2025年9月30日火曜日

酒の肴・茄子のピクルス

 ■作家 曾野綾子氏の助言

老年になれば、妻と死別したり、妻が急に入院したりする可能性が出てくる。そのために、簡単な掃除、洗濯、料理ぐらいができない男というのも、賢い生き方とは言えない。


酒の肴づくり

茄子のピクルス

食べきるピクルス、酢漬け。なすは独特な味、冷たいワインやビールによく合います。





酒の肴・茄子のピクルス




フライパンにオリーブ油をひき、なすを動かさずに、焼き色がつくまで焼き炒めます。
塩、カレー粉、砂糖を加え、酢と水を入れ、蓋をして2分ほど蒸します。
氷水をあて冷やし完成。


「なすのピクルス」。酢漬けのなすは独特な味ですね。ビールには抜群。


妻の病態が悪化したのでしばらくサポートに専念します。
しばらくは、できるときだけの投稿とします。








2025年9月26日金曜日

「中・露・北」のどこが戦勝国やねん 宮嶋 茂樹氏

 

私が気に入った新聞コラム

「中・露・北」のどこが戦勝国やねん

直球&曲球 宮嶋茂樹


世界の報道カメラマン、ジャーナリストのこの人の見解は鋭いです、全くその通りですね。

世界の歴史は、各国の都合により書き換えられる。

しかし書き換えられた、その国も、世界のマスコミも何も言わない。

日本はその典型的な国ですね。残念ですが。




日本の報道カメラマン、ジャーナリスト 宮嶋 茂樹氏 

宮嶋 茂樹(みやじま しげき、1961年〈昭和36年〉5月30日 - [1])は、日本の報道カメラマン、ジャーナリスト。兵庫県明石市出身。1980年4月、日本大学藝術学部写真学科に入学。1984年3月、同大卒業後、同年4月、講談社に入社。『フライデー』専属のカメラマンとして取材を経験。趣味はハンティングと模型制作。1980年代に交際していたカメラマンの女性と結婚したが離婚。後に、ロシア人女性と再婚している。毎年8月15日には必ず靖国神社への参拝を心がけているという。皇紀(神武天皇即位紀元)を、『産経新聞』での自身のコラムで使用している。



「中・露・北」のどこが戦勝国やねん
直球&曲球 宮嶋茂樹


抗日戦争勝利80年記念行事で天安門楼上に並ぶ、中国の習近平国家主席(中央)とロシアのプーチン大統領(左)、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記=3日、北京(新華社=共同)
抗日戦争勝利80年記念行事で天安門楼上に並ぶ、中国の習近平国家主席(中央)とロシアのプーチン大統領(左)、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記=3日、北京(新華社=共同)

皆さま、ごらんになられましたぁ…中国・北京で3日にやった「抗日戦勝80年」とコイたパレードに集まった面々。中国の習近平国家主席が両脇にプーチン露大統領、北朝鮮の金正恩〝3代目〟を従えたとこ。

まるでトリオ漫才みたいやんけ。なにが抗日戦勝や。日本が中国大陸で戦ったんは主に蔣介石率いる中国国民党軍や。つまり中国共産党軍は抗日戦で疲弊した国民党軍を内戦で破ったに過ぎん。

そんな中国共産党が主催する茶番や。底が知れとるやんけ。ロシア…かつてのソ連は終戦間際の昭和20年8月9日、どさくさにまぎれ日ソ中立条約を破って満州へと大軍をなだれ込ませ、多数の日本人居留民を殺害、強姦(ごうかん)し、略奪の限りを尽くした挙げ句、15日以降も樺太や千島列島で戦闘行為をやめず、いまだに日本固有の領土・北方領土を不法占拠しとるのである。

北朝鮮も中露と肩を並べて「大国」の仲間入りがでけた、といちびっとるけど、80年前は戦勝国どころか、日本の統治下にあったやん。つまり〝戦敗国側〟や。

あのね、日本が先の大戦で主に戦って敗れたんは、米英や。その主戦場は太平洋の島々やった。その米英どころか西側諸国から首脳1人来てへん「戦勝記念」のセレモニーってなんなん?

