2025年4月4日金曜日

芥川龍之介原作 羅生門


邦画を観た後に、鑑賞後画像を作成しています。


映画 羅生門 を鑑賞しました。


原作は芥川龍之介、監督は黒澤明、脚色は黒澤明 橋本忍、主役は三船敏郎 京マチ子 森雅之。

原作は読んでいませんので、内容は映画が初めてです。


くしくも私が生まれた年に制作された映画ですが、その当時の映画としてはよくできているなあ~と感じました。

黒澤明監督が描きたかったものが、そのまま映像になったような映画でした。意図は非常に伝わりました。



映画 羅生門 鑑賞後画像


主役の京マチ子、森雅之はそれなりに演じています。

問題は三船敏郎の演技ですが、最悪だと感じました。演技になっていません。

脇役で光っていたのは、志村喬と千秋実ですが、非常に良かったです。



映画 羅生門 ポスター


映画COM

『羅生門』(らしょうもん)は、芥川龍之介の短編小説。生きるための悪という人間の利己主義を克明に描いている。


羅生門

1950年製作

配給:角川映画

劇場公開日(デジタル完全版):2008年11月29日

その他の公開日:1950年8月26日(日本初公開)


解説

世界にクロサワの名を知らしめた歴史的作品。原作は芥川龍之介の短編「藪の中」。平安時代、都にほど近い山中で貴族女性が山賊に襲われ、供回りの侍が殺された。やがて盗賊は捕われ裁判となるが、山賊と貴族女性の言い分は真っ向から対立する。検非違使は巫女の口寄せによって侍の霊を呼び出し証言を得ようとする、それもまた二人の言い分とは異なっていた……。豪雨に浮き立つ羅生門の造形美、立ち回りシーンの迫力、生き生きとした役者たちの演技などすべてが印象深い作品。ベネチア国際映画祭でグランプリを受賞した、黒澤明の出世作である。米アカデミー協会の全面的バックアップを受け、映像とサウンドを修復した「デジタル完全版」が2008年に公開された。


スタッフ・キャスト

監督 黒澤明

原作 芥川龍之介

脚本 黒澤明 橋本忍

製作 箕浦甚吾 本木荘二郎

撮影 宮川一夫

照明 岡本健一

録音 大谷巖

美術 松山崇

音楽 早坂文雄

三船敏郎

京マチ子

森雅之

志村喬

千秋実

上田吉二郎

本間文子

加東大介


受賞歴

第25回 アカデミー賞(1953年)ノミネート 美術賞(白黒)  

