野口 健(のぐち けん、1973年8月21日 - )は、日本の登山家、環境活動家。亜細亜大学国際関係学部卒業。NPO法人PEAK+AID(ピーク・エイド)代表(2020年時点)として、ヒマラヤ・富士山での清掃活動といった環境保護への取り組み、また遭難死したシェルパ族の子どもたちへの教育支援「シェルパ基金」やヒマラヤでの学校建設・森林づくり、第二次世界大戦の戦没者の遺骨収集などの社会貢献活動を行っている。



「1人の兵士」を見捨てなかった米軍

直球&曲球 野口健 アルピニストの野口健氏


イランで撃墜された米軍機パイロット1人を助けるために約100人の米軍特殊部隊が敵地に潜入したという。地上から攻撃されながらも超低空飛行で捜索にあたる米軍ヘリの様子も報じられた。米国政府は「1人の兵士であろうと必ず助ける」と。この紛争の「是非(ぜひ)」は別として、1人の救出のために約100人が命を懸ける。そこに米国の真の強さを感じた。


それに比べると先の大戦で日本軍はまるで違った。私の祖父は帝国陸軍の参謀を務めていた。インパール作戦を発案した牟田口廉也(むたぐちれんや)司令官に対し「この作戦は無謀である。戦になる前に多くの兵士が死んでいく」と意見をしたそうだ。しかし若手参謀の意見は却下され、作戦は決行。その結果、戦死者数よりも餓死や病死の方が多かったのだ。


それは今日も続いている。戦没者に対する扱いがそうだ。私は長年遺骨収集活動に携わってきたが、いまだに多くの日本兵の遺骨が放置されたままだ。フィリピンのレイテ島では洞窟の中に無数の遺骨と遺留品が残されていたのを見た。洞窟からは、よく海が見渡せる。方位磁石で確認したら、その先に日本があった。祖国に思いをはせながら亡くなったのだろうか。


戦後焼け野原から日本は瞬く間に経済復興を遂げた。しかし犠牲になった無数の兵士のことは、いつしか忘れ去られてしまった。国はかつて遺骨収集活動を遺族会や戦友会などに事実上丸投げした。一方、米国は朝鮮戦争やベトナム戦争で残された米兵の遺骨収集を徹底的に行ってきた。硫黄島では行方不明者1人のために、いまだに調査を継続しているのだ。


予算も人員も米国と日本ではけたが違う。国の命で戦い散った兵士を「必ず祖国に戻す」というのは、国家としてのプライドであり、責任である。戦争を正当化する気持ちは毛頭ないが、国が始めた戦争で命を懸けた方々に対し敬意を抱けない国は、いずれ滅びていく。灼熱(しゃくねつ)のフィリピンのジャングルの中で、そう強く感じた。戦後日本は経済発展にうつつを抜かし、大切なものを見失ったのではないだろうか。






2026年4月16日木曜日

母校の奥内小学校が閉校

 

母校の奥内小学校が閉校


先月、2026年3月末で、私が通学した、

青森県むつ市奥内にあった公立小学校(むつ市立奥内小学校)が閉校になりました。


理由は児童数の減少です。


1879年に創立され、これまでに3000人以上の卒業生を輩出している、

147年続いた伝統校でした。


非常に残念ですが、時代の趨勢で、しょうがないですね。



通学していた当時の、奥内小学校旧校舎


閉校になった、奥内小学校校舎


ちなみに私は、卒業式に表彰された優等生でした。

しかし、懐かしいですね。






2026年3月10日火曜日

黒船の世紀 猪瀬直樹著

 

気になる本、

黒船の世紀 猪瀬直樹著 

を、Gemini要約しました。

非常に面白かったです。


「日本が西洋の「黒船」という脅威に直面した際、単に軍事力で対抗するのではなく、経済的な基盤を整えることで独立を維持し、発展を遂げた」という見解は、非常に的を得ていると思いました。


又、岩倉使節団の欧米を視察は、その後の明治の体制を考えると、その後の人材の発掘も含め、非常に大きな出来事だったと思われます。


非常に面白い本でした。



黒船の世紀 猪瀬直樹著


黒船の世紀 猪瀬直樹著 

 

