2023年2月28日火曜日

「異端の人間学」 五木寛之・佐藤優 共著

 本を読んだ後に、読後画像を制作しています。


異端の人間学 五木寛之・佐藤優 共著

2022年2月のロシアのウクライナ侵攻後に読んだこの本は、非常に興味深い内容でした。



作家 五木寛之氏

五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年〈昭和7年〉9月30日 - )は、日本の小説家・随筆家。福岡県出身。旧姓は松延(まつのぶ)。日本芸術院会員。少年期に朝鮮半島から引揚げ、早稲田大学露文科中退。作詞家を経て『さらばモスクワ愚連隊』でデビュー。『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞受賞。反体制的な主人公の放浪的な生き方(デラシネ)や現代に生きる青年のニヒリズムを描いて、若者を中心に幅広い層にブームを巻き起こした。その後も『青春の門』をはじめベストセラーを多数発表。1990年代以降は『大河の一滴』など仏教、特に浄土思想に関心を寄せた著作も多い。


作家 佐藤優氏

佐藤 優は、日本の作家、外交官。同志社大学神学部客員教授、静岡文化芸術大学招聘客員教授。学位は神学修士。 在ロシア日本国大使館三等書記官、外務省国際情報局分析第一課主任分析官、外務省大臣官房総務課課長補佐を歴任。その経験を生かして、インテリジェンスや国際関係、世界史、宗教などについて著作活動を行なっている。東京都渋谷区生まれ。1975年、埼玉県立浦和高等学校入学。高校時代は夏に中欧・東欧(ハンガリー、チェコスロバキア、東ドイツ、ポーランド)とソ連(現在のロシア連邦とウクライナ、ウズベキスタン)を一人旅する。同志社大学神学部に進学。同大学大学院神学研究科博士前期課程を修了し、神学修士号を取得した。1985年4月にノンキャリアの専門職員として外務省に入省。5月に欧亜局(2001年1月に欧州局とアジア大洋州局へ分割・改組)ソビエト連邦課に配属された。1987年8月末にモスクワ国立大学言語学部にロシア語を学ぶため留学した。1988年から1995年まで、ソビエト連邦の崩壊を挟んで在ソ連・在ロシア日本国大使館に勤務し、1991年の8月クーデターの際、ミハイル・ゴルバチョフ大統領の生存情報について独自の人脈を駆使し、東京の外務本省に連絡する。アメリカ合衆国よりも情報が早く、当時のアメリカ合衆国大統領であるジョージ・H・W・ブッシュに「アメイジング!」と言わしめた。佐藤のロシア人脈は政財界から文化芸術界、マフィアにまで及び、その情報収集能力はアメリカの中央情報局(CIA)からも一目置かれていた。日本帰任後の1998年には、国際情報局分析第一課主任分析官となる。外務省勤務のかたわら、モスクワ大学哲学部に新設された宗教史宗教哲学科の客員講師(弁証法神学)や東京大学教養学部非常勤講師(ユーラシア地域変動論)を務めた。




「異端の人間学」 五木寛之・佐藤優 共著



野蛮で残酷、時に繊細で芸術的に過剰なまでの情熱を傾けるロシア人。日本と近く、欧米に憧れて近代化してきたという似通った過去を持つ。だが私たちは、隣国の本性を知っていると言えるのか。欧米中心のヘゲモニーが崩れつつある今、世界はロシアが鍵の一つを再び握った。ロシアを知り理解し得なければ、今後日本は生き残れない。1960年代からソ連・ロシアと深く関わってきた二人の作家が、文学、政治経済、宗教他あらゆる角度からロシアを分析。人間とは、国家とは、歴史とは、そして日本人とは何かを浮き彫りにしたスリリングな知の対論です。


ロシアの冷血を、剝き出しの人間性を、日本人は何も知らない。ロシアの逆襲が再び始まった。

●いわゆる「坂の上の雲」を目指した時代から、日本人がどれだけロシアを意識し、ロシアのクッションとしての満州を意識し、そこに夢を託したか。それ抜きに日本の近現代は見えて来ない・・五木