第12回 ベネチア国際映画祭(1951年)受賞 金獅子賞 黒澤明



映画 羅生門 ポスター


とにかく、この上もなく難しい小説を映画にしていますので、非常に難しかったと思いますが、良く表現された映画だと感じました。非常に良かったです。




小説 藪の中 芥川龍之介原作


小説 藪の中 芥川龍之介原作


羅生門
芥川龍之介

芥川龍之介の短編「藪の中」原文

『藪の中』は黒澤明により『羅生門』のタイトルで映画化された。


 ある日の暮方の事である。一人の下人げにんが、羅生門らしょうもんの下で雨やみを待っていた。
 広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、所々丹塗にぬりの剥はげた、大きな円柱まるばしらに、蟋蟀きりぎりすが一匹とまっている。羅生門が、朱雀大路すざくおおじにある以上は、この男のほかにも、雨やみをする市女笠いちめがさや揉烏帽子もみえぼしが、もう二三人はありそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。
 何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風つじかぜとか火事とか饑饉とか云う災わざわいがつづいて起った。そこで洛中らくちゅうのさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹にがついたり、金銀の箔はくがついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪たきぎの料しろに売っていたと云う事である。洛中がその始末であるから、羅生門の修理などは、元より誰も捨てて顧る者がなかった。するとその荒れ果てたのをよい事にして、狐狸こりが棲すむ。盗人ぬすびとが棲む。とうとうしまいには、引取り手のない死人を、この門へ持って来て、棄てて行くと云う習慣さえ出来た。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この門の近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。
 その代りまた鴉からすがどこからか、たくさん集って来た。昼間見ると、その鴉が何羽となく輪を描いて、高い鴟尾しびのまわりを啼きながら、飛びまわっている。ことに門の上の空が、夕焼けであかくなる時には、それが胡麻ごまをまいたようにはっきり見えた。鴉は、勿論、門の上にある死人の肉を、啄ついばみに来るのである。――もっとも今日は、刻限こくげんが遅いせいか、一羽も見えない。ただ、所々、崩れかかった、そうしてその崩れ目に長い草のはえた石段の上に、鴉の糞ふんが、点々と白くこびりついているのが見える。下人は七段ある石段の一番上の段に、洗いざらした紺の襖あおの尻を据えて、右の頬に出来た、大きな面皰にきびを気にしながら、ぼんやり、雨のふるのを眺めていた。
 作者はさっき、「下人が雨やみを待っていた」と書いた。しかし、下人は雨がやんでも、格別どうしようと云う当てはない。ふだんなら、勿論、主人の家へ帰る可き筈である。所がその主人からは、四五日前に暇を出された。前にも書いたように、当時京都の町は一通りならず衰微すいびしていた。今この下人が、永年、使われていた主人から、暇を出されたのも、実はこの衰微の小さな余波にほかならない。だから「下人が雨やみを待っていた」と云うよりも「雨にふりこめられた下人が、行き所がなくて、途方にくれていた」と云う方が、適当である。その上、今日の空模様も少からず、この平安朝の下人の Sentimentalisme に影響した。申さるの刻こく下さがりからふり出した雨は、いまだに上るけしきがない。そこで、下人は、何をおいても差当り明日あすの暮しをどうにかしようとして――云わばどうにもならない事を、どうにかしようとして、とりとめもない考えをたどりながら、さっきから朱雀大路にふる雨の音を、聞くともなく聞いていたのである。
 雨は、羅生門をつつんで、遠くから、ざあっと云う音をあつめて来る。夕闇は次第に空を低くして、見上げると、門の屋根が、斜につき出した甍いらかの先に、重たくうす暗い雲を支えている。
 どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる遑いとまはない。選んでいれば、築土ついじの下か、道ばたの土の上で、饑死うえじにをするばかりである。そうして、この門の上へ持って来て、犬のように棄てられてしまうばかりである。選ばないとすれば――下人の考えは、何度も同じ道を低徊ていかいした揚句あげくに、やっとこの局所へ逢着ほうちゃくした。しかしこの「すれば」は、いつまでたっても、結局「すれば」であった。下人は、手段を選ばないという事を肯定しながらも、この「すれば」のかたをつけるために、当然、その後に来る可き「盗人ぬすびとになるよりほかに仕方がない」と云う事を、積極的に肯定するだけの、勇気が出ずにいたのである。
 下人は、大きな嚔くさめをして、それから、大儀たいぎそうに立上った。夕冷えのする京都は、もう火桶ひおけが欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱との間を、夕闇と共に遠慮なく、吹きぬける。丹塗にぬりの柱にとまっていた蟋蟀きりぎりすも、もうどこかへ行ってしまった。
 下人は、頸くびをちぢめながら、山吹やまぶきの汗袗かざみに重ねた、紺の襖あおの肩を高くして門のまわりを見まわした。雨風の患うれえのない、人目にかかる惧おそれのない、一晩楽にねられそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそうと思ったからである。すると、幸い門の上の楼へ上る、幅の広い、これも丹を塗った梯子はしごが眼についた。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかりである。下人はそこで、腰にさげた聖柄ひじりづかの太刀たちが鞘走さやばしらないように気をつけながら、藁草履わらぞうりをはいた足を、その梯子の一番下の段へふみかけた。
