2025年6月26日木曜日

人生の疲れについて 曾野綾子著


 本を読んだ後に、読後画像を制作しています。


人生の疲れについて 

曾野綾子著  


2024/10/30 読了


人はある日、春の落花や秋の落葉のように、そこに在った枝からフッと消えてなくなるような去り方が美しいと思う。

しかし人間は植物ではないのだから、その前に同時代を生きた家族や友人たちと心を分け合う時間を十分に過ごすべきだろう。

人生の終盤には大切のことですね。参考にしたいと思います。




人生の疲れについて 曾野綾子著 
                                                                    


私がいつも確かめたいのは、凡庸な人生の折り返し点だ。

それより先に進んだら、崖から落ちるというラインの手前で、私たちはくるりと踵を返さねばならない。

それを囁いてくれるのが、私の場合「さまざまな疲れ」だった。   


●夫に言われたこと、「大切なことからやりなさい」。●私たちは何事をやるにしても完璧を期してはいけないし、自分はすべてわかっていると思わない方がいい。そしてできれば気が長い方がいい。


●「そんなことでは、人は死なない」、これはなかなか応用の利くいい言葉だった。


●私たちが体験する人生は、何が勝ちで、何が負けなのか、その時々にはわからないことだらけです。


●人間は平等

である、と望んだとしても、現実にはどこまで行っても人間は平等ではありません。


●彼の死後、私が望んだのは、生活を変えないということだった。私はできるだけ変わらないことを、朱門のために自分で選んだのである。


●人はある日、春の落花や秋の落葉のように、そこに在った枝からフッと消えてなくなるような去り方が美しいと思う。しかし人間は植物ではないのだから、その前に同時代を生きた家族や友人たちと心を分け合う時間を十分に過ごすべきだろう。


●私は、食べなくなって死ぬ人間が、一番動物として自然な終焉のように感じられてならない。


●朱門の死後、私は、「生活はそれまで通り」が一番いいという感覚を変えられなかった。幸福というものは、安定と不変に尽きる、という気分にさえなるのである。




作家 曾野綾子氏

曾野 綾子(その あやこ、1931年(昭和6年)9月17日 -2025年〈令和7年〉2月28日 )は、日本の作家。(93歳没)「曾野」表記もある。本名は三浦知壽子。旧姓、町田。夫は三浦朱門。カトリック教徒で、洗礼名はマリア・エリザベト。聖心女子大学文学部英文科卒業。『遠来の客たち』が芥川賞候補に挙げられ、出世作となった。以後、宗教、社会問題などをテーマに幅広く執筆活動を展開。エッセイ『誰のために愛するか』はじめベストセラーは数多い。近年は生き方や老い方をテーマとしたエッセイが多く、人気を集めている。保守的論者としても知られる。大学の後輩である上皇后美智子とは親交が深く、三浦の生前から夫婦ぐるみで親しかった。上皇后(天皇)夫妻が葉山で静養する折、夫妻で三浦半島の曽野の別荘を訪問することも多い。日本財団会長、日本郵政取締役を務めた。日本芸術院会員。文化功労者。






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