●アメリカの新自由主義的な幼稚性は、ソ連崩壊と無縁ではありません。共産主義の脅威がなくなり、世界全体が弱肉強食になってしまった。・・佐藤


■二人のこの言葉、印象的でした・・良かったです。









2023年2月26日日曜日

鶏と大根のカレー煮


■作家 曾野綾子氏の助言

老年になれば、妻と死別したり、妻が急に入院したりする可能性が出てくる。そのために、簡単な掃除、洗濯、料理ぐらいができない男というのも、賢い生き方とは言えない。


酒の肴づくり

鶏と大根のカレー煮


スパイシーなカレーがからんだ大根にはかつおだしと鶏肉の旨みがしみ込んでうまい!。 



鶏と大根のカレー煮


鶏肉と大根が合いますね。








2023年2月25日土曜日

「拓郎よ、フォーエバー」


オートシェイプ画は、Excelで面と線の積み重ねで描くイラストです。なかなか面白い絵が描けます。 主に、猫・JAZZミュージシャン・POPミュージシャン・野鳥・花・人物・ポスター画等のオートシェイプ画を制作しています。


2022年9月の、産経新聞「モンテーニュとの対話」に、文化部の桑原聡氏による、現役引退する拓郎についての感想文が載っていましたので書き起こして掲載します。

「拓郎よ、フォーエバー」 

私の好きなミュージシャンです。


非常に共感できる、思わず「そうだよね」という内容でしたので、雑記に掲載しておくことにしました。

画像はたまたま6月に描いた「Takuro」のオートシェイプ画イラストです。



Takuro 2022年/6月


拓郎よ、フォーエバー


上手下手の次元を超えた歌い手


この夏は車を運転するたびに、吉田拓郎のベストアルバム「PENNY LANE」をかけて、一緒にシャウトしていた。ときに鳥肌が立ち、ときに若いころに別れた女のことが脳裏に浮かぶ。昭和45年のデビューから30年にわたって発表してきた楽曲から35曲を選び2枚のCDに収めたものだ。


ひさしぶりに拓郎の歌にどっぷりと浸り、一緒に歌いながら改めて思った。彼ほど説得力を持った歌い手はほかにいない、上手下手という次元をはるかに超えた特別な歌い手であると。自身の詞であろうと岡本おさみや松本隆の詞であろうと、彼がそれに潔いメロディー(ハ長調であれば、ドレミファソラシドだけでメロディーを紡ぎ、思わせぶりな半音を紛れ込ませない)を付けて畳みかけるように歌えば、その言葉は強力な説得力をもって個々の聴き手の心を揺さぶる。それだけではない。人と違う感じ方、ものの見方に価値を見いだす現代の日本人が忘却してしまった感のある「連帯」への扉を開く。


拓郎と同い年の岡林信康は「私たち」と歌ったが、拓郎は「私」と歌った。「連帯」を求めた岡林に対して、「私たち」なんて幻想に過ぎない、と言わんばかりに、徹底して個にこだわった。それなのに・・・面白い逆説ではないか。


モンテーニュは第2巻第18章「嘘について」にこう書いている。


《言葉こそ我々の意志や思想が相互に通いあうための唯一の道具であり、我々の霊魂の代弁者である。これを失っては、我々はもう手をつなぐことも知り合うこともできない》(関根秀雄訳)


拓郎が吐き出す言葉には嘘がない。そこには魂の言葉がある。だからこそ、たとえば、50年8月2日から3日にかけて行った静岡県掛川市のつま恋多目的広場での野外オールナイト・ライブに6万人以上もの若者が集まったのだ。 


何度聴いても鳥肌立つ名曲2つ


嘘といえば、この曲を忘れるわけにはいかない。50歳を目前に極度のスランプに見舞われ、自分の歌ってきたことがすべて嘘っぱちであると感じるようになり、そう公言すらするようになった拓郎は、中島みゆきに思いを吐露して楽曲の提供を依頼した。平成7年のことだ。