 それから、何分かの後である。羅生門の楼の上へ出る、幅の広い梯子の中段に、一人の男が、猫のように身をちぢめて、息を殺しながら、上の容子ようすを窺っていた。楼の上からさす火の光が、かすかに、その男の右の頬をぬらしている。短い鬚の中に、赤く膿うみを持った面皰にきびのある頬である。下人は、始めから、この上にいる者は、死人ばかりだと高を括くくっていた。それが、梯子を二三段上って見ると、上では誰か火をとぼして、しかもその火をそこここと動かしているらしい。これは、その濁った、黄いろい光が、隅々に蜘蛛くもの巣をかけた天井裏に、揺れながら映ったので、すぐにそれと知れたのである。この雨の夜に、この羅生門の上で、火をともしているからは、どうせただの者ではない。
 下人は、守宮やもりのように足音をぬすんで、やっと急な梯子を、一番上の段まで這うようにして上りつめた。そうして体を出来るだけ、平たいらにしながら、頸を出来るだけ、前へ出して、恐る恐る、楼の内を覗のぞいて見た。
 見ると、楼の内には、噂に聞いた通り、幾つかの死骸しがいが、無造作に棄ててあるが、火の光の及ぶ範囲が、思ったより狭いので、数は幾つともわからない。ただ、おぼろげながら、知れるのは、その中に裸の死骸と、着物を着た死骸とがあるという事である。勿論、中には女も男もまじっているらしい。そうして、その死骸は皆、それが、かつて、生きていた人間だと云う事実さえ疑われるほど、土を捏こねて造った人形のように、口を開あいたり手を延ばしたりして、ごろごろ床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分に、ぼんやりした火の光をうけて、低くなっている部分の影を一層暗くしながら、永久に唖おしの如く黙っていた。
 下人げにんは、それらの死骸の腐爛ふらんした臭気に思わず、鼻を掩おおった。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻を掩う事を忘れていた。ある強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからだ。
 下人の眼は、その時、はじめてその死骸の中に蹲うずくまっている人間を見た。檜皮色ひわだいろの着物を着た、背の低い、痩やせた、白髪頭しらがあたまの、猿のような老婆である。その老婆は、右の手に火をともした松の木片きぎれを持って、その死骸の一つの顔を覗きこむように眺めていた。髪の毛の長い所を見ると、多分女の死骸であろう。
 下人は、六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時ざんじは呼吸いきをするのさえ忘れていた。旧記の記者の語を借りれば、「頭身とうしんの毛も太る」ように感じたのである。すると老婆は、松の木片を、床板の間に挿して、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、丁度、猿の親が猿の子の虱しらみをとるように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手に従って抜けるらしい。
 その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。そうして、それと同時に、この老婆に対するはげしい憎悪が、少しずつ動いて来た。――いや、この老婆に対すると云っては、語弊ごへいがあるかも知れない。むしろ、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増して来たのである。この時、誰かがこの下人に、さっき門の下でこの男が考えていた、饑死うえじにをするか盗人ぬすびとになるかと云う問題を、改めて持出したら、恐らく下人は、何の未練もなく、饑死を選んだ事であろう。それほど、この男の悪を憎む心は、老婆の床に挿した松の木片きぎれのように、勢いよく燃え上り出していたのである。
 下人には、勿論、何故老婆が死人の髪の毛を抜くかわからなかった。従って、合理的には、それを善悪のいずれに片づけてよいか知らなかった。しかし下人にとっては、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くと云う事が、それだけで既に許すべからざる悪であった。勿論、下人は、さっきまで自分が、盗人になる気でいた事なぞは、とうに忘れていたのである。
 そこで、下人は、両足に力を入れて、いきなり、梯子から上へ飛び上った。そうして聖柄ひじりづかの太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩みよった。老婆が驚いたのは云うまでもない。
 老婆は、一目下人を見ると、まるで弩いしゆみにでも弾はじかれたように、飛び上った。
「おのれ、どこへ行く。」
 下人は、老婆が死骸につまずきながら、慌てふためいて逃げようとする行手を塞ふさいで、こう罵ののしった。老婆は、それでも下人をつきのけて行こうとする。下人はまた、それを行かすまいとして、押しもどす。二人は死骸の中で、しばらく、無言のまま、つかみ合った。しかし勝敗は、はじめからわかっている。下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへ※(「てへん+丑」、第4水準2-12-93)ねじ倒した。丁度、鶏にわとりの脚のような、骨と皮ばかりの腕である。
