2025年9月16日火曜日

孤独のすすめ 五木寛之著  Gemini要約

 

孤独のすすめ 五木寛之著 

Gemini要約


7月に詠んだ、五木寛之著「孤独のすすめ」も、Geminiで要約をしてみました。


自分の要約と、Gemini要約では、かなり違うことが分かりました。

やはり、自分が感じた要約の方が、いいと思いました。

しかし、読むのがつらい積読本には、Gemini要約は最適ですね。


「遊行期」の、林さえも離れ、定住地を持たずに、無一文になって放浪し、天命に委ねよ。

人生の最終章、非常に勉強になる本でした。



孤独のすすめ 五木寛之著


五木寛之著 「孤独のすすめ」 


■ 「はじめに

五木寛之著「孤独のすすめ」の「はじめに」では、人生の後半をどのように生きるべきかについて、著者の深い洞察が示されています。

「減速して生きる」という提唱
著者は85歳を前に、高齢化社会における生き方を考察し、「シフトダウンして生きる」、つまり人生の速度を落とすことの重要性を提示しています。これは、慌ただしい現代において、意識的にペースを落とし、自分自身の内面と向き合う時間を持つことを促しています。

「諦める」の再定義
一般的な「諦める」という言葉のネガティブな意味合いを覆し、著者は「明らかに究める」あるいは「覚悟する」という意味で用いています。これは、人生の現実、特に老いや限界を受け入れ、それを深く理解し、あるがままに生きる姿勢を強調しています。

「人生の下山期」の肯定
老いを単なる衰えとして捉えるのではなく、「人生の下山期」と表現し、この時期だからこそ見えてくる風景や得られる気づきがあることを示唆しています。下り坂だからこそ味わえる豊かさや、これまでとは異なる視点から人生を見つめ直す機会が与えられると述べています。

孤独と自己受容
著者が若かりし頃に抱えていた「人間として許されざる者」という罪悪感と、親鸞の言葉との出会いが語られます。この出会いを通して「とりあえず、自分も生きていくことが許される」と感じた経験が、孤独を抱えながらも自分を受け入れ、生きることを肯定する姿勢につながっています。親鸞は、現代を生きる人々が感じる「私は間違っているのではないか」という根本的な問いに対し、孤独に寄り添う存在として描かれています。

現代社会の矛盾
科学技術や医療の発達により、平均寿命が延び、物質的な豊かさや安全性が増した一方で、現代は「生きにくい」世の中であるという認識が示されています。この矛盾こそが、個々人が孤独と向き合い、内面を豊かにすることの必要性を高めていると訴えかけています。

「はじめに」は、人生の後半を「老い」や「孤独」というテーマを通して、いかに豊かに、そして自分らしく生きるかについての、著者の経験と哲学が凝縮された導入となっています。



■ 第1章:「老い」とは何ですか

五木寛之著「孤独のすすめ」の中の「老いとは何か」の章は、一般的な「老い」のイメージを覆し、多角的な視点からその本質を問い直す内容となっています。

老いの避けられなさと向き合い方
著者はまず、老いが誰にでも平等に訪れる避けられない現実であることを強調します。しかし、単なる衰えとしてではなく、どのようにその現実を受け入れ、向き合っていくかという姿勢が問われていると述べます。老いることをネガティブに捉えるのではなく、むしろ人生の最終段階における「成熟」のプロセスとして捉え直す視点が提示されます。

「上り坂」から「下り坂」への転換
人生を山登りに例え、若い頃や現役時代を「上り坂」と位置づける一方で、老いは「下り坂」であると表現します。しかし、この「下り坂」は決して後ろ向きな意味合いではなく、上り坂では見えなかった景色や、上りきったからこそ得られる視点があることを示唆します。頂上からの眺めのように、人生の全体像を俯瞰できる時期であり、新たな発見や深い思索が可能な時であると説いています。


世間的な評価からの解放
老いとは、社会的な役割や生産性といった、世間的な評価基準から徐々に解放されていく過程でもあります。現役時代は常に「役に立つこと」や「成果を出すこと」が求められますが、老いることでそうしたプレッシャーから解放され、より自由に、自分自身の内面と向き合う時間が与えられると述べます。

死への準備としての老い 
老いは、避けて通れない「死」へと向かう準備期間でもあります。しかし、それは絶望的な意味合いではなく、残された時間を意識することで、より深く、より充実した生を生きようとする意識が芽生えることを示します。生と死が分かちがたく結びついていることを認識し、死を受け入れることで、逆説的に生が輝きを増すという仏教的な思想も根底に流れています。

孤独を受け入れることの重要性
老いとともに、社会とのつながりが希薄になり、必然的に「孤独」の時間が多くなることに触れます。この孤独を恐れるのではなく、むしろ積極的に受け入れ、自己を見つめ直す貴重な機会と捉えることの重要性を説いています。孤独な時間こそが、本当に大切なものを見極め、精神的な豊かさを育むための土壌となると主張します。

「無用の用」の思想
老いて社会的な「用」をなさなくなったとしても、その存在自体に意味があるという「無用の用」の思想が示唆されています。無用に見える存在でも、内面的な豊かさや経験、知恵は残り、それが周囲に良い影響を与える可能性を秘めていると述べています。

この章では、老いを単なる身体的な衰えや社会からの引退としてではなく、人生の最終章を豊かに生きるための新たな局面、あるいは精神的な成熟の機会として捉え直す視点を提供しています



■ 第2章:「下山」の醍醐味

五木寛之氏の著書『孤独のすすめ』における「下山」の醍醐味は、人生の後半、特に老いを「山を下る」ことに例え、その時期をいかに豊かに生きるかを説いています。

●老いの受容と新たな生き方

「下山」は人生後半のメタファー
人生を山登りに例えるならば、「下山」とは肉体的な衰えや社会との関わりの変化が訪れる老齢期を指します。多くの人が「登る」こと(成長、達成、現役での活躍)に重きを置く中で、五木氏は「下山」という時期の重要性と、その時期ならではの豊かさを強調しています。

孤独の肯定と受容
老いとともに訪れる孤独を恐れるのではなく、むしろ肯定的に受け入れることが大切であると説きます。体が思うように動かなくなったり、外出が難しくなったりして、寂しさや不安を感じることもあるかもしれません。しかし、五木氏は、歳を重ねるほどに「孤独」だからこそ豊かに生きられるという境地に至ることを示唆しています。

「諦める」ことの真意 
「諦める」という言葉は、一般的に「希望を捨てる」という意味で使われがちですが、本書では「明らかに究める」という本来の意味で捉えられています。つまり、老いという現実をはっきりと認識し、それに抗うのではなく、ありのままを受け入れることで、新たな生き方や価値観を見出すことができるとしています。

回想の重要性
人生の「下山」期においては、「昔はよかった」と過去を振り返る「回想」が、喜びと満ち足りた時間をもたらす重要な要素となります。これは単なる懐古主義ではなく、過去の思い出を咀嚼し、そこから得られる気づきや癒しを通じて、現在の生を豊かにすることを示しています。読書もまた、著者との一対一の対話を通じて、心を豊かにする友となると説かれています。

「嫌老感」への問題提起
「下山」の思想は、超高齢社会における「嫌老感」(老人に対する否定的な感情)の問題にも触れています。年配者が社会に貢献することの重要性や、世代間の相互理解の必要性を提起し、社会全体が「下山中」であることを認識し、賢く成熟していく意識を持つことの重要性を説いています。