拓郎がデビューした年の前後、日米安全保障条約の自動延長を阻上しようとした安保闘争が起こった。拓郎自身は明確な政治的イデオロギーを持っていたわけではないが、「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」と歌う「イメージの詩」にはその時代の気分が色濃く滲む。その少し後のやるせない気分を漂わせた「祭りのあと」は、安保闘争敗北後の空気を歌ったものだ。そうした背景をもつ拓郎に、みゆきは、まさに渾身の名曲を提供する。「永遠の嘘をついてくれ」である。


そこには、「あなたの歌に心を揺さぶられてきたのに、その歌が嘘だったなんて言わないでくれ、嘘なら嘘で構わない、ならば永遠の嘘をついてくれ」という叱咤の気持ちがこめられている。それだけではない。安保闘争での敗北を機に、日和って日本で小市民として生きている人物が、革命幻想を捨てることなく海外に逃走した過激派とおぼしき友人に寄せる思いが重ねられている。何度聴いても鳥肌が立つ。この曲をきっかけに拓郎は復活する。みゆきに感謝するしかない。


このベストアルバムには、もう1曲、鳥肌が立つ作品がある。「アジアの片隅で」だ。詞は岡本おさみ 。55年に発表したアルバム「アジアの片隅で」のタイトル曲で、拓郎作品のなかで最重量級といえるものだ。「女まがいの唄」があふれる時代に、拓郎は政治腐敗、戦争、経済優先、人間疎外、倫理崩壊、権利主張などに対する苛立ちを、レゲエの重たいリズムに乗せて畳みかけるように歌う。いや、「歌う」というより「叫ぶ」だ。


拓郎の叫びは、出口の見えぬウクライナ戦争のさなか、夜な夜なウイスキーを飲んで酔っぱらっている私の心に痛いくらいに突き刺さる。今宵もまた、アジアの片隅の小さな島国の半島の片隅に暮らす私は、性懲りもなく酒を飲みほすはずだ。 


同時代を生きた幸運を抱きしめる


拓郎作品については、それぞれが自分なりのベスト10をお持ちかと思う。それは年齢を重ねたり、環境が変化したり、はたまたその日の気分によって変動するだろう。この原稿を書きながら、ベストアルバムに収められた35曲のなかから、前期高齢者になる直前の自分が何を選ぶか、記録しておくのも面白いのではないかと思いついた。結果は次の通り。


① 「イメージの詩」

② 「永遠の嘘をついて」

③ 「人生を語らず」

④ 「流星」

⑤ 「外は白い雪の夜」

⑥ 「アジアの片隅で」

⑦ 「落陽」

⑧ 「春だったね」

⑨ 「マ‐ ―クⅡ」

⑩ 「シンシア」


どれも宝石のような作品だ。拓郎と同じ時代を生きることができた幸運を抱きしめなくてどうする、そんな思いでこのリストを眺めている。


その拓郎が、今年限りで音楽活動から身を引く。近年、時代の非情な流れをもっとも強く感じる二ュースだった。「最後のアルバム」と拓郎が言う「ah-面白かった」を買い、じっくりと聴いてみた。 

字余り、字足らずの歌詞を、潔いメロディーに乗せて歌う拓郎節は、ここでも.健在だった。もちろん全盛期のノリやエッジの鋭さはないが、その歌声は、76歳とはとても思えない。関わってくれた人々とファン、何よりも音楽への感謝の気持ちが込められ、アルバム全体を通して、自分の人生を「ah-面白かった」と総括する内容だ。


音楽性も多彩だ。ロツクンロールやファンク、ラテン、フラメンコ、ブルースを取り入れるなど、まったく退屈させない。中でも子供のころ病弱だった自分の人生を振り返った「Contrast」は、拓郎らしい名曲だと思う。そして最後に収められたタイトル曲には思わず涙がこぼれた。勝手なことを言わせてもらうなら、ボブ・ディランとどちらが長く歌っていられるか競争してほしかった。52年間、ありがとう。敬称略(文化部 桑原聡)