「何をしていた。云え。云わぬと、これだぞよ。」
 下人は、老婆をつき放すと、いきなり、太刀の鞘さやを払って、白い鋼はがねの色をその眼の前へつきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわなふるわせて、肩で息を切りながら、眼を、眼球めだまが※(「目+匡」、第3水準1-88-81)まぶたの外へ出そうになるほど、見開いて、唖のように執拗しゅうねく黙っている。これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されていると云う事を意識した。そうしてこの意識は、今までけわしく燃えていた憎悪の心を、いつの間にか冷ましてしまった。後あとに残ったのは、ただ、ある仕事をして、それが円満に成就した時の、安らかな得意と満足とがあるばかりである。そこで、下人は、老婆を見下しながら、少し声を柔らげてこう云った。
「己おれは検非違使けびいしの庁の役人などではない。今し方この門の下を通りかかった旅の者だ。だからお前に縄なわをかけて、どうしようと云うような事はない。ただ、今時分この門の上で、何をして居たのだか、それを己に話しさえすればいいのだ。」
 すると、老婆は、見開いていた眼を、一層大きくして、じっとその下人の顔を見守った。※(「目+匡」、第3水準1-88-81)まぶたの赤くなった、肉食鳥のような、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、ほとんど、鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるように動かした。細い喉で、尖った喉仏のどぼとけの動いているのが見える。その時、その喉から、鴉からすの啼くような声が、喘あえぎ喘ぎ、下人の耳へ伝わって来た。
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘かずらにしようと思うたのじゃ。」
 下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。そうして失望すると同時に、また前の憎悪が、冷やかな侮蔑ぶべつと一しょに、心の中へはいって来た。すると、その気色けしきが、先方へも通じたのであろう。老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪った長い抜け毛を持ったなり、蟇ひきのつぶやくような声で、口ごもりながら、こんな事を云った。
「成程な、死人しびとの髪の毛を抜くと云う事は、何ぼう悪い事かも知れぬ。じゃが、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいな事を、されてもいい人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髪を抜いた女などはな、蛇を四寸しすんばかりずつに切って干したのを、干魚ほしうおだと云うて、太刀帯たてわきの陣へ売りに往いんだわ。疫病えやみにかかって死ななんだら、今でも売りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の売る干魚は、味がよいと云うて、太刀帯どもが、欠かさず菜料さいりように買っていたそうな。わしは、この女のした事が悪いとは思うていぬ。せねば、饑死をするのじゃて、仕方がなくした事であろ。されば、今また、わしのしていた事も悪い事とは思わぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするじゃて、仕方がなくする事じゃわいの。じゃて、その仕方がない事を、よく知っていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」
 老婆は、大体こんな意味の事を云った。
 下人は、太刀を鞘さやにおさめて、その太刀の柄つかを左の手でおさえながら、冷然として、この話を聞いていた。勿論、右の手では、赤く頬に膿を持った大きな面皰にきびを気にしながら、聞いているのである。しかし、これを聞いている中に、下人の心には、ある勇気が生まれて来た。それは、さっき門の下で、この男には欠けていた勇気である。そうして、またさっきこの門の上へ上って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。下人は、饑死をするか盗人になるかに、迷わなかったばかりではない。その時のこの男の心もちから云えば、饑死などと云う事は、ほとんど、考える事さえ出来ないほど、意識の外に追い出されていた。
「きっと、そうか。」
 老婆の話が完おわると、下人は嘲あざけるような声で念を押した。そうして、一足前へ出ると、不意に右の手を面皰にきびから離して、老婆の襟上えりがみをつかみながら、噛みつくようにこう云った。
「では、己おれが引剥ひはぎをしようと恨むまいな。己もそうしなければ、饑死をする体なのだ。」
 下人は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く死骸の上へ蹴倒した。梯子の口までは、僅に五歩を数えるばかりである。下人は、剥ぎとった檜皮色ひわだいろの着物をわきにかかえて、またたく間に急な梯子を夜の底へかけ下りた。
 しばらく、死んだように倒れていた老婆が、死骸の中から、その裸の体を起したのは、それから間もなくの事である。老婆はつぶやくような、うめくような声を立てながら、まだ燃えている火の光をたよりに、梯子の口まで、這って行った。そうして、そこから、短い白髪しらがを倒さかさまにして、門の下を覗きこんだ。外には、ただ、黒洞々こくとうとうたる夜があるばかりである。
 下人の行方ゆくえは、誰も知らない。