■猪瀬直樹著「黒船の世紀」の要約

猪瀬直樹の著作「黒船の世紀」は、幕末から明治維新にかけての日本の変革期を、特に財政と経済の視点から描いた歴史ノンフィクションです。この作品は、日本が鎖国を解き、西洋列強との関係を築いていく中で、いかにして近代国家の基礎を築いたかを、政治的な駆け引きや軍事的な動向だけでなく、貨幣制度、金融、そして新たな産業の創出といった側面から多角的に分析しています。

本書の核心的なテーマは、日本が西洋の「黒船」という脅威に直面した際、単に軍事力で対抗するのではなく、経済的な基盤を整えることで独立を維持し、発展を遂げたという点にあります。猪瀬氏は、当時の日本が直面していた財政的な課題、例えば藩ごとのばらばらな貨幣制度や、慢性的な財政赤字といった問題に光を当てています。

 

■主要な登場人物と出来事

●幕府と諸藩の財政

著者は、幕府や各藩が、開国という未曾有の事態にどのように財政的に対応しようとしたかを描写しています。特に、長州藩や薩摩藩などが、独自に産業を興したり、外国との密貿易を行ったりして、軍事費や近代化のための資金を捻出した様子が詳細に描かれています。これは、単に尊王攘夷や倒幕といった政治スローガンで語られがちな時代背景に、現実的な経済活動という視点を提供しています。

●高杉晋作と奇兵隊

高杉晋作が結成した奇兵隊は、単なる志士の集団ではなく、財政的な自立を目指した組織として描かれています。彼らが商人から資金を集めたり、独自の流通網を構築したりして、軍事行動を支えた経済的な側面に焦点が当てられています。

●大久保利通と岩倉使節団

明治新政府が成立した後、大久保利通が主導した近代化政策、特に貨幣制度の統一や、殖産興業のための資金調達の努力が描かれます。岩倉使節団が欧米を視察する目的も、単なる文化や技術の吸収だけでなく、経済システムや金融制度を学ぶことにあったと分析しています。

 

■本書のメッセージ

「黒船の世紀」は、歴史を動かした要因が、政治やイデオロギーだけでなく、経済的なリアリズムにあったことを強調しています。特に、情報と資金の重要性を浮き彫りにし、日本がグローバルな競争社会に参入していく上で、いかにして自国の経済力を高め、独立性を確保したかを明らかにしています。この作品は、幕末維新という時代のダイナミズムを、これまでとは異なる角度から捉え直し、現代にも通じる普遍的な教訓を与えてくれる一冊です。

 

 

■猪瀬直樹の著書「黒船の世紀」の目次

  • 第一章 黒船襲来
  • 第二章 開国と幕末維新
  • 第三章 藩の財政
  • 第四章 高杉晋作と奇兵隊
  • 第五章 明治新政府の誕生
  • 第六章 殖産興業と富国強兵
  • 第七章 岩倉使節団と金融
  • 第八章 西南戦争
  • おわりに

 

 

■第一章 黒船襲来

本書の第一章「黒船襲来」では、ペリー提督率いるアメリカ艦隊が浦賀沖に来航した出来事を、単なる軍事的な威嚇としてではなく、「貨幣と金融」という視点から詳細に分析しています。当時の日本が直面していた経済的な状況と、開国を迫るアメリカ側の意図が、鋭く対比されています。

 

1. 鎖国下の日本の経済状況

まず、著者はペリー来航以前の日本の経済状況に焦点を当てています。

●各藩ごとの経済格差:

鎖国下で平和な時代が続いた一方で、各藩は独自の財政運営を行っており、藩ごとの経済格差が広がっていました。一部の藩は豊かな産物や商業で財政を潤す一方、財政難に苦しむ藩も少なくありませんでした。

●貨幣制度の未整備:

幕府が発行する貨幣の他に、各藩が独自に発行する藩札が流通しており、貨幣制度は統一されていませんでした。これは、全国的な経済活動の妨げとなり、混乱を招いていました。

 