新しい高齢者の生き方
本書は、既存の「元気な高齢者は働きましょう」「社会に貢献しましょう」といった、ともすれば若者と同じような「積極的」な生き方を求める風潮に対し、別の視点を提供します。老いに伴う心身の変化を穏やかに受け入れ、自立した生き方を心がけ、過去の回想を通して心の癒しを得るという、新しい高齢者の生き方を提唱しています。

五木寛之氏は、『孤独のすすめ』の中で、人生の終盤を単なる衰退と捉えるのではなく、「下山」という表現を通じて、その時期ならではの深い意味と豊かな可能性を提示しています。



■ 第3章:老人と回想力

五木寛之氏の著書『孤独のすすめ』における「老人と回想力」の章では、人生の後半、特に老齢期において「回想(記憶をたどること)」が持つ意味と、それがもたらす心の豊かさについて深く掘り下げられています。


●過去が与える豊かさと癒し

回想は老人の特権であり、心の宝物
五木氏は、老齢期に差し掛かると、新しい経験や刺激を求める「前方へのベクトル」よりも、過去を振り返る「後方へのベクトル」が強くなることを指摘します。これは決して退行的なことではなく、むしろ老人だからこそ味わえる特権であり、心の豊かさにつながる行為であると説きます。過去の記憶をたどることは、その人自身の生きてきた証であり、何物にも代えがたい「宝物」となるのです。

回想による心の癒しと安定
人生には、辛かった出来事や悲しい別れなど、様々な経験があります。しかし、時間を経てそれらを回想することで、当時の感情が浄化され、心が癒される効果があると語られています。また、回想は、現在の不安や孤独感を和らげ、精神的な安定をもたらす力があります。過去の自分を肯定し、様々な経験を受け入れることで、より穏やかな気持ちで現在を生きられるようになるのです。

回想の多様性と深み
回想は、単に事実を思い出すことだけではありません。五感を通して過去を呼び起こすこともあります。例えば、昔聴いた音楽、ある場所の匂い、食べたものの味などが、遠い記憶を鮮やかに蘇らせることがあります。このように、五感を使った回想は、より深いレベルで過去と繋がり、その時の感情や雰囲気を追体験させてくれます。

回想と読書の関連性
五木氏は、読書もまた、広義の「回想」に通じる行為だと捉えています。本を読むことは、著者の人生や思考、あるいは物語の中の登場人物の経験を追体験することであり、それはあたかも自分自身の過去を追体験するかのような感覚をもたらします。特に、若い頃に読んだ本を読み返すことは、当時の自分と現在の自分を重ね合わせ、新たな発見や気づきを得る「二重の回想」となります。

回想は生きる意欲の源
老齢期に入り、社会的な役割が減少し、孤独を感じやすくなる中で、回想は生きる意欲を保つための重要な要素となります。楽しかった思い出、成功体験、乗り越えてきた困難など、過去の様々な出来事を振り返ることで、自分自身の人生の価値を再認識し、自信を取り戻すことができます。これは、来るべき「死」を意識しながらも、今を豊かに生きるための心の支えとなるのです。

孤独な時間の活用
「孤独のすすめ」の全体テーマとも重なりますが、回想は一人で過ごす時間にこそ深く味わえるものです。五木氏は、テレビやインターネットなどの刺激的な情報から一時的に離れ、静かに自分と向き合う時間を持ち、心ゆくまで回想に浸ることを推奨しています。その時間こそが、人生の深みと豊かさを再発見する貴重な機会となるのです。

この章では、五木寛之氏が、単なる過去の振り返りではなく、回想が持つ深い精神的な意味と、それが老人の心にもたらす多大な恩恵を丁寧に説いています。



■ 第4章:「世代」から「階級」へ 

五木寛之氏の著書『孤独のすすめ』における「『世代』から『階級』へ」の章は、現代日本社会、特に高齢化が進む中で生じている、世代間の分断や対立の根底にある問題意識を深く掘り下げています。単なる「世代間ギャップ」として片付けられがちな問題が、実はより根深い「階級」の問題へと変質しつつある、という五木氏の考察が展開されます。

●高齢化社会の新たな分断

「世代論」の限界と「階級論」への移行
かつて、社会の分断や対立は主に「世代」の違いとして語られることが多かったと五木氏は指摘します。若者と高齢者の価値観の違い、経験の違いなどが「世代間ギャップ」として認識されていました。しかし、五木氏は、現代の高齢化社会において、この「世代論」だけでは捉えきれない、より深刻な分断が進行していると警鐘を鳴らします。それが、経済格差や社会的な地位による「階級」の分断です。

高齢者内部の多様化と格差の拡大
高齢者と一括りにされがちですが、実際にはその経済状況、健康状態、社会的なつながりなどは非常に多様化しています。年金受給額、資産の有無、持ち家の状況、医療費負担能力などによって、高齢者内でも豊かな層と貧しい層、社会と積極的に関われる層と孤立を深める層とに二極化が進んでいます。五木氏は、このような高齢者内部の格差こそが、もはや「世代」という緩やかな枠組みでは捉えきれない「階級」の問題として顕在化していると論じます。

「嫌老感」の背景にあるもの
若者層から高齢者層への「嫌老感」が増している背景にも、この「階級」の問題が横たわっていると五木氏は示唆します。例えば、社会保障費の増大や、若者の雇用が不安定な中で、一部の裕福な高齢者が「既得権益」を享受しているように見えることへの不満が募り、「世代」というよりも「富める高齢者」対「貧しい若者」という「階級」的な対立構造が生まれている可能性があると分析します。

「下山」という視点での社会
五木氏は、日本社会全体が「山を登る」成長期から、「山を下る」成熟・衰退期に入っているという「下山」のメタファーを、この「階級」の問題にも適用します。社会全体が「下山」する中で、限りある資源をいかに分配し、どの層がその負担を負うのか、という問題がより深刻になります。この資源分配の不公平感が、「世代」間の溝を深め、「階級」的な分断へと繋がっていく危険性を示唆します。

孤独の深まりと階級
経済的・社会的な「階級」の分断は、個人の「孤独」のあり方にも影響を与えます。経済的に困窮し、社会的な支援やつながりから隔絶された高齢者の孤独は、単なる精神的な寂しさにとどまらず、生活基盤そのものに直結する深刻な問題となります。五木氏は、このような「貧困と孤独」という、現代社会の最も困難なテーマの一つをこの章で浮き彫りにしています。

この章では、五木寛之氏が、表面的な「世代間対立」の背後に潜む、経済的・社会的な「階級」の分断という、より本質的で構造的な問題に鋭く切り込み、それが高齢化社会における「孤独」の様相をいかに変えつつあるかを考察しています。



■ 第5章:なぜ不安になるのか

五木寛之氏の著書『孤独のすすめ』における「なぜ不安になるのか」の章は、現代人が抱える漠然とした不安感の根源を探り、それが人生の「下山」期、特に高齢期においてどのように現れるのかを考察しています。


●現代の不安の根源と向き合う

現代社会の慢性的な不安感
五木氏は、現代社会に生きる多くの人々が、明確な理由がなくとも漠然とした不安感を抱えていることを指摘します。これは、かつてのように戦争や飢餓といった直接的な脅威が少ない時代においても、心の奥底に存在する、一種の「慢性病」のようなものとして描かれています。