それにやでソ連は約60万人もの日本人をシベリアなどに何年も抑留し、酷寒の中、タダで重労働に就かせ、飢えと病気で約1割も殺しておきながら、いまだ謝罪もせん。そして今もウクライナ侵攻で殺戮(さつりく)を続けとるのである。

しかし、日本も3人の道化やその他大勢を笑う資格はない。日本は40年以上にわたって中国に政府開発援助(ODA)などの名目で、つい最近まで約3兆6千億円ものゼニを注ぎ込んだ。にもかかわらず、中国はその事実を国民にほとんど知らせず、反日教育を続けてきたのである。北朝鮮にも戦後、日本は約100万トンもの米を援助しとったのである。


こんな「お人よし」の日本の政治家が連中をつけあがらせ、なめられ続けとるのである。



抗日戦争勝利80年記念行事で天安門楼上に並ぶ、中国の習近平国家主席(中央)とロシアのプーチン大統領(左)、北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記=3日、北京(新華社=共同)








2025年9月21日日曜日

アメリカと中国は偉そうに嘘をつく 高山正之著

 

本を読んだ後に、読後画像を制作しています。


アメリカと中国は偉そうに嘘をつく 

高山正之著


2018/06/25読了


この人の考察はかなり鋭いですね。

そろそろ日本人も目を覚まさないといけないですが、今の政治じゃどうにもならないです。




アメリカと中国は偉そうに嘘をつく 高山正之著




この世界がいかに残酷で狡くてインチキかを新聞は書かない。
日本人は人民寺院の信徒と同じ、反復刷り込まれた平和を言い、弱者救済を唱えればその善意がイスラム国にも通じると思い込んでいる。

ちょっと辛辣だけど毒があるからためになる・・。



■そろそろ白人の腹黒さに気がついたらどうか

●沖縄はいまだにアメリカによる占領継続の島である
●戦争で領土拡張は許さないと言って、戦後沖縄を自国領に
●ニクソン時代、財政破綻。施政権の返還、占領継続
●日本は沖縄の施政権を逆に米国に返還するほうが良い
●米国は「日本は原爆がふさわしいほど残虐な侵略国家だ」といいでっちあげる。米国は人体実験国
●日本を牛耳る真の権力者は米国。戦争で領土拡張は許さないと言いながら沖縄占領を続ける
●スターリンは日本降伏時、日ソ中立条約を破り、満州に侵攻。千島、北海道に攻撃、北方四島に上陸。火事場泥棒の破廉恥国家ロシア



■中国人の嘘つきは泥棒の始まり

●欧米は「搾取」しか知らず、中露は「略奪」しか知らない
●日本は今でも中国人のいいカモでしかない
●米国は自国の都合で平気で歴史を歪めてきた。日本が残忍な奴隷国家だと言ったのも米国の都合が生んだ嘘
●米国が公正で正しい国なんていう幻想は早く捨てるがよい
●「日本は米支共同の敵」といった江沢民は正しかった
●米国は原爆投下を正当化するために今も「日本は侵略国家で残忍」という主張を変えていない
●支那は、石油が眠る尖閣を本気で奪いにくる



■いつまでGHQ憲法を抱きしめれば気がすむのか

●日本は白人支配の世界を根本から揺さぶった。アジアの国々の自立に貢献
●日本だけは改憲できないとアメリカが決めた
●沖縄をアメリカに返してやったらいい。米国はサンフランシスコ平和条約でも沖縄を米国領で残す
●沖縄を米国に返せばいい