2. アメリカ側の真の目的

次に、著者はペリーが日本に来航した真の目的を探ります。一般的に、ペリーの来航は「開国と通商」を迫る軍事的な圧力として捉えられがちですが、猪瀬氏は、その背景にアメリカの経済的・戦略的な思惑があったことを強調しています。

●捕鯨船の補給地:

当時、太平洋で盛んに行われていたアメリカの捕鯨産業にとって、日本は重要な補給地となる可能性を秘めていました。

●太平洋航路の拠点:

蒸気船の時代が到来し、太平洋航路の確立が喫緊の課題でした。日本を開国させることで、石炭や食料の補給拠点を確保し、アメリカの貿易ルートを拡大することが大きな目的でした。

●銀の獲得:

アメリカは、中国との貿易で大量の銀が流出している状況を改善するため、日本の金銀獲得を狙っていました。当時の日本は世界でも有数の銀の産出国であり、この資源がアメリカにとって魅力的であったことが指摘されています。

 

■まとめ

「第一章 黒船襲来」は、ペリー来航という歴史的な出来事を、軍事力や政治的な駆け引きという従来の視点から一歩踏み込み、「経済」と「貨幣」という斬新な切り口で捉え直している点が最大の特徴です。この章で提示される経済的な視点は、その後の幕末から明治維新にかけての日本の変革を理解するための重要な前提となっています。

 

 

■第二章 開国と幕末維新

本書の第二章「開国と幕末維新」では、ペリー来航による開国が、いかにして日本の国内政治と経済に大きな変動をもたらし、最終的に幕府の崩壊と明治維新へとつながったのかを、経済的な視点から深く掘り下げています。

 

1. 不平等条約と経済的混乱

ペリー来航後、日本はアメリカとの間に日米修好通商条約を締結し、欧米列強とも同様の不平等条約を結ぶことになります。著者は、この条約がもたらした日本の貨幣経済への深刻な影響に焦点を当てています。

●金貨の海外流出:

日本の金と銀の交換比率が国際市場と大きく異なっていたため、外国商人は安価な日本の金貨を大量に購入し、海外へ持ち出しました。この金流出は、国内の物価を急騰させ、庶民の生活を圧迫しました。

●幕府財政の悪化:

鎖国体制下で維持されていた経済秩序が崩れ、幕府の財政は深刻な危機に陥ります。外国との貿易が始まると、幕府は関税収入を得る一方で、国内の混乱を収めるための費用や、近代的な軍備を整えるための費用がかさみ、財政赤字が膨らんでいきました。

 

2. 尊王攘夷から倒幕へ

このような経済的混乱は、政治的な不満と結びつき、尊王攘夷運動の高まりにつながります。著者は、単に外国人を排斥するというイデオロギーだけでなく、経済的な苦境が庶民や下級武士の不満を増幅させたという側面を強調しています。

●各藩の動き:

財政危機に直面した各藩は、生き残りをかけて独自の道を模索します。特に、長州藩や薩摩藩は、外国との貿易や産業の育成を通じて、経済力を蓄え、軍事力の強化を図りました。これは、倒幕運動を経済的に支える基盤となりました。

●高杉晋作の経済戦略:

著者は、高杉晋作が結成した奇兵隊が、単なる軍事組織ではなく、軍資金を確保するための経済活動を積極的に行った点に注目しています。彼らは、商人から資金を借り入れたり、独自に流通ルートを築いたりして、自立した組織運営を目指しました。

 

■まとめ

『黒船の世紀』の「第二章 開国と幕末維新」は、開国後の日本が直面した経済的な動揺が、いかにして社会全体を揺るがし、政治的な変動を加速させたかを明らかにしています。この章は、幕末維新という時代のダイナミズムを、「経済」という見えにくい側面から捉え直すことで、従来の歴史観に新たな視点を提供しています。

 

 

■第三章 藩の財政

この章では、幕末期の各藩が直面していた深刻な財政状況と、それがどのように幕府への不満や倒幕の動きへとつながっていったかを、経済的な視点から詳細に分析しています。

 