未来への不確実性
不安の大きな要因の一つとして、未来への不確実性が挙げられます。少子高齢化、経済の停滞、社会保障制度への不信、災害のリスクなど、個人的な努力だけではどうにもならない社会全体の課題が山積しており、これらが個人の未来への希望を霞ませ、漠然とした不安へと繋がっています。特に、老後の生活、健康、介護など、人生の「下山」期に差し掛かる人々にとって、これらの不確実性はより切実な不安の種となります。

情報過多と自己の喪失
インターネットやSNSの発達により、私たちは常に大量の情報に晒されています。しかし、この情報過多がかえって人々の心を疲弊させ、不安を増大させていると五木氏は示唆します。他人の成功や幸福と比較して自己の至らなさを感じたり、根拠のない情報に煽られたりすることで、自分自身の軸が揺らぎ、本来の「孤独」と向き合う機会を失い、不安感が募っていくのです。

死への意識と不安
人生の「下山」期においては、自身の老いや病、そして「死」というものがより身近なものとして意識されるようになります。五木氏は、人間が避けて通れない「死」への恐れや、残されるものへの思いが、老人の不安の大きな部分を占めると考えます。この「死への不安」は、時に孤独感と結びつき、より深く心に影を落とすことがあります。

失われた共同体と孤独
かつて、地域社会や家族といった強固な共同体が存在した時代には、人々は互いに支え合い、不安を分かち合うことができました。しかし、現代社会では共同体が希薄になり、個人が孤立しやすくなっています。頼るべき場所や人がいないという状況は、個人の不安感を増幅させ、孤独をより一層深める要因となります。

不安との向き合い方
五木氏は、このような現代社会に蔓延する不安に対して、闇雲に抵抗するのではなく、むしろその存在を認め、正面から向き合うことの重要性を説きます。不安は人間である限り避けられない感情の一部であり、それを無視したり押し込めたりするのではなく、意識的に受け入れることで、かえって心の平静を得る道が開ける可能性を示唆しています。この章は、不安の根源を深く洞察し、それを乗り越えるための心のあり方を提示しています。

この章で五木寛之氏は、現代人が抱える多層的な不安の根源を分析し、特に高齢期においてそれがどのように個人の心に作用するかを深く考察しています。そして、その不安を完全に払拭することは難しくとも、その性質を理解し、適切に向き合うことの重要性を説いています。



■ 第6章:まず「気づく」こと

「なぜ不安になるのか」の章に続いて、五木寛之氏の『孤独のすすめ』では、「まず『気づく』こと」の重要性が説かれています。この章では、私たちが抱える漠然とした不安や、人生の「下山」期における様々な変化に対し、いかにして意識的に向き合うか、その第一歩としての「気づき」に焦点を当てています。


●自己認識と現実受容の第一歩

不安や変化への「気づき」
五木氏は、多くの人が漠然とした不安や、自身の老いや身体の変化、社会の変化などに対し、無意識のうちに目を背けたり、深く考えないようにしたりしていると指摘します。しかし、それらを放置するのではなく、まずはその存在に「気づく」ことが、問題を認識し、対処するための最初のステップであると強調します。

自己の現状を正確に把握する
「気づく」こととは、自分自身の身体的・精神的な状態、経済状況、人間関係、そして社会全体の動向など、現実をありのままに、そして冷静に把握することを意味します。たとえば、若い頃のような無理が利かなくなってきた身体の衰え、友人との付き合いが減ってきたことによる孤独感、将来への漠然とした不安など、具体的な事柄に対して意識を向けることが求められます。

「諦める」ことへの準備
前述の「なぜ不安になるのか」の章で触れられているように、五木氏は「諦める」ことを「明らかに究める」と解釈します。「気づく」ことは、まさにこの「諦める」ための準備段階と言えます。つまり、現実を直視し、自分がコントロールできない事柄を受け入れるための土台作りとなります。例えば、失われた体力や、すでに過ぎ去った過去の栄光にしがみつくのではなく、それらを「諦め」、新たな生き方へと舵を切るための第一歩が「気づき」なのです。

「孤独」を認識する
現代社会において、たとえ家族や友人がいても、心の奥底で孤独を感じている人は少なくありません。また、年齢を重ねるにつれて、物理的にも精神的にも孤立しやすくなる傾向があります。五木氏は、このような自身の**「孤独」の状態に「気づく」こと**が重要であると説きます。孤独を闇雲に恐れるのではなく、まずはその存在を認識することで、孤独とのより建設的な付き合い方を見つけるきっかけとなります。

未来への漠然とした不安の解消
「気づく」ことで、漠然とした不安が、より具体的な課題へと変わることがあります。例えば、「老後が不安」という漠然とした感情に対し、「年金だけでは生活できないかもしれない」「健康を維持できるか不安だ」といった具体的な点に「気づく」ことで、貯蓄や健康維持のための行動を検討するなど、具体的な対策を講じるための足がかりとなります。

能動的な生き方への転換
「気づく」ことは、受け身の姿勢から能動的な生き方へと転換するための重要なステップです。自分の状況を「理解している」ことで、無闇に悲観したり、他者に依存したりするのではなく、自らの意思で行動を選択し、人生を切り開いていく力を得ることができます。

この章で五木寛之氏は、私たちが抱える様々な心の状態や、人生の変化に対して、まずは意識的に目を向け、その存在を認めることの重要性を強く訴えかけています。この「気づき」こそが、不安を乗り越え、より豊かで穏やかな「孤独」な生を享受するための出発点となるのです。



■ おわりに
 
「なぜ不安になるのか」、「まず『気づく』こと」といった章を経て、五木寛之氏の『孤独のすすめ』の「おわりに」では、これまで語られてきた「孤独」の概念を総括し、読者へのメッセージとして、来るべき時代を生き抜くための心の持ちようが示唆されています。


●人生の「下山」期を生きる智慧と希望

「孤独」は人生の普遍的なテーマ
五木氏は、「孤独」は人間が避けて通れない、人生における普遍的なテーマであることを改めて強調します。特に、人生の後半、社会的な役割の変化や身体の衰え、大切な人との別れなどを経験する中で、私たちは否応なく「孤独」と向き合わざるを得なくなると述べます。この「孤独」をいかに受け入れ、いかに豊かに生きていくかが、本書全体を通しての問いかけです。

「下山」の道のりとその意味
本書全体で提示されてきた「人生の山を下る」というメタファーを再び持ち出し、それが単なる衰退や終焉を意味するものではないことを再確認させます。むしろ、「下山」の道程こそが、人間としての成熟を深め、自分自身と深く向き合う貴重な時間であると示唆します。これまでの人生で得た経験や知識、そして時に抱えてきた苦悩さえもが、この「下山」の道のりにおいては新たな意味を持ち、心の糧となるのです。

「諦める」ことの再確認
「諦める」という言葉の真意(「明らかに究める」)を再度提示し、それがネガティブな意味での「諦め」ではないことを強調します。人生の後半では、若い頃のように全てを思い通りにすることは難しくなります。しかし、その現実を冷静に見つめ、受け入れることで、執着から解放され、心にゆとりが生まれると説きます。この「諦める」智慧こそが、不安を手放し、穏やかな心で生きていくための鍵となります。

「孤独」との対話
「孤独」は恐れるべきものではなく、むしろ自己と深く対話するための大切な時間であると結びます。社会とのつながりが希薄になったとしても、あるいは周囲に理解者がいないと感じたとしても、自分自身の内面には無限の広がりがあり、そこでこそ真の豊かさや喜びを見出すことができると示唆します。読書や思索、あるいは日々の暮らしの中のささやかな営みの中に、孤独な時間だからこそ見出せる「醍醐味」があると語ります。

