2025年4月1日火曜日

追悼 曽野綾子さん 行動する作家だった


私が気に入った新聞コラム

追悼 曽野綾子さん 行動する作家だった

産経新聞 異論暴論 溝上 健良氏


私の好きな作家、曾野綾子氏の追悼文です。

惜しい人を亡くしました。

これからも氏の考え方を参考にしていきます。



作家 曾野綾子氏

曾野 綾子(その あやこ、1931年(昭和6年)9月17日 -2025年〈令和7年〉2月28日 )は、日本の作家。(93歳没)「曾野」表記もある。本名は三浦知壽子。旧姓、町田。夫は三浦朱門。カトリック教徒で、洗礼名はマリア・エリザベト。聖心女子大学文学部英文科卒業。『遠来の客たち』が芥川賞候補に挙げられ、出世作となった。以後、宗教、社会問題などをテーマに幅広く執筆活動を展開。エッセイ『誰のために愛するか』はじめベストセラーは数多い。近年は生き方や老い方をテーマとしたエッセイが多く、人気を集めている。保守的論者としても知られる。大学の後輩である上皇后美智子とは親交が深く、三浦の生前から夫婦ぐるみで親しかった。上皇后(天皇)夫妻が葉山で静養する折、夫妻で三浦半島の曽野の別荘を訪問することも多い。日本財団会長、日本郵政取締役を務めた。日本芸術院会員。文化功労者。




追悼 曽野綾子さん 行動する作家だった


 2月28日に93歳で亡くなった作家、曽野綾子さんは、月刊「正論」でも創刊号から健筆を振るってきた論客でもあったが、10年にわたり日本船舶振興会(日本財団)の会長を務めた人物としても知られる。曽野さんの部下として、財団に勤務していた東海大教授の山田吉彦氏が、正論5月号に追悼文を寄せている。


 さまざまな国際事業などを支援する財団の会長として、海賊対策など「海の安全」確保に尽力した曽野さんの熱い思いが記されている。曽野さんは、自らマラッカ海峡に行くなど行動する人物だった。九州沖に沈没した北朝鮮工作船が引き揚げられた際、東京・お台場での一般公開を提案したのも曽野さんだったという。工作船出没の現実を広く知らせたいという考えだったが、一方で曽野さんは、国家のため命を落とした北朝鮮兵士に敬意を表し、船尾に花を供えるよう指示もしていた。


 アフリカなどの未開発地域への旅を何度も共にした作家の将口泰浩氏は「道程が過酷であるほど、溌剌(はつらつ)とし、自らの知恵と知識と生命力を試している曽野さんの逞(たくま)しさを目の当たりにした」と書いた。逞しい曽野さんに将口氏は何度も叱られたという。

 義理の娘として曽野さんの臨終に立ち会った作家・エッセイストの三浦暁子さんも寄稿。自分の足で歩けなくなって4年半、自宅や病院で送った日々を明かしている。(溝上健良)




曽野綾子さん 最期の姿伝える貴重な文章 
みとった三浦暁子さんの手記、正論5月号に掲載


2月28日に93歳で亡くなった作家、曽野綾子さんの最期をみとった作家・エッセイストの三浦暁子氏が、曽野さんの最後の日々の様子を綴った手記を、1日発売の月刊「正論」5月号に寄せた。長編小説「神の汚れた手」などの名作で知られる文学者で、保守派の論客としても活躍した曽野さんの最期の姿を伝える、貴重な文章だ。

三浦暁子氏は、曽野さんの長男、三浦太郎氏の妻。曽野さんの義理の娘にあたる。正論5月号に掲載された「義母・曽野綾子 最後の日」では、曽野さんが4年半前に自宅で転んで大腿骨を骨折し、自分で歩けなくなった後の日々について、詳しく書いている。

三浦氏は曽野さんが亡くなった日も、病床にひとり付き添っていたといい、亡くなる瞬間もふたりきりだった。文章の中では、曽野さんが死の直前に発した〝言葉〟も明かしている。




自宅で取材を受ける作家の曽野綾子さん =平成29年10月(酒巻俊介撮影)








0 件のコメント:

コメントを投稿

桑田佳祐 原画

  オートシェイプ画は、Excelで面と線の積み重ねで描くイラストです。なかなか面白い絵が描けます。 主に、猫・JAZZミュージシャン・POPミュージシャン・野鳥・花・人物・ポスター画等のオートシェイプ画を制作しています。 日本のミュージシャン、シンガーソングライター 桑田佳祐 ...