本を読んだ後に、読後画像を制作しています。
夫の後始末 曾野綾子
夫三浦朱門氏が亡くなった後の心情を淡々と綴るこの本は、非常に感銘を受けました。
好きな作家のひとりです。
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夫の後始末 曾野綾子著 |
不法な現状と闘うには、
知恵と柔軟性と、世間の常識を一切気にしないというやり方しかないことを発見した。
「そんなことでは、人は死なない」・・これは応用の利く、いい言葉だった。
彼の死後、私が望んだのは、生活を変えないということだった。人間はたかだか、百年しか生きない・・初めから百年目を生きていたわけではない。その人は、年を重ねるごとに、今の生活を創り上げていったのだ。だから死の直前に見た自分の生活が、歴史に裏うちされて、最もその人にとって見馴れ、安定した光景だろう。だから私は、夫の生前の生活をそのまま継続することに、少し固執した。
朱門が亡くなって四カ月過ぎたころ、書類戸棚に十二万円の紙幣を発見した。三浦半島で一匹の猫を買った。「直助」は我が家の一員になった。スコティシュフォールド。意外性に富んだ楽しいものだった。地球の物理的な力学のような感じだ。
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作家 曾野綾氏 |
曾野綾子(その あやこ、1931年(昭和6年)9月17日 - )は、日本の作家。「曾野」表記もある。本名は三浦知壽子。旧姓、町田。夫は三浦朱門。カトリック教徒で、洗礼名はマリア・エリザベト。聖心女子大学文学部英文科卒業。『遠来の客たち』が芥川賞候補に挙げられ、出世作となった。以後、宗教、社会問題などをテーマに幅広く執筆活動を展開。エッセイ『誰のために愛するか』はじめベストセラーは数多い。近年は生き方や老い方をテーマとしたエッセイが多く、人気を集めている。保守的論者としても知られる。大学の後輩である上皇后美智子とは親交が深く、三浦の生前から夫婦ぐるみで親しかった。上皇后(天皇)夫妻が葉山で静養する折、夫妻で三浦半島の曽野の別荘を訪問することも多い。日本財団会長、日本郵政取締役を務めた。日本芸術院会員。文化功労者。