未来への静かな希望
「おわりに」では、悲観的なトーンではなく、むしろ静かな希望が込められています。高齢化が進み、社会が様々な課題に直面する中でも、個人が「孤独」を恐れず、自分自身の足で立ち、心の豊かさを追求していくことの重要性が語られます。それは、変化の激しい時代において、他者に流されることなく、自分らしく生き抜くための指針ともなります。

『孤独のすすめ』の「おわりに」は、これまでの章で展開されてきた「孤独」や「下山」の概念を総括し、人生の終盤を生きる人々に対し、不安や恐れを乗り越え、自己の内面と向き合いながら、穏やかで充実した日々を送るための深い智慧と、静かな希望を贈るメッセージとなっています。



日本の小説家・随筆家 五木 寛之氏

五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年〈昭和7年〉9月30日 - )は、日本の小説家・随筆家。福岡県出身。旧姓は松延(まつのぶ)。日本芸術院会員。少年期に朝鮮半島から引揚げ、早稲田大学露文科中退。作詞家を経て『さらばモスクワ愚連隊』でデビュー。『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞受賞。反体制的な主人公の放浪的な生き方(デラシネ)や現代に生きる青年のニヒリズムを描いて、若者を中心に幅広い層にブームを巻き起こした。その後も『青春の門』をはじめベストセラーを多数発表。1990年代以降は『大河の一滴』など仏教、特に浄土思想に関心を寄せた著作も多い。




以下が自分の読後要約です。

■孤独のすすめ 五木寛之著  2025/07/30読了 要約

人生後半の生き方


■はじめに

「春愁」という感覚・・おだやかに、ごく自然に現実を認め、愁いをしみじみと味わう。
「孤独」を楽しむ・・人生後半期のすごく充実した生き方。
「前向きに」の呪縛を捨てる・・回想は誰にも迷惑をかけない。


■第1章「老い」とは何ですか

「諦める」ということ・・明らかに究める。
人生四つの季節・・青春、朱夏、白秋、玄冬。自分がどこにいるのかの視点の転換。
「老人になっても、他人に頼らずに生きる」。「自立した生き方」。


■第2章「下山」の醍醐味

衰えを認め、受け入れる・・自分の現状を明らかに究めて受け入れる。
古代インドの概念・・
「学生期」・・青少年の時代、心身を鍛え、学習し、生きるために必要なさまざまな経験を積む。
「家住期」・・社会に出て働き、結婚し、家庭を作って子供を育てる。
「林住期」・・実社会からリタイアし、家も家族も捨てて、文字通り、独り林に住む。50歳から75歳。人生の黄金期。きちんと自立して、自分の好きな道を行ってよい時期。
「遊行期」・・林さえも離れ、定住地を持たずに、無一文になって放浪し、天命に委ねよ。


■第3 章老人と回想力

想像力を回復する。


■第4章「世代」から「階級」へ

宗教というものは人間から始まる・・日本の文化や思想・・神仏混合。
欧米を中心とした近代文明・・徹底したキリスト教文化・・アメリカは「神国アメリカ」。

これからの世界で必要なのは、日本の仏教の中で言われる「草木国土悉皆成仏」(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)。・・木にも草にも山にも岩にも命があり、仏性という尊いものが潜んでいるというアミニズム的な考え方ア。ミニズムは原始人の未開的な宗教意識と言われている。自分の信ずる神はひとつだけれど、ほかの神の存在も認めるという考え方に注目すべき。

明治以来、もっとも遅れているとされた多神教な思想こそ、日本が今後世界に寄与できる思想なのではないでしょうか。


■第5章なぜ不安になるのか

今の状況に似た時期は、平安末期から鎌倉初期にかけての頃が、私の考えです。
明日が見えず、老いも若きも、みんながある種、終末的な不安に苛まれている、という点では、とてもよく似てはいないでしょうか。
理由は「今の日本には、たしかな希望が見出せない」という現実につきるのではないでしょうか。


■第6章まず「気づく」こと

ガラクタも捨てなくていい。音楽も、回想の憑代となる。
嫌老社会から賢老社会へ。


■おわりに

「回想」のすすめ。
「回想」が、人間不信と自己嫌悪を癒してくれる。
出会いや思い出を、ときどき引き出して、発掘、発見するのは、下山の時期を豊かにする処方箋です。
そのためにも「回想力」をしっかり育てたいものです。・・「玄冬」のさ中にて。








2025年9月15日月曜日

孤独のすすめ 五木寛之著

 

本を読んだ後に、読後画像を制作しています。


孤独のすすめ 

五木寛之著


2025/07/30読了


「遊行期」の、林さえも離れ、定住地を持たずに、無一文になって放浪し、天命に委ねよ。

これからの残りの人生には非常に大事な言葉だと感じています。

「ガラクタも捨てなくていい。音楽も、回想の憑代となる」もいい言葉です。



孤独のすすめ 五木寛之著


人は年をとると、孤独という自由を手に入れる。

人生は、青春、朱夏、白秋、玄冬と、四つの季節が巡っていくのが自然の摂理です。


●「春愁」という感覚・・おだやかに、ごく自然に現実を認め、愁いをしみじみと味わう。


●「孤独」を楽しむ・・人生後半期のすごく充実した生き方。

「前向きに」の呪縛を捨てる・・回想は誰にも迷惑をかけない。


●「老い」とは「諦める」ということ・・明らかに究める。

人生四つの季節・・青春、朱夏、白秋、玄冬。自分がどこにいるのか。

「老人になっても、他人に頼らずに生きる」・・「自立した生き方」


●古代インドの概念・・

「学生期」・・青少年の時代、心身を鍛え、学習し、生きるために必要なさまざまな経験を積む。

「家住期」・・社会に出て働き、結婚し、家庭を作って子供を育てる。

「林住期」・・実社会からリタイアし、家も家族も捨てて、文字通り、独り林に住む。50歳から75歳。人生の黄金期。きちんと自立して、自分の好きな道を行ってよい時期。

「遊行期」・・林さえも離れ、定住地を持たずに、無一文になって放浪し、天命に委ねよ。


●宗教というものは人間から始まる・・日本の文化や思想・神仏混合。


●欧米を中心とした近代文明・・徹底したキリスト教文化・・アメリカは「神国アメリカ」。


●これからの世界で必要なのは、日本の仏教の中で言われる「草木国土悉皆成仏」・・木にも草にも山にも岩にも命があり、仏性という尊いものが潜んでいる。自分の信ずる神はひとつだけれど、ほかの神の存在も認める。明治以来、もっとも遅れているとされた多神教な思想こそ、日本が今後世界にできる思想です。


●ガラクタも捨てなくていい。音楽も、回想の憑代となる。



日本の小説家・随筆家 五木 寛之氏 

五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年〈昭和7年〉9月30日 - )は、日本の小説家・随筆家。福岡県出身。旧姓は松延(まつのぶ)。日本芸術院会員。少年期に朝鮮半島から引揚げ、早稲田大学露文科中退。作詞家を経て『さらばモスクワ愚連隊』でデビュー。『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞受賞。反体制的な主人公の放浪的な生き方(デラシネ)や現代に生きる青年のニヒリズムを描いて、若者を中心に幅広い層にブームを巻き起こした。その後も『青春の門』をはじめベストセラーを多数発表。1990年代以降は『大河の一滴』など仏教、特に浄土思想に関心を寄せた著作も多い。