こちらのイラストは、今年に入って描いた修正版、「拓郎」です。



2023年修正版 拓郎









2023年2月24日金曜日

人が死ぬ如く国も亡ぶ

 

最近、新聞コラムで学んだこと

人が死ぬ如く国も亡ぶ 

文芸評論家 富岡幸一郎氏


文芸評論家 富岡幸一郎氏

冨岡 幸一郎(とみおか こういちろう、1957年(昭和32年)11月29日 - )は、日本の文芸評論家。1979年(昭和54年)、大学在学中に書いた評論「意識の暗室 埴谷雄高と三島由紀夫」が第22回群像新人文学賞評論部門の優秀作を受賞する。1991年(平成3年)にドイツに留学し、同じ頃に住まいを都内から鎌倉に移した。関東学院大学文学部比較文化学科教授、関東学院大学図書館長、鎌倉文学館館長。日本を愛するキリスト者の会理事。



人が死ぬ如く国も亡ぶ 富岡幸一郎氏

安倍晋三元首相の銃撃死については、「民主主義への挑戦」「全体主義社会の到来」などと評論されることが多いが、いずれにも大きなずれを感じている。

あの事件は政治的な背景のあるテロではない。もちろん世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の問題でもない。新自由主義がもたらした極端な格差や相対的貧困などへの絶望が末期的に発露した暴力だ。過去には、秋葉原通り魔事件や京都アニメーション放火殺人事件などでも見られたものだ。思想家のキルケゴールが『死に至る病』で挙げた「個」を肥大化させ、社会に責任転嫁させた形の絶望であり、そこに「公」に対する批判や改革志向は存在しない。

対照的なのは作家、三島由紀夫が東京・市谷の陸上自衛隊施設で憲法改正、つまり戦後体制からの脱却という「公」に通じる明確な訴えを掲げて自刃した「三島事件」だろう。しかし事件は衝撃こそ与えたものの、三島のメッセージはタブーとされ、等閑視され続けた。その一方で、旧統一教会を巡る問題は、霊感商法や多額の献金などが耳目を集め続け、「救済法」が成立するまでに至った。

「個」の絶望が社会に影響を与えるに至ったのは、自民・公明両党などへの攻撃材料になる、要は政局とされたことがあるだろう。さらに世論も「空気」にのまれてしまっている。

日本人は宗教への健全な感受性を喪失し、無自覚な無神論者になつている。背景には連合国軍最高司令官総司令部の神道指令による「政教分離」の強制が一ある。「個」を超えた超越的な価値観と結びつかなければ宗教感覚は存在し得ない。そうした態度を立て直すことなく自らなし崩し続けたのが戦後社会だ。魂の腐敗は極まっている。

人が死ぬ如く国も亡ぶー。これは評論家の江藤淳『日本よ、亡びるのか』(文芸春秋)の帯文に寄せた言葉だが、安倍氏の悲劇的な死を受けた現状を象徴しているように思えてならない。そんな中、国葬で多くの若者が献花に列をなしたことは、国家やそれを支える中間共同体の再建が必要だという意識のあらわれではないだろうか。そこに希望は感じている。(談)


■江藤淳氏の「人が死ぬ如く国も亡ぶ」は、凄い言葉です。
『「個」を超えた超越的な価値観と結びつかなければ宗教感覚は存在し得ない。そうした態度を立て直すことなく自らなし崩し続けたのが戦後社会だ。魂の腐敗は極まっている。』の提起も奥が深いですね。








2023年2月23日木曜日

禅の教え「日常の心構え」

 

