私が気に入った新聞コラムから学んだこと。
日本語が下手になったら、この国は終わる
さだまさし
歌手・音楽家、さだまさし氏 話の肖像画<29>
私の好きな歌手・音楽家です。
国家の基本となる外交・安全保障と教育の問題提起は、共感できるところが大ですね。
歌手・音楽家 さだまさし氏 |
さだ まさし(本名:佐田 雅志〈読み同じ〉、1952年4月10日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優、タレント、小説家。國學院大學、東京藝術大学客員教授。フォークデュオのグレープでメジャーデビュー。「精霊流し」のヒットにより全国にその名を知られるようになりました。ソロシンガーになってからも「雨やどり」「案山子」「関白宣言」「道化師のソネット」「親父の一番長い日」「北の国から〜遥かなる大地より〜」など、数々のヒット曲を生み出しています。トークの軽妙さは大きな魅力とされており、それで自身のコンサートのお客を楽しませ、またテレビ・ラジオ番組のパーソナリティーやMCなどとしても活躍。小説家としても活動し、『解夏』『眉山』などの作品を発表しています。
歌手・さだまさし<29> 日本語が下手になったら、この国は終わる
《「僕はこの国を心から愛している」と著書『本気で言いたいことがある』(平成18年、新潮新書)に書いた。国家の基本となる外交・安全保障と教育についても一家言ある》
日本の外交・安全保障のあり方を考えることは、なかなか難しい。そもそも日本は〝完全な独立〟を果たしているとはいえませんから。戦後ずっとアメリカの〝属国文化〟の中にあったことは話しましたよね(4日付)。誤解を恐れずに言えば、安全保障をアメリカに頼り、「安価に繁栄を享受してきた」。これが間違いだったか、というと、悲しいけれど、真っ当な考えだったと言うしかない。日本は「戦争をしない」という前提で、角(かど)が立たないやり方をしてきた。「平和は自分たちの血であがなうしかない」と考えている人たち(国)に対して、日本は「だれかが守ってくれる」でやってきたのです。
ところが国際社会は複雑化してきている。僕たちは「自由と民主主義が一番である」と教わったけど、全体主義の強権国家が勢いを増しつつある。(国民の権利を考慮せずに強圧的なことが可能な)彼らの決定は「早い」。コロナへの対応を見ても分かるでしょ。ただ、日本の国民はそんな体制になることも、アメリカとの関係をそうした国との関係へと変えることも望まないでしょう。だったら国民に覚悟を問うべきなのに、まともな議論をしてこなかった。
このままでいいのですか? それとも徴兵制を敷きますか? 軍備強化のためにはいったいどれほどのお金がかかりますか? 核の問題はどうしますか? 経済の繁栄や今の豊かな生活を手放す勇気がありますか?―というような議論です。それをしないで来たというのは、日本人の〝ずるさ〟か、あるいは〝知恵〟なのか?
強権国家になることも、それにひれ伏すことも望まないのであればですよ、ずっとずっと将来、エネルギー問題も解決して世界に戦争がなくなるまで日本という国がどう生き延びるかを、考えねばなりません。もちろん軽々に結論が出せる問題ではありませんが…。
《教育問題に対する関心も強い。若者たちが本(活字)を読まなくなったことにも教育問題が関係しているという》
「活字」が生き残るには、もう一度、教育からやり直すしかないと思う。学校教育、ことに初等教育のミスです。初等教育というのは〝真っさらなもの〟に最初に何かを乗せる役だから、本来は最も優秀な人材(教師)を投入しないといけなかったのに、それをやらなかった。
その結果、考えることを拒絶するような子供や若者を育ててしまったのです。言葉を簡略化し、安易な方向に進んでしまう。「早っ、遅っ、うまっ…」などというだけで全部が表現できるようなね。僕は「日本人が日本語が下手になったらこの国は終わる」とずっと言い続けてきた。それが現実になってきているなと感じます。
今や、教師にも優秀な人材が集まらなくなっています。カネがすべての拝金主義、その多寡によって勝者、敗者とするくだらない価値観がまかり通るようになったからでしょう。そこに皆が巻き込まれています。
僕には、おカネを持っているだけで無防備でいられる感覚が分からない。僕が子供のころには、みんな貧しくて、服に継ぎあてをしているのが当たり前だったけど、誰も笑わなかったし、ちっとも不幸だと思いませんでした。それはもっと「別の幸福」があったから。
今の社会は幸福の価値観が変わってしまったのです。それを取り戻さない限り、日本語も戻らないと思います。(聞き手 喜多由浩)
下記の画像は、グレープ時代のさだまさし氏をオートシェイプ画イラストで描いたものです。いいグループでしたね。
グレープ時代の さだまさし氏 |
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