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「あいまいな日本」の呪縛解こう
麗澤大学准教授 ジェイソン・モーガン
全くその通りですね。
どうしようもない日本の政府、メディア、教育。
溜息ばかりです。
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麗澤大学准教授 ジェイソン・モーガン氏 |
ジェイソン・モーガンは、1977年生まれ。 アメリカ合衆国ルイジアナ州出身。麗澤大学 国際学部 准教授。専門は日本史、法社会学史。
「あいまいな日本」の呪縛解こう 麗澤大学准教授 ジェイソン・モーガン
歴史から目を背けず
終戦から78年がたったが、広島、長崎への原爆投下や終戦の日をめぐるメディアの報道が具体性に欠けた気がする。
1945年8月6日に、米軍B―29爆撃機「エノラ・ゲイ」(機長ポール・チベッツ大佐)から広島市の中心にある太田川を渡るTの字の形をする相生橋の上に、「リトルボーイ」という渾名(あだな)を持つ原爆が投下された。
同月9日、B―29爆撃機「ボックスカー」(機長チャールズ・スウィーニー少佐)から「ファットマン」という原爆が長崎市の三菱工場の上に投下された。
原爆投下の前に米軍は、日本各地の都市を焼夷(しょうい)弾などで空襲した。原爆投下や大空襲などの結果として、70万人以上の日本人の非戦闘者が亡くなった。先の大戦で日本列島で誰が、誰を殺したのか、はっきりしているのだ。
しかし、今年8月、以上のような史実がどこかへと吹っ飛ばされたような気がしてならない。日本の新聞やテレビなどを見ると、いったい誰が大空襲、原爆投下をやったのか、霧に包まれた謎のように言葉を濁される。広島や長崎で、たまたま天から降りた原爆が「平和」に対して攻撃したと言うかのような番組もあった。
連合国軍総司令部(GHQ)による占領についてもその中身はあいまいだ。占領軍が日本国民に対して情報戦を繰り広げ、日本人を洗脳した結果、大戦で命を落とされた英霊を忘れるように日本国民が誘導された。だが、主流メディアで一切無視されるのだ。
主なメディアは米国の罪と日本人の苦しみをぼやかしているとしか言いようがない。誰が日本人の頭の上に鉄の雹(ひょう)の嵐のように爆弾を落としたか、誰が「無条件降伏」という政策を推したのか、誰が戦後日本人を洗脳したのか、誰が戦後憲法で日本を永遠に弱体化したのか、口にチャックして沈黙を保つ戦後日本のメディアは、あいまいすぎるのだ。
依存の意識捨てられず
メディアだけではない。戦後78年たっても、ワシントンが「同盟国」とする日本の国民に、広島、長崎や他にも数多くの日本の町に住む国民を無差別に殺戮(さつりく)したことを一度も謝ったことがない。米大統領が広島などを訪れても、日本の中から、反省しろ、謝れ、日本の罪のない子供やお年寄りなどを皆殺しにしたことで土下座しろ、誰もそう叫んでいない。
日本には、水に流すという、戦いが終われば相手を憎まない美徳がある。しかし、歴史から目を背けることとは違う。敵を許すことは確かに日本の素晴らしい美徳だが、戦後日本人は、そもそも敵が罪を犯したこと自体を語っていない。心に閉じ込められている過去のことまで許しが届かない。
日本の中に自国をことさら悪く描く自虐史観が蔓延(まんえん)し、過去に米国が日本に対して行った残酷なことがタブー化されている。これは美徳どころか、残念すぎる。
そのせいで日本人がさらなる被害を味わっているに違いない。戦後日本で元敵の名前が語られない限り、戦後の呪縛から解放されない。結果、劣等感で刷り込まれた戦後日本人は、先祖に対してジェノサイド(民族大量虐殺)を犯した同じ元敵に対して対等感が持てない、その元敵に自国の防衛で依存するのをやめられない。
先の大戦での敵国からきた、長年日本に滞在している私は、以上の歴史の真実について申し訳ないと思っていることは事実だが、戦後日本の大戦に対するあいまいさが非常に危ないとも思っている。
過去のことについてはっきり語れない日本の戦後コンプレックスが、2023年のいま、独裁者がこれから起こす次の戦争の備えへの妨げになっているのではないかと懸念している。
戦後の呪縛から解放されない日本は、新しい敵に対しても手足を縛られている。
真実をはっきり口にし備える
今年亡くなった作家、大江健三郎が1994年のノーベル文学賞受賞講演で語った「あいまいな日本の私」が心に浮かんできた。その講演の題名は68年にノーベル文学賞を受賞した川端康成の「美しい日本の私」から取られた。大江は、川端の日本観も「あいまい」だったというのだが、そうだろうか。私は川端のその講演の中で登場する曹洞宗の開祖、道元禅師の名詩がヒントだと思う。
「春は花、夏ほととぎす、秋は月、冬雪さえてすずしかりけり」は、密教的な意味に満ちていると大江は指摘する。だが、道元は、物事を直接に指して、花、ほととぎすなど名前をはっきりと言う。飾らず、まわりくどくなく、あいまいにせず、真実をはっきりと口にすることが、道元が、あいまいな日本の私たちに教えてくれている教訓だと思う。
大戦で敵が誰だったのか、その敵が何をやったのか、はっきり語り冷静に教訓としよう。どっちつかずの「あいまいな私」の呪縛から解かれた日本には、今の敵は誰なのかがはっきり見えてきて、その敵から日本を守る準備を急げると期待したい。