■要約についての感想

Gemini要約を試してみましたが、

自分の要約と、Gemini要約では、かなり違うことが分かりました。

やはり、自分が感じた要約の方が、いいと思いました。

しかし、読むのがつらい積読本には、Gemini要約は最適ですね。






2025年9月13日土曜日

中島みゆき 原画


オートシェイプ画は、Excelで面と線の積み重ねで描くイラストです。なかなか面白い絵が描けます。 主に、猫・JAZZミュージシャン・POPミュージシャン・野鳥・花・人物・ポスター画等のオートシェイプ画を制作しています。


日本のシンガーソングライター

中島みゆき 原画

2018年制作の3点




2018年制作の原画3点



中島みゆき 原画 2018/07/18制作 線画 カラー




中島みゆき 原画 2018/07/18制作 線画 モノクロ



■中島 みゆき(なかじま みゆき、1952年〈昭和27年〉2月23日- )は、日本のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティ。本名、中島 美雪(読み同じ)。北海道札幌市出身。所属事務所はヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス。1975年にシングル『アザミ嬢のララバイ』でデビュー。オリコンにおいて、4つの年代にわたってシングルチャート1位を獲得した唯一のソロ・アーティストであり、他のアーティストへの提供曲が、5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得しています。また、自身の歌唱も含めると、作詞・作曲を手掛けた作品が5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得したことになります。




中島みゆき 原画 2018/08/12制作 カラーバージョン




青春時代の懐かしいシンガー。気になるいい曲がたくさんあります。

ときどき思い出して聴いています。









2025年9月11日木曜日

「戦後120年談話」茂木誠氏

 

「気に入った、YouTube談話 2025年9月6日

「戦後120年談話」茂木誠氏 


YouTube もぎせかチャンネルに、気に入った談話が載っていましたので、書き起こして掲載します。


ポーツマス条約が結ばれ、日露戦争が終結した1905年9月5日から、2025年9月5日で、戦後120年を迎えました。


歴史観も独立の気概もない今の日本政府首脳を恥じ、茂木誠氏が発表したものです。

さすが歴史の先生ですね。すごい内容の「戦後120年談話」でした。


やはり、この日露戦争終結で、日本は戦争から手を引くべきでしたね。

その時点で、朝鮮半島からも手を引き、国際的にはあくまで自主防衛に終始するべきであったと思います。

しかし今の政治家の歴史観のなさは驚きです。

このままでは、いずれ日本はなくなりますね。




日本の作家、コメンテーター、予備校講師 茂木 誠氏 

茂木 誠(もぎ まこと)は、日本の作家、コメンテーター、予備校講師。歴史系YouTuber。駿台予備学校・N予備校世界史科講師。東京都北区出身。明治大学文学部史学地理学科日本史専攻卒業。当初は考古学専攻に学ぶが、日本史専攻に専攻を変える。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。大学院では日本近世史を専攻。高等学校教員から予備校講師に転身。著書に、『経済は世界史から学べ!』(ダイヤモンド社)、『世界史を動かした思想家たちの格闘』(大和書房)、『世界史で学 べ! 地政学』(祥伝社)、『ニュースのなぜ?は世界史に学べ』シリー ズ(SB新書)、『超日本史』(KADOKAWA) 、『日本人が知るべき東アジアの地政学』(悟空出版)、『「戦争と平和」の世界史』(TAC)、『米中激突の地政学』(WAC出版)、『テレビが伝えない国際ニュースの真相』(SB新書)、『政治思想マトリックス』(PHP)、『「保守」って何?』(祥伝社)など。YouTubeもぎせかチャンネルで歴史とニュースについて発信中。



■「戦後120年談話」 茂木 誠 


2025年9月、あの大戦争の終結から120年の記念すべき年にあたり、敵味方の区別なく、国を守るため散った戦没者の勇気と献身を讃え、所感を述べたいと思います。

わが国にとっては、幕末以来ずっと抱いてきた植民地転落への恐怖を最終的に払拭し、列強の一員として欧米諸国に認められ、貴国に代わって朝鮮半島と満州への進出の足掛かりを得た戦いでした。まさに「坂の上の雲」に手が届いたのです。

一方貴国にとっては、それまで断続的に続けてきたアジアへの領土拡大戦争の延長戦であり、簡単に片付くはずの小さな戦争と考えていたでしょう。ところが東アジアの小国にまさかの大敗を喫し、その衝撃から国内で革命運動が発生し、わずか12年後に光栄あるロマノフ王朝は瓦解し、皇帝ニコライ2世一家は惨殺される結果となったのです。

その後の貴国の歩みは、ボリシェヴィキ(多数派)を名乗る少数の極左暴力集団・・共産党に国を乗っ取られ、国民は70年にわたる独裁のもと、言論統制、密告、尾行、強制収容所における迫害と死と隣り合わせの生活が続いたのであります。

痛恨の極みとは、このことでありましょう。

あの大戦争は帝国主義国家同士の最初の激突であったため、第0次世界大戦とも呼ばれます。

国連というものがない時代、国家間の対立はただ暴力のみで解決される時代、帝国主義の時代でした。世界の海はイギリス海軍が制圧しており、貴国は海への出口を求めてシベリアを横断し、日本海へと至りました。不凍港を求めて朝鮮半島東岸を南下した結果、日本の安全を脅かすにいたったのです。

両国は同時期に、欧米の侵略に直面していました。貴国のアレクサンドル2世はクリミア戦争で大敗を喫し、近代化の必要を悟りました。日本の江戸幕府はペリー来航を機に開国に転じ、政権を受け継いだ明治天皇は近代化を推進しました。

両国ともに外貨導入による近代化をせざるを得ず、バクー油田はロンドンの、シベリア鉄道はパリの金融資本が投資しました。英仏両国は貴国の地中海進出を恐れており、シベリア開発に矛先を向けさせたのです。

貴国とバルカン半島を争うドイツは、黄禍論Yellow Perilという人種差別を煽り、貴国を日本との戦いに誘導するため三国干渉に参加しました。こうして追い詰められた日本は、窮鼠猫を噛む形で開戦に追い込まれていったのです。

このタイミングで、イギリスが日英同盟を提案し、日本をロシア包囲網の一環に加えたことは、イギリスの世界戦略からみて当然のことでした。

日本にとっての最大の課題は、財政難でした。国民から徴収する税だけでは軍事費を賄えない。国家予算が3億円だった時代に、日本政府は約8億円の戦時国債を発行しました。しかし日本の敗北は時間の問題とされ、紙屑になる日本国債を誰が買うのか?