私が、「日常の心構え」としている

禅の教え


■やることを楽しむ

■季節の移ろいを感じる

■足ることを知る

■感謝の思いを伝えていく


鎌倉浄妙寺

人生の日々の確認事項として、ピックアップしたものですが、

いずれも単純ですが、奥が深い言葉です。

画像にまとめ、パソコンのデスクトップに貼り付けて、時折確認しています。


北鎌倉明月院

下記は、道元禅師の言葉ですが、素直に感じられる毎日です。


●曹洞宗 道元禅師のことば

春は花 
夏ほととぎす 
秋は月 
冬雪さえて冷しかりけり

春には命がいっせいに芽吹き、
夏はさんさんとした太陽の下で一生懸命活動し、
秋には静かに落ち着き、
厳しい冬に引き締められ、
また新しい春がやってくる。








2023年2月22日水曜日

2016年~2018年のイラスト特集


オートシェイプ画は、Excelで面と線の積み重ねで描くイラストです。なかなか面白い絵が描けます。 主に、猫・JAZZミュージシャン・POPミュージシャン・野鳥・花・人物・ポスター画等のオートシェイプ画を制作しています。


オートシェイプ画イラスト制作。

2016年から2018年に描いたイラスト特集75点


ミュージシャン 15点

動物 15点

植物 15点

世界の猫 15点

その他 15点


2016年から2018年の3年間に描いたイラストの中で、

面白いものだけ75点をピックアップして、特集にしてみました。



ミュージシャン 15点



動物 15点



植物 15点



世界の猫 15点



その他 15点



今みると、初期の絵はかなり単線で幼稚ですが、それでも想い出深い75点です。








2023年2月21日火曜日

帷子川の大鷭(おうばん)

 

散策路 帷子川の野鳥  

大鷭(おうばん)

今年も大鷭(おうばん)に会いました。

ツル目クイナ科オオバン属に分類される鳥類の一種だそうです。



2021/01/02撮影の大鷭

2021/01/02撮影


帷子川の大鷭は、2021年1月に会って以来、毎年1月に撮影しています。
ひょこひょこと、いつも忙しく動き回っています。
子供の大鷭もかわいいです。


2022/01/22撮影

2022/01/02撮影の大鷭



2023/01/02撮影

2023/01/02撮影の大鷭


日本では夏季に北海道(夏鳥)、本州、九州で繁殖し、冬季になると本州以南で越冬します(冬鳥もしくは留鳥)。
全長32-39cm。翼開張70-80 cm。和名はバンよりも大型であることに由来します。頭部や頸部は黒い羽毛で被われ、頭頂や後頸には光沢があります。胴体は灰黒色の羽毛で被われ、上面は青みがかっています。








2023年2月20日月曜日

欲張りすぎ

 

今日は朝から、先日訪れた浄智寺の「書院と中庭」の写真を見ながら反省しています。

やることが「欲張りすぎ」でパンク状態です。イラスト制作と音楽・読書活動ができません。



浄智寺 書院・中庭


昨年12/15よりブログを始めて以来、他のWeblogサイト3つと、投稿記事が重複して作業が追いつかない事態に陥ってしまい、またそれによって他の趣味の制作物がストップしてしまいました。

欲張り過ぎて「本末転倒」の状態です。

気を取り直して、ブログを含めた4つのサイトの投稿記事の住み分けをおこない、作業が重複しないように調整していますが、欲張りはどこまでも消えず、結局、読書読後画像と展示会雑記だけは2つのサイトで投稿することになりそうです。

もう一つ厄介なのは、新聞コラムで、こちらは他のサイトで全文を掲載しているため、ブログでは掲載しないことにしました。12/15からの新聞コラム記事は削除です。

新しいことをやるのは良いことですが、ほどほどが一番ですね。それも一つの知恵かもしれません。


浄智寺 茶室


ちなみに、他の3つのWeblogサイトは
■鎌倉探訪&四季月記 (鎌倉寺社探訪・オートシェイプ画・四季月記・近現代史記事)
■四季の花&余白の時 (四季の花・写句・俳画・短歌 ・野鳥・風景)
■Auto shape picture Gallery (オートシェイプ画)
となっております。


鎌倉探訪&四季月記 (鎌倉寺社探訪・読書のまとめ・近現代史記事・四季月記)