2025年4月1日火曜日

追悼 曽野綾子さん 行動する作家だった


私が気に入った新聞コラム

追悼 曽野綾子さん 行動する作家だった

産経新聞 異論暴論 溝上 健良氏


私の好きな作家、曾野綾子氏の追悼文です。

惜しい人を亡くしました。

これからも氏の考え方を参考にしていきます。



作家 曾野綾子氏

曾野 綾子(その あやこ、1931年(昭和6年)9月17日 -2025年〈令和7年〉2月28日 )は、日本の作家。(93歳没)「曾野」表記もある。本名は三浦知壽子。旧姓、町田。夫は三浦朱門。カトリック教徒で、洗礼名はマリア・エリザベト。聖心女子大学文学部英文科卒業。『遠来の客たち』が芥川賞候補に挙げられ、出世作となった。以後、宗教、社会問題などをテーマに幅広く執筆活動を展開。エッセイ『誰のために愛するか』はじめベストセラーは数多い。近年は生き方や老い方をテーマとしたエッセイが多く、人気を集めている。保守的論者としても知られる。大学の後輩である上皇后美智子とは親交が深く、三浦の生前から夫婦ぐるみで親しかった。上皇后(天皇)夫妻が葉山で静養する折、夫妻で三浦半島の曽野の別荘を訪問することも多い。日本財団会長、日本郵政取締役を務めた。日本芸術院会員。文化功労者。




追悼 曽野綾子さん 行動する作家だった


 2月28日に93歳で亡くなった作家、曽野綾子さんは、月刊「正論」でも創刊号から健筆を振るってきた論客でもあったが、10年にわたり日本船舶振興会(日本財団)の会長を務めた人物としても知られる。曽野さんの部下として、財団に勤務していた東海大教授の山田吉彦氏が、正論5月号に追悼文を寄せている。


 さまざまな国際事業などを支援する財団の会長として、海賊対策など「海の安全」確保に尽力した曽野さんの熱い思いが記されている。曽野さんは、自らマラッカ海峡に行くなど行動する人物だった。九州沖に沈没した北朝鮮工作船が引き揚げられた際、東京・お台場での一般公開を提案したのも曽野さんだったという。工作船出没の現実を広く知らせたいという考えだったが、一方で曽野さんは、国家のため命を落とした北朝鮮兵士に敬意を表し、船尾に花を供えるよう指示もしていた。


 アフリカなどの未開発地域への旅を何度も共にした作家の将口泰浩氏は「道程が過酷であるほど、溌剌(はつらつ)とし、自らの知恵と知識と生命力を試している曽野さんの逞(たくま)しさを目の当たりにした」と書いた。逞しい曽野さんに将口氏は何度も叱られたという。

 義理の娘として曽野さんの臨終に立ち会った作家・エッセイストの三浦暁子さんも寄稿。自分の足で歩けなくなって4年半、自宅や病院で送った日々を明かしている。(溝上健良)




曽野綾子さん 最期の姿伝える貴重な文章 
みとった三浦暁子さんの手記、正論5月号に掲載


2月28日に93歳で亡くなった作家、曽野綾子さんの最期をみとった作家・エッセイストの三浦暁子氏が、曽野さんの最後の日々の様子を綴った手記を、1日発売の月刊「正論」5月号に寄せた。長編小説「神の汚れた手」などの名作で知られる文学者で、保守派の論客としても活躍した曽野さんの最期の姿を伝える、貴重な文章だ。

三浦暁子氏は、曽野さんの長男、三浦太郎氏の妻。曽野さんの義理の娘にあたる。正論5月号に掲載された「義母・曽野綾子 最後の日」では、曽野さんが4年半前に自宅で転んで大腿骨を骨折し、自分で歩けなくなった後の日々について、詳しく書いている。