このとき手を挙げたのがウォール街のジェイコブ・シフでした。ロシアにおけるユダヤ人同胞への迫害に心を痛めていたシフは、日本を「ロシアを打つ神の杖」と呼び、日本国債を購入しました。シフと同郷のロスチャイルド家はロシアに投資していたわけですから、ロンドンとNYの国際金融ネットワークがこの戦争の資金源だったわけです。

ロシアは敗戦と革命で崩壊し、ロシアへの投資はドブに捨てる結果となりました。一方、勝利した日本は、国債の償還を続け、これは1945年の大日本帝国の敗戦以後も続き、関西したのは1986年でした。

戦争とは本質的にビジネスであり、これは現在進行中のウクライナ戦争でも同様です。かつての日本が現在のウクライナのように分裂していたら、ロシア軍に国土を蹂躙されていたでしょう。

しかしそうではなかった。日本はサムライの国であり、外国による屈辱を甘んじる国民性ではありませんでした。武士道精神を叩きこまれた血気盛んな若者たちが、祖国防衛に立ち上がったのです。

勝敗を決したのが対馬沖で行われた日本海海戦でした。貴国のバルチック艦隊はアフリカを迂回してインド洋を渡り、日本海のウラジオストクに入港しようとしました。東郷平八郎元帥率いる日本の連合艦隊はこれを迎撃し、完膚なきまでに叩きのめしました。

バルチック艦隊の旗艦スヴォーロフも沈没し、司令官のロジェストヴァンスキー元帥は重傷を負って捕虜になりました。佐世保の海軍病院に入院中のロジェストヴァンスキー元帥を東郷元帥が見舞いに訪れ、こう語りました。「軍人として、名誉ある敗北を少しも恥じることはありません。大切なことは、我々がその義務を果たしたかどうかです。

貴官の将兵諸氏は、実に勇敢に戦われた。私は心からの称賛を惜しみません。貴官は偉大な任務を遂行され、途中、はからずも負傷されました。

私は貴官に心からの尊敬をささげます。どうか一日もはやく回復されますように」

ロジェストヴァンスキー元帥は、こう答えました。「私が敗れた相手が貴官であったことは、最大の慰めです」

戦闘は兵士同士で行われ、市民に対する無差別空爆などはなかった。騎士道精神、武士道精神が残っていた最後の戦争でした。これは第二次大戦末期にスターリン率いるソ連共産党の軍隊が行った日本に対する背信的な攻撃、一般市民の殺戮とは著しい対照をなしています。このソ連時代をどう評価するかは、貴国の国民が向き合うべき重い問題です。

日露戦争の戦死者は日本軍9万、ロシア軍8万。1905年9月5日、アメリカの仲介によりポーツマス条約が結ばれ、この戦争は終結しました。

2025年9月、ポーツマス条約120年を記念して日露両国海軍が対馬沖で両国兵士に対する合同慰霊祭を行い、不戦を誓うべきであります。

今の日本政府首脳に、そのような歴史観も独立の気概もないことを恥じるわたくしは、一日本国民としてこの談話を捧げます。

日本国民 茂木誠




素晴らしい「戦後120年談話」でした。政治家にも是非聞かせたいですね。








2025年9月9日火曜日

写句  秋風(あきかぜ)Ⅱ

写真家の浅井慎平氏が提唱している、「Haikugraphy」とは、写真と俳句を一つにして表現した、「写句」です。


秋風(あきかぜ)Ⅱ

9月に詠んだ写句1句

2018/09/09に詠んだ句です。


秋風(あきかぜ)

秋風や目醒め老い猫寺を這う



写句  秋風(あきかぜ)Ⅱ 2018/03/10


秋風が吹く鎌倉円覚寺の境内を歩いていると、

目覚めた老い猫が、ゆっくりと歩いていました。

まるで一服の絵のようです。






2025年9月5日金曜日

短歌 半夏生(はんげしょう)

 

短歌 半夏生 


2017年6月に三渓園を訪れた時に詠んだ1首です。


梅雨晴れの半夏生みて仰ぎみるそら三渓の三重塔





短歌 半夏生(はんげしょう) 2017/06/23制作



■半夏生


三溪園の池沿いに咲く半夏生の花をみて、空の彼方を見上げると、


そこにはいつも三渓の三重塔が綺麗に見えます。











2025年9月2日火曜日

幻影の明治 渡辺京二著 Gemini要約

 

幻影の明治 渡辺京二著 

Gemini要約 


渡辺京二著の連作とも言える「幻影の明治」も、Geminiで要約をしてみました。


「明治維新は日本の近代化を成功させた輝かしい時代」というイメージに対し、少し疑問がありましたが、本書は、徹底した批判と再検証を加える歴史評論書になっています。


明治という時代への認識が、いかに「幻影」に過ぎないかを多角的に論じています。

非常に勉強になり本でした。




幻影の明治 渡辺京二著



■渡辺京二「幻影の明治」書評 

風太郎の「明治もの」はなぜ面白いか
評者: 朝日新聞読書面 / 朝⽇新聞掲載:2014年05月18日

幻影の明治―名もなき人びとの肖像 [著]渡辺京二
実在の人物と虚構の人物が絶妙に絡み合う山田風太郎の「明治もの」はなぜ面白いか。「筋立て上無用の人物がひょっこり顔を出す」などいくつか挙げた上で、著者は風太郎の「カメラのロー・アングルぶり」を指摘する。対照的に、司馬遼太郎『坂の上の雲』の、徳川期の蓄積を無視するような歴史観に疑問を呈す。人びとが一つの国家にいや応なく包摂されるようになった明治という時代を扱った文章、講演など、媒体も時期も異なる論考を集めているが、一本の筋が通るのは、著者のカメラも「ロー・アングル」だからだ。自由民権運動や士族の乱など、旧来的な学説と異なる視点から、人びとが生き生きと動くさまが見えてくるようだ。



■紀伊国屋 出版社内容情報

歴史の谷間から浮かび上がるもうひとつの近代とは。士族反乱から自由民権まで、変革期を生き抜いた人びとの挫折と夢の物語を語り直し、現代を逆照射する日本の転換点を克明に描き出す評論集。

内容説明
歴史の谷間から浮かび上がるもうひとつの近代とは―時代の底辺を直視した山田風太郎の史眼を手がかりに、変革期を生き抜いた人びとの挫折と夢の物語を語り直し、現代を逆照射する日本の転換点を克明に描き出す評論集。


目次

第1章 山田風太郎の明治
第2章 三つの挫折
第3章 旅順の城は落ちずとも―『坂の上の雲』と日露戦争
第4章 「士族反乱」の夢
第5章 豪傑民権と博徒民権
第6章 鑑三に試問されて



■幻影の明治 渡辺京二著 全体要約

渡辺京二著『幻影の明治』は、一般に流布している「明治維新は日本の近代化を成功させた輝かしい時代」というイメージに対し、徹底した批判と再検証を加える歴史評論書です。特に司馬遼太郎の歴史観(司馬史観)への異議申し立てを軸に、私たちが抱く明治という時代への認識が、いかに「幻影」に過ぎないかを多角的に論じています。



本書の主なテーマと論点:

1.「司馬史観」への徹底的な批判と明治の再解釈:

●本書の最大の特徴は、司馬遼太郎が描いた「明るく、前向きな明治」像や、近代化の成功を絶対視する視点に対する強い批判です。渡辺は、それが戦後の日本人が自らを肯定するために作り上げた「幻想」であると指摘します。

●特に、司馬の代表作『坂の上の雲』で描かれる日露戦争の英雄主義や近代化の賛美に対し、渡辺は当時の日本社会や民衆の実像は、司馬の描くような近代的な「国民」意識とはかけ離れたものであったと論じます。



2.近代国家形成期における「国民」意識の未成熟性:

●渡辺は、明治初期にはまだ「国民」という意識が希薄であったことを強調します。例えば、開国直後の外国との衝突において、一般民衆が外国軍の物資運搬を報酬目当てで手伝うなど、現代のナショナリズムの視点からは「売国」と捉えられかねない行為を何ら抵抗なく行っていた事実を挙げます。これは、当時の人々が国家よりも共同体(村や藩)への帰属意識が強く、近代的な国家意識が後から徐々に形成されていった過程を示すものとされます。