四季の花&余白の時 (四季の花・写句・俳画・短歌 ・野鳥・風景)


Auto shape picture Gallery (オートシェイプ画)


ブログはは欲張らずに、淡々と投稿するのがコツかもしれません。
基本的には「自分の日記」なのだから。








2023年2月18日土曜日

フィレンツェの記憶

 写真家の浅井慎平氏が提唱している、「Haikugraphy」とは、写真と俳句を一つにして表現した、「写句」です。


フィレンツェの記憶

2月に詠んだ、写句1句。

2021年2月16日に詠んだ句です。


冬日射し

フィレンツェの記憶の街に冬日射し


冬で気に入っているのは、部屋に入る冬日です。

部屋に飾っているのは、お気に入りの、猫とイタリアフィレンツェの街絵。





フィレンツェの記憶

フィレンツェを訪れて泊まったのが山の上のホテルでした。由緒ある家を改装した感じのホテルで、部屋の床は石畳みでした。大きな両開きの窓は古く、デザインされた素敵な窓でした。

気に入って色々と撮影しましたが、その写真がどこかにしっかりしまい込んで見つかりません。

そのホテルで購入したのが、イタリア語の「レオナルドの芸術と科学」という本です。いい本ですね。挿絵があるので眺めていても飽きない本です。大事にしています。


レオナルドの芸術と科学


フィレンツェの街では、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、ドゥオモ、共和国広場、シニョリーア広場、ヴェッキオ橋等を観てまわり、イタリアの文化に打ちのめされて、駅に戻る途中の街中の名前もわからないお店で買ったのだが、このフィレンツェの街絵2点です。

フィレンツェ・パノラマ


フィレンツェポンテS.トリニータ


最近翻訳したら、「フィレンツェ・パノラマ」と「フィレンツェポンテS.トリニータ」と書いてありました。

何となく気に入って、リビングと書斎にそれぞれ、一枚づつ大事に飾っています。

しかし、フィレンツェの街には感動しました。凄かったな・・。
若い頃に訪れた時の感想です。


■フィレンツェはイタリアのトスカーナ州の州都であり、ルネサンス時代の数多くの傑作と建築で知られています。その代表的な観光スポットのひとつが、ブルネレスキの設計によるテラコッタ タイル張りのドームと、ジョットの鐘楼で有名なドゥオーモ(大聖堂)です。アカデミア美術館にはミケランジェロの「ダビデ像」、ウフィツィ美術館にはボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」やダヴィンチの「受胎告知」が展示されています。








2023年2月17日金曜日

柊南天の花と馬酔木(あせび)

 

春を感じる花

柊南天の花と馬酔木(あせび)が咲きました。


春の訪れを告げる、親水緑道の花

「柊南天の花」

地味だけど味わいがある素朴な花ですね。

これからもう少し大きく開き始めます。


緑道吊り橋の吊り橋に絡むように咲いていました


緑道吊り橋の元に咲く柊南天

この柊南天を初めて撮ったのが2017年ですが、こんな花があったんだ、という印象でした。それから何故か毎年気になって撮ってしまいます。気になる素朴な花です。

緑道に咲く柊南天


■柊南天の葉はヒイラギ(柊)の葉に似ていて、ナンテン(南天)のような実をつけることから名前が付けられたそうです。中国ヒマヤラから渡来。開花時期は3月~4月。花色は黄色。花が春の季語


緑道の大木の下に咲く柊南天




こちらは、親水緑道の竹藪に絡みながら咲いていた、

「馬酔木(あせび)」

こちらも春の訪れを告げる花です。

葉っぱを食べた馬が酔っ払った「馬酔木」。名前も面白いですね。

枝から吊り下がる釣り鐘型の花もこれからどんどん咲きます。


親水緑道の竹藪の馬酔木


竹林にからむ馬酔木

こちらの馬酔木の花も、2017年から撮り始めました。馬が葉っぱを食べて酔っぱらうから馬酔木?。初めは名前に興味があり、色々調べました。今では春の訪れを告げる花として、毎年撮っています。