日本のジャーナリスト 髙山 正之氏

髙山 正之(たかやま まさゆき、1942年〈昭和17年〉 - )は、日本のジャーナリスト。元産経新聞記者、元帝京大学教授。東京都出身。東京都立大学法経学部法学科卒業後、1965年産経新聞社に入社。警視庁クラブ、羽田クラブ詰、夕刊フジ記者を経て、産経新聞社会部次長(デスク)。1985年から1987年までテヘラン支局長を務め、1980代のイラン革命やイラン・イラク戦争を現地で取材。また、アジアハイウェイ踏査隊長としてアジア諸国を巡る。1980年代後半、芸能方面へ異動になる。当時の編集局の上司と、国際報道についての報道方針を巡って対立があったためとされる。1998年より3年間、産経新聞夕刊1面にて時事コラム「高山正之の異見自在」を執筆。定年後の2001年から2007年3月まで帝京大学教授を務めた。連載中のコラムに『週刊新潮』誌上で「変見自在」、『テーミス』誌上で「日本警世」、『Voice』誌上で「日本の事件簿」がある。









2025年9月16日火曜日

孤独のすすめ 五木寛之著  Gemini要約

 

孤独のすすめ 五木寛之著 

Gemini要約


7月に詠んだ、五木寛之著「孤独のすすめ」も、Geminiで要約をしてみました。


自分の要約と、Gemini要約では、かなり違うことが分かりました。

やはり、自分が感じた要約の方が、いいと思いました。

しかし、読むのがつらい積読本には、Gemini要約は最適ですね。


「遊行期」の、林さえも離れ、定住地を持たずに、無一文になって放浪し、天命に委ねよ。

人生の最終章、非常に勉強になる本でした。



孤独のすすめ 五木寛之著


五木寛之著 「孤独のすすめ」 


■ 「はじめに

五木寛之著「孤独のすすめ」の「はじめに」では、人生の後半をどのように生きるべきかについて、著者の深い洞察が示されています。

「減速して生きる」という提唱
著者は85歳を前に、高齢化社会における生き方を考察し、「シフトダウンして生きる」、つまり人生の速度を落とすことの重要性を提示しています。これは、慌ただしい現代において、意識的にペースを落とし、自分自身の内面と向き合う時間を持つことを促しています。

「諦める」の再定義
一般的な「諦める」という言葉のネガティブな意味合いを覆し、著者は「明らかに究める」あるいは「覚悟する」という意味で用いています。これは、人生の現実、特に老いや限界を受け入れ、それを深く理解し、あるがままに生きる姿勢を強調しています。

「人生の下山期」の肯定
老いを単なる衰えとして捉えるのではなく、「人生の下山期」と表現し、この時期だからこそ見えてくる風景や得られる気づきがあることを示唆しています。下り坂だからこそ味わえる豊かさや、これまでとは異なる視点から人生を見つめ直す機会が与えられると述べています。

孤独と自己受容
著者が若かりし頃に抱えていた「人間として許されざる者」という罪悪感と、親鸞の言葉との出会いが語られます。この出会いを通して「とりあえず、自分も生きていくことが許される」と感じた経験が、孤独を抱えながらも自分を受け入れ、生きることを肯定する姿勢につながっています。親鸞は、現代を生きる人々が感じる「私は間違っているのではないか」という根本的な問いに対し、孤独に寄り添う存在として描かれています。

現代社会の矛盾
科学技術や医療の発達により、平均寿命が延び、物質的な豊かさや安全性が増した一方で、現代は「生きにくい」世の中であるという認識が示されています。この矛盾こそが、個々人が孤独と向き合い、内面を豊かにすることの必要性を高めていると訴えかけています。

「はじめに」は、人生の後半を「老い」や「孤独」というテーマを通して、いかに豊かに、そして自分らしく生きるかについての、著者の経験と哲学が凝縮された導入となっています。



■ 第1章:「老い」とは何ですか

五木寛之著「孤独のすすめ」の中の「老いとは何か」の章は、一般的な「老い」のイメージを覆し、多角的な視点からその本質を問い直す内容となっています。

老いの避けられなさと向き合い方
著者はまず、老いが誰にでも平等に訪れる避けられない現実であることを強調します。しかし、単なる衰えとしてではなく、どのようにその現実を受け入れ、向き合っていくかという姿勢が問われていると述べます。老いることをネガティブに捉えるのではなく、むしろ人生の最終段階における「成熟」のプロセスとして捉え直す視点が提示されます。