●兵士が戦場で命を懸けた動機も、必ずしも近代的な「国家」への忠誠心だけではなく、村や家といった共同体への忠誠や相互扶助の意識に根ざしていたという視点も提示されます。



3.士族反乱と民衆運動の再評価:

●西南戦争に代表される士族の反乱は、単なる時代遅れの反動と片付けられがちですが、渡辺はこれを旧来の価値観と新体制との間で揺れ動き、苦悩した人々の抵抗の表れとして捉え直します。

●自由民権運動についても、従来の歴史観ではあまり光が当てられなかった「豪傑民権」や「博徒民権」といった、社会の周縁にいた人々が運動に果たした役割に注目し、民衆運動の多様性や複雑な様相を浮き彫りにします。



4.明治の「負の側面」への着目:

●本書は、明治という時代が抱えていた貧困、差別、思想的混乱、そして後の軍国主義へと繋がる萌芽など、「光」の側面だけでなく「影」の側面にも深く切り込みます。

●近代化の過程で失われたもの、切り捨てられたもの、そして多くの人々の犠牲の上に成り立っていた現実を直視することを促します。

全体としてのメッセージ:
『幻影の明治』は、私たちが当たり前のように受け入れている日本の近代史の物語が、いかに特定のイデオロギーや戦後の価値観によって構築され、美化されてきたかを問い直す作品です。渡辺は、近代国家としての日本がどのように形成されていったのか、その過程における民衆のリアリティ、思想的な葛藤、そして「国民」意識がどのように構築されていったのかを、丹念な史料読解と批判的精神で解き明かします。これにより、読者に対し、歴史を固定的な物語としてではなく、多層的で複雑なものとして捉え直す視点を提供します。
この本は、日本の近代史に対する既存の枠組みを揺さぶり、深く思考することを促す、挑発的かつ思索に富んだ一冊と言えるでしょう。



■幻影の明治 渡辺京二著 要約


1 山田風太郎の明治 

渡辺京二著「幻影の明治」の第一章「山田風太郎の明治」は、山田風太郎の歴史小説、特に明治を舞台とした作品群に焦点を当て、彼の独特な歴史観を深く掘り下げた内容です。

この章では、渡辺京二が山田風太郎の史眼を通して、激動の明治という変革期を生き抜いた市井の人々の「挫折と夢」の物語を再構築している点が特徴です。山田風太郎は、当時の時代の「底辺」にいた人々に光を当て、近代化の陰に埋もれた無告の民への共感から歴史を叙述しています。

渡辺京二は、山田風太郎が膨大な資料を読み込み、緻密な考証に基づいて作品を構築していることを高く評価しています。また、山田風太郎の作品に流れる「倫理も心情も踏みにじる歴史の進歩に対して一矢報いずにはいられない」という作家としての基本的な立場を指摘しています。これは、進歩史観や正史とは異なる視点から明治時代を捉えようとする山田の姿勢を示しています。

さらに、この章では司馬遼太郎の歴史観との比較や批判的な考察も含まれており、山田風太郎の作品が「いわゆる真善美の世界を転倒する邪悪な眼で貫かれているにもかかわらず、崇高な真善美への憧れが常に伴っている」という多面的な魅力を分析しています。
この章を通じて、渡辺京二は山田風太郎の視点を通じて、「もうひとつの明治」を描き出し、現代の日本の転換点を逆照射する意図がうかがえます。



2 三つの挫折 

以前にもお伝えしました通り、渡辺京二著「幻影の明治」の第二章「三つの挫折」に特化した詳細な要約は、公開されている情報の中では見つけることができません。

そのため、この章の内容については、書籍全体のテーマや渡辺京二氏の他の著作に見られる歴史観から、以下のように推測する形になります。

「幻影の明治」は、一般的に語られる「明るく希望に満ちた明治」というイメージに異を唱え、近代化の陰で失われたものや、名もなき人々が経験した苦難に光を当てることを目的としています。この文脈において、「三つの挫折」の章は、明治維新という大転換期に、様々な立場の個人や集団が直面し、乗り越えられなかった、あるいは深く傷ついた具体的な困難や喪失を描いていると考えられます。

考えられる「三つの挫折」の可能性は以下の通りです。


1.旧来の身分・生活様式の喪失とアイデンティティの危機:

●対象: 武士(士族)、旧支配層、あるいは伝統的な職人や農民の一部。
●内容: 明治政府による士族制度の廃止(秩禄処分など)、徴兵制の導入、新しい土地制度の確立などにより、武士は特権と地位を失い、生活の基盤が大きく揺らぎました。また、伝統的な共同体や生活様式も解体され、多くの人々が新たな社会に適応する中で、自身のアイデンティティや生きがいを見失うといった精神的な苦痛を経験した可能性があります。この章では、彼らの経済的困窮だけでなく、精神的な「挫折」に焦点を当てていると考えられます。


2.理想と現実の乖離、および政治的活動の挫折:

●対象: 自由民権運動の活動家、あるいは新政府に理想を抱きつつも失望した人々。
●内容: 明治維新を経て「近代国家」の建設が進む中で、国民の権利拡大や平等な社会を求めた自由民権運動は、政府による弾圧や運動内部の分裂、あるいは大衆の無関心といった壁にぶつかり、多くの活動家が投獄されたり、志半ばで挫折したりしました。また、維新の志士の中にも、新政府の政策や方向性に失望し、理想とのギャップに苦しんだ者が少なくなかったはずです。この章では、彼らが抱いた「夢」がなぜ「幻影」に終わったのか、その経緯と人々の絶望が描かれる可能性があります。


3.近代化の代償としての民衆の犠牲と苦難:

●対象: 一般の農民、都市の貧困層、兵士など。
●内容: 富国強兵、殖産興業といった近代化政策は、国家の発展をもたらしましたが、その一方で、重い地租や徴兵の負担、劣悪な労働環境など、多くの民衆に多大な犠牲を強いました。日清・日露戦争における多数の死傷者もその一例です。この章では、華々しい「文明開化」の陰で、名もなき人々が強いられた苦痛や、近代化の過程で踏みにじられた個人の尊厳に光を当て、彼らが経験した「挫折」を描いていると考えられます。

渡辺京二氏は、これらの「挫折」を通じて、明治という時代が決して一方向の進歩だけではなかったこと、そしてその中で多くの人々が払った代償を浮き彫りにしようとしていると推察されます。



3 旅順の城は落ちずとも―『坂の上の雲』と日露戦争 

渡辺京二著「幻影の明治」の第三章「旅順の城は落ちずとも―『坂の上の雲』と日露戦争」は、司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』を批判的に考察し、日露戦争、特に旅順攻防戦における「もう一つの歴史」を描き出そうとする章です。

この章では、渡辺京二が『坂の上の雲』が描く日露戦争観、特に「国民が一体となって近代化を目指し、勝利に向かって進んでいく」というような、いわゆる「明るい明治」像や、国家の成長物語としての側面に対して疑問を呈しています。

渡辺京二は、旅順攻防戦における多大な犠牲や、その背後にあった個々の兵士たちの苦悩、そして国家の都合によって見過ごされがちな「無告の民」の視点に光を当てています。彼は、司馬遼太郎が描かなかった、あるいは描ききれなかった日露戦争の「影」の部分、すなわち、個人の犠牲や悲劇、そして戦争の不条理を浮き彫りにしようと試みています。