緑道の竹をバックに咲く馬酔木


■鈴のような白い花を、枝いっぱいに咲かせるアセビ。アセビとは、ツツジ科・アセビ属に分類される常緑性の低木です。葉や茎に含まれる有毒成分よって「足がしびれる」ことが変化して「アセビ」と名付けられました。別名は葉っぱを食べた馬が酔っ払ったようにふらふらしてしまったことから、馬酔木と名付けられたようです。開花時期は2~4月、ドウダンツツジに似た釣り鐘型の花を茎に連なって咲かせ、枝から吊り下がります。花言葉は、「犠牲」「献身」。万葉集にも詩が詠まれるほど古くから栽培されている低木です。


こちらは緑道吊り橋の側に咲く馬酔木









杏(あんず)と河津桜

 

杏(あんず)と河津桜が、もう咲きました。


私の好きな花

「杏」がもう咲きました。

私の散策路でも毎年一番早く咲く杏です。その他の杏はまだまだこれからですね。

もう春ですね。


散策路の中で一番に咲く杏です


集まって咲く杏

記録によると杏を初めて撮ったのは、2016年です。それから毎年楽しみにしている花のひとつです。散策路の大きな木はもう少ししてから、いつも満開になります。

木の周りにかたまる杏


木の枝の根元の杏


■あんず飴や杏仁豆腐など食用としても人気のあるアンズ。春、桜よりも少し早くピンクの花を咲かせ、初夏にウメによく似た実をつけます。花言葉は、「臆病な愛」「乙女のはにかみ」「疑い」「疑惑」。開花時期は、月~4月。


この杏の低木は固まって咲きます



私の散策路の
「河津桜」も咲きました。

春の花が一気に咲き始めましたね。いつ撮っても河津桜は繊細ですね。
まだまだ、ぼちぼちですが、これから満開まで楽しめます。


私の散策路に咲く河津桜


晴れた空に映える河津桜

ウオーキングの通りの、ベンツのおじさんが大事に育てている河津桜です。このおじさんの庭には他に色々な花があり楽しんでいます。しかし嫋やかで繊細な花ですね。

まだまだこれからですね


■河津桜(かわずざくら)河津桜とは静岡県賀茂郡河津町にて毎年2月上旬から咲き始め3月上旬までの約1ヶ月に渡り咲く早咲きの桜です。花が大きくピンク色なのが特徴のこの桜は本州でも早咲きの種類に分類され開花の過程も楽しめます。花はカンヒザクラとオオシマザクラの自然交配と考えられてます。


なぜか繊細な感じのする河津桜です









万作が咲きました

 

私の好きな花

「万作」が咲きました。

早春の、細長いリボンのような花が好きです。

毎年早春に、この万作の花が咲くと、春の訪れを感じます。

何となく風情があっていいですよね。


細長いリボンのような花、万作


春を告げる花、万作

万作を初めて知ったのはだいぶ遅く、2020年です。アップで撮影したリボンの繊細な様子は、素晴らしいですね。この造形は真似ができません。

春を告げる花、万作


枝がのびる先に万作の花


枝にかたまる万作の花


■万作は、早春に、葉に先立って短い柄の先に、細長いリボンのような黄色の4弁花が数輪ずつ、枝いっぱいに咲きます。
花の名は、その年の初めにまず咲くことからつけられたとも、豊年満作の祈願から名づけられたともいわれています。
花言葉「呪文」「不思議な力」。開花時期は、1月~30月。


万作の花全景









ハービーハンコック ポスター画

オートシェイプ画は、Excelで面と線の積み重ねで描くイラストです。なかなか面白い絵が描けます。 主に、猫・JAZZミュージシャン・POPミュージシャン・野鳥・花・人物・ポスター画等のオートシェイプ画を制作しています。 JAZZピアノ奏者 「Herbie Hncock」ポスター画...