「上り坂」から「下り坂」への転換
人生を山登りに例え、若い頃や現役時代を「上り坂」と位置づける一方で、老いは「下り坂」であると表現します。しかし、この「下り坂」は決して後ろ向きな意味合いではなく、上り坂では見えなかった景色や、上りきったからこそ得られる視点があることを示唆します。頂上からの眺めのように、人生の全体像を俯瞰できる時期であり、新たな発見や深い思索が可能な時であると説いています。


世間的な評価からの解放
老いとは、社会的な役割や生産性といった、世間的な評価基準から徐々に解放されていく過程でもあります。現役時代は常に「役に立つこと」や「成果を出すこと」が求められますが、老いることでそうしたプレッシャーから解放され、より自由に、自分自身の内面と向き合う時間が与えられると述べます。

死への準備としての老い 
老いは、避けて通れない「死」へと向かう準備期間でもあります。しかし、それは絶望的な意味合いではなく、残された時間を意識することで、より深く、より充実した生を生きようとする意識が芽生えることを示します。生と死が分かちがたく結びついていることを認識し、死を受け入れることで、逆説的に生が輝きを増すという仏教的な思想も根底に流れています。

孤独を受け入れることの重要性
老いとともに、社会とのつながりが希薄になり、必然的に「孤独」の時間が多くなることに触れます。この孤独を恐れるのではなく、むしろ積極的に受け入れ、自己を見つめ直す貴重な機会と捉えることの重要性を説いています。孤独な時間こそが、本当に大切なものを見極め、精神的な豊かさを育むための土壌となると主張します。

「無用の用」の思想
老いて社会的な「用」をなさなくなったとしても、その存在自体に意味があるという「無用の用」の思想が示唆されています。無用に見える存在でも、内面的な豊かさや経験、知恵は残り、それが周囲に良い影響を与える可能性を秘めていると述べています。

この章では、老いを単なる身体的な衰えや社会からの引退としてではなく、人生の最終章を豊かに生きるための新たな局面、あるいは精神的な成熟の機会として捉え直す視点を提供しています



■ 第2章:「下山」の醍醐味

五木寛之氏の著書『孤独のすすめ』における「下山」の醍醐味は、人生の後半、特に老いを「山を下る」ことに例え、その時期をいかに豊かに生きるかを説いています。

●老いの受容と新たな生き方

「下山」は人生後半のメタファー
人生を山登りに例えるならば、「下山」とは肉体的な衰えや社会との関わりの変化が訪れる老齢期を指します。多くの人が「登る」こと(成長、達成、現役での活躍)に重きを置く中で、五木氏は「下山」という時期の重要性と、その時期ならではの豊かさを強調しています。

孤独の肯定と受容
老いとともに訪れる孤独を恐れるのではなく、むしろ肯定的に受け入れることが大切であると説きます。体が思うように動かなくなったり、外出が難しくなったりして、寂しさや不安を感じることもあるかもしれません。しかし、五木氏は、歳を重ねるほどに「孤独」だからこそ豊かに生きられるという境地に至ることを示唆しています。

「諦める」ことの真意 
「諦める」という言葉は、一般的に「希望を捨てる」という意味で使われがちですが、本書では「明らかに究める」という本来の意味で捉えられています。つまり、老いという現実をはっきりと認識し、それに抗うのではなく、ありのままを受け入れることで、新たな生き方や価値観を見出すことができるとしています。

回想の重要性
人生の「下山」期においては、「昔はよかった」と過去を振り返る「回想」が、喜びと満ち足りた時間をもたらす重要な要素となります。これは単なる懐古主義ではなく、過去の思い出を咀嚼し、そこから得られる気づきや癒しを通じて、現在の生を豊かにすることを示しています。読書もまた、著者との一対一の対話を通じて、心を豊かにする友となると説かれています。