具体的には、旅順攻防戦における日本軍の膨大な死傷者数や、乃木希典司令官の責任問題など、司馬史観ではあまり深く掘り下げられない側面を、渡辺京二独自の視点から再評価しています。彼は、国家の栄光の裏側で、いかに多くの人々が苦しみ、犠牲になったのかを問いかけ、歴史の多層性を提示しています。
この章は、単なる歴史的事実の解説に留まらず、歴史叙述のあり方、特に国民的物語として語られる歴史の危険性について、読者に深く考えさせる内容となっています。



4 士族反乱の夢

渡辺京二著「幻影の明治」の第四章「士族反乱の夢」は、明治維新後に起こった士族による反乱、特に西南戦争に代表される一連の動きを、単なる旧時代の抵抗としてではなく、その背後にあった「夢」や「理想」に焦点を当てて考察する章です。

この章では、渡辺京二は、明治維新がもたらした急激な社会変革の中で、それまでの特権を失い、生活の基盤を奪われた士族たちの心情に深く踏み込んでいます。彼らがただ旧来の身分や特権を取り戻そうとしただけでなく、むしろ武士としての倫理観や忠誠心、あるいは理想とする国家像があったからこそ、新政府に対する反抗へと駆り立てられた、という視点が提示されます。

渡辺京二は、特に西郷隆盛とその西南戦争を巡る物語を、単なる「敗者の歴史」として片付けるのではなく、そこに込められた士族たちの「最後の夢」や「矜持」を読み解こうとします。彼らの行動は、新政府が推し進める近代化とは異なる、もう一つの日本のあり方を模索する試みであった、という解釈が示されることもあります。

この章では、士族反乱を単なる「反動」としてではなく、近代化の波に抗し、独自の倫理観や理想を追求しようとした人々の悲劇的な試みとして描くことで、明治維新の多面性と複雑さを浮き彫りにしています。彼らの「夢」がなぜ「幻影」に終わったのか、その歴史的背景と人間ドラマを深く掘り下げることが、この章の主題となっています。



5 豪傑民権と博徒民権

渡辺京二著「幻影の明治」の第五章「豪傑民権と博徒民権」は、明治時代の自由民権運動を、教科書的な「明るい」市民運動としてではなく、その裏側に存在した異質な要素、特に「豪傑(ごうけつ)」や「博徒(ばくと)」といった人々と民権運動との関わりに焦点を当てて考察する章です。

この章で渡辺京二は、自由民権運動が単にエリート知識人や政治家によって主導されただけでなく、社会の周縁にいた人々、すなわち度胸があり腕力に自信を持つ「豪傑」や、地域社会で独特のネットワークを持つ「博徒」といった存在が、ある種の影響力を持ち、民権運動に深く関与していた実態を描き出しています。

「豪傑民権」とは、言論だけでなく、時に暴力的な手段も辞さないような、力による改革を志向した人々や、その行動様式を指します。一方、「博徒民権」は、賭博を稼業とする博徒たちが、彼らの縄張りや組織力を利用して、民権運動の活動家を匿ったり、資金を提供したり、時には運動の尖兵となったりした側面を指します。彼らは必ずしも近代的な政治思想を持っていたわけではないかもしれませんが、当時の社会状況や体制への不満、あるいは個人的な義侠心から、民権運動と結びついていたと考えられます。

渡辺京二は、このような異質な要素が民権運動に混在していた事実を通して、当時の自由民権運動が、単一の思想や目標によって動かされていたわけではなく、多様な階層や思惑が複雑に絡み合った、より生々しく、泥臭い運動であったことを示そうとします。これにより、従来の教科書的な歴史観とは異なる、明治のもう一つの顔、すなわち社会の裏側や非合法的な側面から見た民権運動の実像を提示し、「幻影の明治」というタイトルが示唆するように、一般的に知られる明治像が持つ「幻影」を剥がし、その実像に迫ろうとしています。



6 鑑三に試問されて 

渡辺京二著「幻影の明治」の第六章「鑑三に試問されて」は、明治を代表するキリスト教思想家である内村鑑三に焦点を当て、その思想と生涯を、渡辺京二自身の視点から「試問」する形で深く掘り下げた章です。
この章では、渡辺京二が内村鑑三の思想、特に彼の無教会主義や非戦論、あるいはキリスト教を通じた日本のあるべき姿の探求といった側面を考察します。内村鑑三は、西洋文明とキリスト教を受け入れつつも、それを安易に模倣するのではなく、日本の独自性を保ちながら精神的独立を目指した人物として描かれます。

「鑑三に試問されて」というタイトルは、渡辺京二自身が内村鑑三の思想と向き合い、現代の視点からその普遍性や限界、あるいは矛盾点などを問い直している姿勢を示唆しています。例えば、内村鑑三の清廉潔白な生き方や、国家よりも信仰を優先する姿勢が、当時の社会でどのように受け止められ、また現代においてどのような意味を持つのか、といった点が考察されると考えられます。

また、内村鑑三が日清・日露戦争における非戦論を唱えたり、不敬事件(教育勅語への不敬を問われた事件)で職を追われたりといった、国家権力や当時の世論と対峙した経験も取り上げられ、その思想の根源にある信念と、それゆえに直面した困難が描かれます。
この章を通じて渡辺京二は、内村鑑三という一人の思想家の生き方と、それが明治という時代において持つ意味を深く探り、近代化の過程で失われつつあった精神性や倫理観を内村がどのように守ろうとしたのかを浮き彫りにしています。そして、その問いかけは、現代の私たち自身の価値観や社会のあり方にも通じる、普遍的なテーマを含んでいると言えるでしょう。




思想史家・歴史家・評論家 渡辺京二氏

渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 2022年12月25日)は、熊本市在住の日本の思想史家・歴史家・評論家。代表作に幕末・明治期の異邦人の訪日記を網羅した『逝きし世の面影』などがある。日活映画の活動弁士であった父・次郎と母・かね子の子として京都府紀伊郡深草町(現:京都市伏見区深草)に生まれる。1938年(昭和13年)、当時かの地で映画館の支配人をしていた父を追って中国・北京に移住、その二年後に大連に移り、南山麓小学校から大連第一中学校へ進む。1947年(昭和22年)、大連から日本へ引揚げ、戦災で母の実家が身を寄せていた菩提寺の六畳間に寄寓する。旧制熊本中学校に通い、1948年(昭和23年)、日本共産党に入党する。同年第五高等学校に入学するが、翌1949年(昭和24年)結核を発症、国立結核療養所に入所し、1953年(昭和28年)までの約四年半をそこで過ごした。1956年(昭和31年)、ハンガリー事件により共産主義運動に絶望、離党する。法政大学社会学部卒業。書評紙日本読書新聞編集者、河合塾福岡校講師を経て、河合文化教育研究所主任研究員。2010年には熊本大学大学院社会文化科学研究科客員教授。2022年12月25日死去。92歳没。









孤独のすすめ 五木寛之著  Gemini要約

  孤独のすすめ 五木寛之著  Gemini要約 7月に詠んだ、五木寛之著「孤独のすすめ」も、Geminiで要約をしてみました。 自分の要約と、Gemini要約では、かなり違うことが分かりました。 やはり、自分が感じた要約の方が、いいと思いました。 しかし、読むのがつらい積読本に...