1. 慢性的な財政難と藩札の乱発

鎖国下で安定していたかのように見えた江戸時代末期、実は多くの藩は慢性的かつ深刻な財政難に陥っていました。年貢収入の減少に加え、参勤交代や公共事業の費用、そして海外からの軍事的な圧力に対応するための軍備増強費用が財政を圧迫していました。

その結果、多くの藩は財政を補うために、独自の貨幣である**「藩札」を乱発**するようになります。これは、実質的なインフレを引き起こし、領民の生活を苦しめるだけでなく、藩札間の信用問題も生じさせ、全国的な経済の混乱を招きました。

 

2. 強藩による財政改革と産業振興

一方で、薩摩藩や長州藩といった一部の有力な強藩は、この危機を乗り越えるために独自の財政改革と産業振興に乗り出しました。

●薩摩藩:

藩主の島津斉彬は、砂糖や琉球との密貿易を積極的に行い、巨額の利益を上げました。さらに、紡績工場や反射炉といった近代的な産業を興し、富国強兵の基盤を築きました。これらの改革は、藩の財政を立て直すだけでなく、西洋列強に対抗できる軍事力を養うための重要な資金源となりました。

●長州藩:

財政再建を命じられた村田清風は、借金の返済計画を立てたり、藩の特産品である蝋や紙を専売制にしたりすることで、財政を立て直しました。また、高杉晋作らが結成した奇兵隊も、単なる軍事組織ではなく、商人と結びついて独自の経済活動を行い、軍資金を確保していました。

これらの強藩が経済力を高めたことは、単に財政が改善したというだけでなく、幕府に依存しない独自の勢力として台頭する政治的基盤を築いたことを意味します。この経済力の差が、最終的に幕府を打倒する原動力の一つとなったのです。

 

■まとめ

「第三章 藩の財政」は、幕末維新を単なる政治的なイデオロギーの対立としてではなく、「財政」と「経済」という見地から捉え直すことで、当時の日本の変革の深層を明らかにしています。 強藩が経済力を背景に台頭したことで、日本の歴史は新たなフェーズへと進んでいったのです。

 


■第四章 高杉晋作と奇兵隊

この章では、長州藩の志士、高杉晋作が創設した奇兵隊を、単なる軍事組織としてではなく、独自の経済基盤を持つ自立的な組織として描いています。猪瀬氏は、幕末の動乱を「財政」の視点から捉えるという本書のテーマに沿って、奇兵隊の活動が持つ経済的側面を詳細に分析しています。

 

1. 資金調達の独自性

奇兵隊が革新的だったのは、その財政運営の方法にありました。当時の藩の軍隊は、藩の財政に依存していましたが、奇兵隊はそれとは一線を画しました。

●豪商からの資金調達:

高杉晋作は、伊藤博文らを派遣して、下関の豪商や富裕層から積極的に資金を募りました。これは、単なる寄付ではなく、長州藩が発行する**藩債(藩の借金証文)**を担保にしたものでした。当時の長州藩は財政難でしたが、高杉は将来の倒幕と新政府の樹立を見据え、その信用を元に資金を集めたのです。

●私貿易と流通網の構築:

奇兵隊は、外国商人との密貿易や、下関を拠点にした独自の流通ルートを築くことで、活動資金を確保しました。これは、幕府や藩の統制下ではない、独自の経済圏を形成する試みでした。

 

2. 組織運営と経済的自立

奇兵隊は、武士だけでなく、農民や町人、さらには浪人までを募って編成された混成部隊でした。このような多様な構成員を維持するためには、安定した収入源が不可欠でした。

●給与と食料の自給自足:

奇兵隊は、隊員に給与を支払い、食料も自力で賄うなど、自立した運営を目指しました。これは、藩からの支給を待つのではなく、自分たちで稼ぐという発想であり、藩の財政が傾いても活動を続けられる強さを持っていました。

●財政の透明性:

高杉は、集めた資金の出入りを厳格に管理し、記録を残すことで、隊内の規律を保ち、隊員からの信頼を得ていました。

 

■まとめ

「第四章 高杉晋作と奇兵隊」は、高杉晋作が単なるカリスマ的なリーダーではなく、卓越した経済感覚と組織運営能力を持っていたことを浮き彫りにします。彼が築いた奇兵隊の経済的基盤は、長州藩が幕府に対抗する力を得る上で不可欠な要素となり、明治維新へと向かう歴史の流れを加速させたのです。