三浦氏は曽野さんが亡くなった日も、病床にひとり付き添っていたといい、亡くなる瞬間もふたりきりだった。文章の中では、曽野さんが死の直前に発した〝言葉〟も明かしている。




自宅で取材を受ける作家の曽野綾子さん =平成29年10月(酒巻俊介撮影)








2025年3月30日日曜日

酒の肴・蒸しなすといんげんの黒ごま和え

■作家 曾野綾子氏の助言

老年になれば、妻と死別したり、妻が急に入院したりする可能性が出てくる。そのために、簡単な掃除、洗濯、料理ぐらいができない男というのも、賢い生き方とは言えない


酒の肴づくり

蒸しなすといんげんの黒ごま和え


食感の良いいんげんは、とろりとした茄子と好対照。夏らしく粉山椒をきかせて。



酒の肴・蒸しなすといんげんの黒ごま和え


なすは電子レンジで蒸しなすに。

さやいんげんはゆでて水にさらし、3㎝の長さに。

なすも3㎝の長さの棒状に。

すった黒ごまに、醤油、砂糖、粉山椒をいれ、

なすといんげんを加えてよくあえて完成。


茄子といんげんが絶妙でした。ごまと粉山椒もいいですね







2025年3月29日土曜日

百歳までにしたいこと 曾野綾子著

 

本を読んだ後に、読後画像を制作しています。


百歳までにしたいこと

曾野綾子著


2024/11/14読了


先月2025年2月28に亡くなった、私の好きな作家です。

「私が死んだ時、周囲がすがすがしく思ってくれたら、それも一つの大成功、終わりがあればすべて許されるの」

まるでこの日を予見したような文章です。

非常に惜しい人を亡くしました。これからも人生の参考にしていきます。



百歳までにしたいこと 曾野綾子著


百歳までにしたいこと

曾野綾子著


■老年の自由

●ある年になったら人間は死ぬのだ、という教育を、日本は改めてすべきなのだ。それは綺麗に自分の生活の後始末をして死ぬという計画と姿勢のような気がする。


■人間力は会話力

●旅の醍醐味は「予想外」。人生の後半の楽しみの主なものは旅行だ。私にとって旅をしたといえる贅沢は「アメリカ合衆国本土の北端シアトルからパナマまで」と「アフリカの顎の部分を横断するサハラの旅」の二つの自動車旅行だった。


■若者よ、心躍る人生を!

●読書は、家柄、学歴などと一切関係なく、自分を向上させる機会である。
●教育の基本は読書であり、独学にあると言いたくなる。独学というより実学だ。


■生涯をかけて磨く眼力

●暇は価値を生んだ・・現代の生活で問題になるのは、寝そべる時間や本を読む暇がないことなのだ。明らかな暇は、決して不毛ではない。それはあらゆる世界を創造し得る豊穣な大地だったのである。

三浦朱門の視線が青い空にあるとすれば、見慣れた生活をしているほうが戸惑わないだろうなと思います。できるだけ以前と変わらない生活を続けることを、三浦朱門は望んでいるだろうと。




作家 曾野 綾子氏


曾野 綾子(その あやこ、1931年(昭和6年)9月17日 -2025年〈令和7年〉2月28日 )は、日本の作家。(93歳没)「曾野」表記もある。本名は三浦知壽子。旧姓、町田。夫は三浦朱門。カトリック教徒で、洗礼名はマリア・エリザベト。聖心女子大学文学部英文科卒業。『遠来の客たち』が芥川賞候補に挙げられ、出世作となった。以後、宗教、社会問題などをテーマに幅広く執筆活動を展開。エッセイ『誰のために愛するか』はじめベストセラーは数多い。近年は生き方や老い方をテーマとしたエッセイが多く、人気を集めている。保守的論者としても知られる。大学の後輩である上皇后美智子とは親交が深く、三浦の生前から夫婦ぐるみで親しかった。上皇后(天皇)夫妻が葉山で静養する折、夫妻で三浦半島の曽野の別荘を訪問することも多い。日本財団会長、日本郵政取締役を務めた。日本芸術院会員。文化功労者。