 

 

■第五章 明治新政府の誕生

この章では、戊辰戦争を経て明治新政府が樹立された後、新政府が直面した最大の課題である財政の統一と国家建設の資金調達について、猪瀬直樹がその詳細を分析しています。倒幕運動を成功させた新政府が、いかにして近代国家としての経済的基盤を築いたかが焦点となります。

 

1. 藩閥を越えた財政統一への挑戦

明治新政府は、薩摩、長州、土佐、肥前の四藩の藩閥が中心となって樹立されましたが、全国の藩が独自の経済システムを持つ状況では、国家としての統治は不可能です。新政府は、以下の課題に直面していました。

●藩札の廃止と貨幣の統一:

各藩が発行していた藩札は、その価値が不安定で、全国的な経済流通を妨げていました。新政府は、これを廃止して、新しい統一貨幣であるの導入を急ぎます。しかし、藩札を回収し、それに代わる統一貨幣を発行するためには、膨大な資金が必要でした。

●藩の財政と税制の統一:

これまで藩が徴収していた年貢や税金を、新政府が一元的に管理するシステムを構築する必要がありました。この財政権の統一は、各藩の抵抗を招く可能性がありましたが、中央集権国家を築く上での最大の目標でした。

 

2. 版籍奉還と廃藩置県

これらの課題を解決するため、新政府は二つの大胆な政策を断行します。

●版籍奉還(はんせきほうかん):

1869年(明治2年)、薩摩、長州、土佐、肥前の各藩主は、自らの土地(版)と人民(籍)を朝廷に返上しました。この動きは、他の藩にも広がり、新政府が名目上、国土と人民を支配する権限を得る第一歩となりました。

●廃藩置県(はいはんちけん):

1871年(明治4年)、新政府は全国の藩を廃止し、を設置して、中央から派遣された知事が統治するシステムに移行しました。これにより、藩という独立した経済・軍事単位が消滅し、新政府は名実ともに日本の統治権を確立しました。この政策は、地方の抵抗を招く可能性があったため、新政府は士族への家禄(かろく)を保証する形で、財政的な補償を行いながら実行されました。

 

3. 国家財政の基盤確立

廃藩置県によって財政権を確立した新政府は、徴税制度を統一し、富国強兵のための資金を確保し始めます。この時期に確立された財政システムは、その後の日本の近代化を支えることになります。

この章は、単に政治的な権力移動を描くのではなく、「国家」という枠組みを経済的にいかにして作り上げたかという視点から、明治維新の核心に迫っています。

 

 

■第六章 殖産興業と富国強兵

この章では、明治新政府が国家の近代化と自立を目指すために掲げた**「殖産興業」と「富国強兵」**という二大国策の経済的側面を、猪瀬氏が詳細に解説しています。これは、欧米列強に追いつき、不平等条約を改正するための経済的基盤を確立する過程でした。

 

1. 殖産興業:国家資本主義の始動

明治新政府は、日本に近代産業を育成するために、政府が主導する国家資本主義を推進しました。

●官営工場の設立:

政府は、紡績、製鉄、造船、鉄道といった主要産業において、官営工場を次々と設立しました。例えば、富岡製糸場は官営模範工場として、西洋の技術を導入し、日本の主要な輸出品となる生糸の生産を近代化しました。これは、民間だけでは巨額の初期投資が困難だったため、政府が率先して産業の礎を築いたものです。

●技術導入と人材育成:

殖産興業を推進するため、政府は積極的にお雇い外国人を招き、最新の技術や知識を導入しました。同時に、岩倉使節団を派遣して欧米の産業や経済システムを学び、帰国した人材が日本の近代化を担いました。

これらの政策は、日本の産業構造を大きく変え、海外との貿易で利益を上げるための基盤となりました。

 

2. 富国強兵:軍事と経済の連動

殖産興業と並行して進められたのが「富国強兵」です。これは、単に軍事力を強化するだけでなく、そのための経済的基盤を築くことを意味しました。

●軍事費の確保:

鉄道や電信といったインフラ整備は、産業の発展を促すだけでなく、有事の際の迅速な軍隊の移動や情報伝達にも役立つものでした。政府は、地租改正によって安定した税収を確保し、その多くを軍事費に充てました。

●近代的な軍隊の創設:

徴兵制を導入し、各藩の武士による旧態依然とした軍隊から、国民からなる近代的な軍隊を創設しました。これにより、全国一律の軍事力が確立され、対外的にも強固な国家体制をアピールできるようになりました。

 

■まとめ

「第六章 殖産興業と富国強兵」は、明治新政府が、経済と軍事を一体のものとして捉え、国家の富を増やすことで軍事力を高め、その軍事力で国家の独立を守るという戦略をいかにして実行したかを明らかにしています。この章は、日本の近代化が、単なる技術導入や制度改革ではなく、緻密な経済戦略に基づいていたことを示唆しています。

 

 

■第七章 岩倉使節団と金融

この章では、1871年(明治4年)に派遣された岩倉使節団の欧米訪問を、従来の歴史観とは異なる**「金融と経済の視点」**から掘り下げています。猪瀬氏は、使節団が不平等条約改正の交渉だけでなく、欧米の近代的な金融システムや産業の仕組みを学ぶことを最大の目的としていたことを明らかにします。

 

1. 欧米の金融システムへの衝撃

使節団のメンバー、特に大久保利通や伊藤博文らは、欧米の国々を訪問する中で、日本の経済構造との根本的な違いに衝撃を受けます。

●統一された貨幣制度:

欧米各国では、中央銀行が発行する統一された貨幣が流通しており、経済活動が円滑に行われていました。これは、未だに藩札の回収と新貨幣の普及に苦心していた当時の日本にとって、極めて重要なモデルでした。

●銀行制度の役割:

使節団は、欧米の銀行が、単なる資金の貸し借りを行うだけでなく、産業への投資を通じて国家経済を支えていることを学びました。彼らは、銀行が産業革命を支える上で不可欠な存在であることを認識します。

●株式会社の仕組み:

欧米で広く普及していた株式会社の仕組みも、彼らにとっては新鮮な発見でした。多くの人々から少額の資金を集め、それを元に大規模な事業を行うという仕組みは、日本の資本不足を解決する糸口となる可能性を秘めていました。

 

2. 帰国後の金融改革

使節団の帰国後、彼らが持ち帰った知識は、日本の近代化政策に大きな影響を与えました。

●国立銀行条例の制定:

大久保利通らが中心となって、1872年(明治5年)に国立銀行条例が制定されます。これは、米国国立銀行制度を参考に、紙幣の発行権を持つ銀行を全国に設立し、貨幣流通を統一しようとするものでした。この政策は、後の日本銀行設立へとつながる金融改革の第一歩となりました。

●殖産興業への資金供給:

新たに設立された銀行は、殖産興業を推進するための資金を供給する役割を担いました。政府が官営工場を設立するだけでなく、民間の事業にも銀行を通じて資金が流れ込むようになり、日本の産業全体が活性化していきました。

 

■まとめ

「第七章 岩倉使節団と金融」は、岩倉使節団の旅が、単なる視察や外交交渉の場ではなく、**日本の近代化の方向性を決定づけた「金融の学びの旅」**であったことを強調しています。この章は、日本の近代国家が、欧米の金融システムをモデルとして、いかにしてその経済的基盤を構築していったかを明らかにしています。

 

 

■第八章 西南戦争

この章では、日本最後の内戦である西南戦争を、単なる士族の反乱としてではなく、明治新政府の財政基盤を揺るがす危機として捉え、その経済的側面を分析しています。

 

1. 士族の不満と財政的な背景

西南戦争の直接的な原因は、征韓論を巡る政治対立と、新政府が推進した一連の改革によって職を失った士族(旧武士階級)の不満でした。

●秩禄処分(ちつろくしょぶん):