2025年3月28日金曜日

「読書のまとめ・酒の肴づくり」のWeblog開設

 

「読書のまとめ・酒の肴づくり」の

Weblog開設


現在作成している「鎌倉寺社探訪・読書のまとめ・近代現代史記事紹介・オートシェイプ画イラスト・四季月記・雑記」のWeblogサイトを、2025/10/07でPROプランを解約する予定のため、先日、読書のまとめ・近代現代史記事紹介・オートシェイプ画イラスト・四季月記・雑記の投稿データをすべて削除しました。


このWeblogサイトは、2025/10/07からはフリープランで、

「鎌倉四季・鎌倉寺社探訪」として継続します。


また、それに伴い、新しく「読書のまとめ・酒の肴づくり」のHP開設しました。



「読書のまとめ・酒の肴づくり」のWeblog



「読書のまとめ・酒の肴づくり」のWeblog


今後、四季の花、四季の野鳥のWeblogサイト開設も検討します。






2025年3月26日水曜日

CO2は生命育む恵みの物質

 

私が気に入った新聞コラム

CO2は生命育む恵みの物質

東京大学名誉教授・渡辺正氏


約30万種の陸上植物は、太陽光を動力にした光合成で、安定な水とCO2から高エネルギー物質を作る。

大気に増えるCO2は、むろん地球の緑化を進め、ひいては私たちの食糧を増やしてくれる。


まったくその通りですね。

日本のマスコミはなぜ科学的に正しいことを報道しないのか?

大変勉強になったコラムです。




東京大学名誉教授・渡辺正氏

渡辺 正(わたなべ・ただし)は東京理科大学教授。1948年鳥取県生まれ。東京大学大学院修了、工学博士。東京大学助手、助教授を経て1992年より同大学教授(生産技術研究所)。2012年、同大学を定年退職(名誉教授)ののち東京理科大学に勤務。専門は生体機能化学、科学教育、環境科学。





CO2は生命育む恵みの物質
東京大学名誉教授・渡辺正


CO2を悪とみる1988年以来の発想は、中世の魔女狩りに似て、社会を壊すエセ科学だった。かつて35年ほど光合成を研究した工学系の化学屋が、そう断じる根拠をご披露したい。



快適な暮らしもその恵み

 約30万種の陸上植物は、太陽光を動力にした光合成で、安定な水とCO2から高エネルギー物質を作る。必須物質の全部を生合成する植物は、単独で繁栄できる。

 物質合成能の低い動物は、植物の「製品」を強奪して生きるしかない。草食動物はむろんのこと、肉食動物も間接的に植物を食べている。要するに植物から見た動物は「寄生虫」にすぎない。

 大魚や鯨を頂点とする海中の食物連鎖も、植物プランクトンと藻類がCO2から作る有機物を原点にして成り立つ。

 私たちも植物の恵みで生きる。飲食物のうち、水と食塩を除くほぼ全部が、直接間接の光合成産物だとわかる。体重72キロの筆者を作る13キロの炭素原子も、元は大気中のCO2分子だった。

 光合成は、私たちに飲食物のほか材料(木材など)と繊維(綿・麻・紙)も恵む。1億~2億年前の光合成産物は、化学変化して石油や石炭、天然ガスになった。

 文明や文化を創造し、快適な暮らしと移動法を手に入れ、情報化社会を作ったヒトも、食物から産業用動力までの全部を植物に頼る。高層ビルが演出する都会の華麗な夜景も植物の恵み、つまりはCO2の恵みだと心得よう。



CO2増え豊かさ増す世界

 CO2削減の声が芽生えてから大合唱に育つまで35年余、大気のCO2濃度は増え続けた(たまたま同時進行した昇温の原因は多様)。直近の25年間はペースを上げながら15%以上も増え、世界を豊かにしつつある。なぜか?