 新政府は、財政の安定を図るため、旧藩主や士族に支給していた家禄(かろく)を廃止し、一時金(金禄公債)に切り替えました。これは、新政府にとっては年間予算の30%近くを占める巨額の財政負担を軽減するための不可欠な政策でしたが、多くの士族にとっては生活の基盤を失うことを意味しました。

●経済的困窮:

禄を失った士族の多くは、商売や農耕といった新しい仕事に馴染めず、経済的に困窮しました。彼らの不満は、政府に対する強い反発となり、西郷隆盛を精神的支柱として蜂起するエネルギーとなりました。

 

2. 戦争費用と新政府の財政危機

西南戦争は、士族の反乱としては史上最大規模のものであり、新政府に莫大な軍事費負担を強いました。

●紙幣増発:

戦争を遂行するために、政府は莫大な戦費を調達する必要に迫られました。しかし、十分な税収がなかったため、政府は**不換紙幣(兌換の保証がない紙幣)**を大量に増発しました。

●インフレーション:

この紙幣増発は、急激なインフレーション(物価の上昇)を引き起こし、国民生活に深刻な打撃を与えました。政府の財政は破綻寸前の状態に陥り、近代国家の存立そのものが危ぶまれる事態となりました。

 

3. 西南戦争後の財政再建

西南戦争は、新政府が軍事力で勝利したものの、財政的には大打撃を受けました。この危機を乗り越えるため、政府は松方正義を大蔵卿に据え、松方デフレと呼ばれる緊縮財政政策を断行することになります。

この章は、西南戦争が単なる内乱ではなく、近代国家の財政基盤が試された最初の大きな危機であったことを示しています。

 

 

おわりに

猪瀬直樹の著作『黒船の世紀』の「おわりに」では、これまでの章で展開されてきた「黒船の世紀」というテーマを総括し、日本の近代化を経済と金融の視点から捉え直すことの重要性を改めて強調しています。

 

1. 現代に通じる「危機への対応」

猪瀬氏は、幕末から明治維新にかけて日本が直面した危機、特にペリー来航という外圧とそれに伴う経済的混乱が、現代の日本や世界の状況と共通する点があると指摘しています。

●情報と経済の重要性: 鎖国下で世界の情報に乏しかった日本が、開国を迫られた際に、いかにして海外の情報を収集し、それを基に国家の進路を決定していったか。そして、その判断が、軍事力ではなく、貨幣制度や金融、産業といった経済的な基盤を整えることに重点を置いた点が、現代における国際競争やグローバル経済への対応を考える上で重要な教訓となると述べています。

 

2. 人物評価の再構築

本書を通じて、猪瀬氏は、西郷隆盛や高杉晋作といった歴史上の人物を、単なる政治家や軍人としてではなく、優れた経済感覚や組織運営能力を持ったリアリストとして再評価しています。彼らが、理想だけでなく、現実的な財政問題や資金調達にどのように向き合ったかを描くことで、従来の歴史観とは異なる人物像を提示しています。

 

3. 歴史から学ぶ未来への視点

「おわりに」は、単なるまとめで終わるのではなく、読者に対して、歴史を「事実の羅列」としてではなく、「なぜ、その出来事が起こったのか」という経済的な因果関係から読み解くことの重要性を説いています。

猪瀬氏は、黒船の襲来という危機が、日本を近代的国家へと導く原動力となったように、現代の日本が直面する様々な課題も、歴史から学び、経済的リアリズムをもって解決していくことの必要性を訴え、締めくくっています。




日本の作家、政治家 猪瀬 直樹氏

猪瀬 直樹(いのせ なおき、1946年〈昭和21年〉11月20日 - )は、日本の作家、政治家。日本維新の会所属の参議院議員。日本維新の会国会議員団参議院幹事長。妻は女優、画家、映像作家の蜷川有紀。長野県出身。『ミカドの肖像』で大宅壮一ノンフィクション賞受賞。道路公団民営化推進委員会委員、地方分権改革推進委員会委員、日本文明研究所所長。東京都副知事、東京都知事(第18代、1期)、大阪府市特別顧問、東京工業大学世界文明センター特任教授、東京大学大学院人文社会系研究科客員教授、国際日本文化研究センター客員教授を歴任した。








「江戸を知る」竹内誠著

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