 大気に適量の酸素がたまった4億~5億年前に緑藻の一種が上陸し、分化・進化を経て1億~2億年前の恐竜時代に大繁栄した。葉の化石を調べた結果などから、当時のCO2は現在の5~10倍も濃かったと推定されている。

 当時の生物を先祖とする植物に、今のCO2は薄すぎる。だからこそ本格的ハウス栽培では、石油燃焼装置を使って内部のCO2濃度を外気の3~4倍に上げ、植物=作物の生育を速める。

 大気に増えるCO2は、むろん地球の緑化を進め、ひいては私たちの食糧を増やしてくれる。

 衛星観測によると地球の緑は、30年間に約10%ずつ増えてきた。作物の収量も快調に増えた状況を、国連食糧農業機関(FAO)の統計が語り尽くす。食糧の増加は、8億人以上ともいう飢餓人口の低減にも貢献してきた。

 そんなCO2を減らすのは、全人類に向けた大犯罪だろう。



カネと利権「CO2悪玉論」

 CO2は、気温変動の主因ではない。たとえばCO2が単調に増え続けた過去2千年のうち、10~13世紀は今よりだいぶ暖かく(中世温暖期)、江戸期を含む14~19世紀は寒かった(小氷期)。

 先述の1億~2億年前は、気温も3度は高かったとおぼしい。それでも熱暴走など起きず、生物が栄えたわけだから今後、CO2が倍増しても問題はない(CO2の赤外線吸収は飽和に近いため、倍増時でも昇温は0・5度未満)。

 だが国連は、東西冷戦の終結が見えた88年、CO2温暖化危機を口実に、排出の多い先進国の富を途上国へ流す南北調停仕事を思いつく。だから定例集会COPでも、近年は「カネよこせ(途上国)」と「ちょっと待て(先進国)」の口論だけをやってきた。

 実のところ国連の企(たくら)みは、とうの昔に破綻している。80年代末は途上国だった中国が今や世界一のCO2排出国なのに、国の分類を変えないというルール上、今もって「途上国」なのだから。

 けれど、環境浄化が進んで失業に怯(おび)えつつ国連と協働した面々が、一件を「解決可能な環境問題」という虚構に仕立て上げた。

 深刻そうな話にメディアが飛びつき、政治家は票を期待して血税を垂れ流す。巨費の利権を産学界の亡者(一部は知人)が狙い、脱炭素など非科学語を操って庶民を騙(だま)す世になった。

 政府は昨今、脱炭素・経済成長の営みをエセ英語でグリーントランスフォーメーション(GX)と呼ぶ。10年で投資150兆円を期待するというけれど、「脱炭素」の成功だけはありえない。

 たとえば、バイオ燃料のCO2発生量は石油より少ない…と叫ぶ集団がいる。事実なら人類は燃料問題から解放され、化石燃料の大半を掘らずにすむ。だがバイオ燃料はCO2を増やす代物だから、石油採掘が減る気配すらない。

 バイオ燃料は善…という噓が、2022年12月の航空法改正(バイオ燃料導入)につながった。審議会に理系の人はいないのか?

 なお形容詞「グリーン」は、遠い未来の姿ではなく、CO2が増え、植物界も食卓も豊かさを増す現状にこそふさわしい。

 GX関係者はCO2が減ると誤解して喜び、筆者は増えると確信して喜ぶ。私たちは妙な時代を生きている。(わたなべ ただし)








2025年3月24日月曜日

写句 辛夷咲き(こぶし)

写真家の浅井慎平氏が提唱している、「Haikugraphy」とは、写真と俳句を一つにして表現した、「写句」です。


辛夷咲き(こぶし)

3月に詠んだ写句1句。

2020/03/23に詠んだ句です。


辛夷咲き(こぶし)

寒々と朱ひとすじ落ち辛夷かな




写句 辛夷咲き(こぶし) 2020/03/23制作




まだ寒い初春に咲く辛夷の花びらには、朱色の筋が入っています。

何とも印象的な花です。









芥川龍之介原作 羅生門

邦画を観た後に、鑑賞後画像を作成しています。 映画 羅生門  を鑑賞しました。 原作は芥川龍之介、監督は黒澤明、脚色は黒澤明 橋本忍、主役は三船敏郎 京マチ子 森雅之。 原作は読んでいませんので、内容は映画が初めてです。 くしくも私が生まれた年に制作された映画ですが、その当時の映...