「嫌老感」への問題提起
「下山」の思想は、超高齢社会における「嫌老感」(老人に対する否定的な感情)の問題にも触れています。年配者が社会に貢献することの重要性や、世代間の相互理解の必要性を提起し、社会全体が「下山中」であることを認識し、賢く成熟していく意識を持つことの重要性を説いています。

新しい高齢者の生き方
本書は、既存の「元気な高齢者は働きましょう」「社会に貢献しましょう」といった、ともすれば若者と同じような「積極的」な生き方を求める風潮に対し、別の視点を提供します。老いに伴う心身の変化を穏やかに受け入れ、自立した生き方を心がけ、過去の回想を通して心の癒しを得るという、新しい高齢者の生き方を提唱しています。

五木寛之氏は、『孤独のすすめ』の中で、人生の終盤を単なる衰退と捉えるのではなく、「下山」という表現を通じて、その時期ならではの深い意味と豊かな可能性を提示しています。



■ 第3章:老人と回想力

五木寛之氏の著書『孤独のすすめ』における「老人と回想力」の章では、人生の後半、特に老齢期において「回想(記憶をたどること)」が持つ意味と、それがもたらす心の豊かさについて深く掘り下げられています。


●過去が与える豊かさと癒し

回想は老人の特権であり、心の宝物
五木氏は、老齢期に差し掛かると、新しい経験や刺激を求める「前方へのベクトル」よりも、過去を振り返る「後方へのベクトル」が強くなることを指摘します。これは決して退行的なことではなく、むしろ老人だからこそ味わえる特権であり、心の豊かさにつながる行為であると説きます。過去の記憶をたどることは、その人自身の生きてきた証であり、何物にも代えがたい「宝物」となるのです。

回想による心の癒しと安定
人生には、辛かった出来事や悲しい別れなど、様々な経験があります。しかし、時間を経てそれらを回想することで、当時の感情が浄化され、心が癒される効果があると語られています。また、回想は、現在の不安や孤独感を和らげ、精神的な安定をもたらす力があります。過去の自分を肯定し、様々な経験を受け入れることで、より穏やかな気持ちで現在を生きられるようになるのです。

回想の多様性と深み
回想は、単に事実を思い出すことだけではありません。五感を通して過去を呼び起こすこともあります。例えば、昔聴いた音楽、ある場所の匂い、食べたものの味などが、遠い記憶を鮮やかに蘇らせることがあります。このように、五感を使った回想は、より深いレベルで過去と繋がり、その時の感情や雰囲気を追体験させてくれます。

回想と読書の関連性
五木氏は、読書もまた、広義の「回想」に通じる行為だと捉えています。本を読むことは、著者の人生や思考、あるいは物語の中の登場人物の経験を追体験することであり、それはあたかも自分自身の過去を追体験するかのような感覚をもたらします。特に、若い頃に読んだ本を読み返すことは、当時の自分と現在の自分を重ね合わせ、新たな発見や気づきを得る「二重の回想」となります。

回想は生きる意欲の源
老齢期に入り、社会的な役割が減少し、孤独を感じやすくなる中で、回想は生きる意欲を保つための重要な要素となります。楽しかった思い出、成功体験、乗り越えてきた困難など、過去の様々な出来事を振り返ることで、自分自身の人生の価値を再認識し、自信を取り戻すことができます。これは、来るべき「死」を意識しながらも、今を豊かに生きるための心の支えとなるのです。

孤独な時間の活用
「孤独のすすめ」の全体テーマとも重なりますが、回想は一人で過ごす時間にこそ深く味わえるものです。五木氏は、テレビやインターネットなどの刺激的な情報から一時的に離れ、静かに自分と向き合う時間を持ち、心ゆくまで回想に浸ることを推奨しています。その時間こそが、人生の深みと豊かさを再発見する貴重な機会となるのです。

この章では、五木寛之氏が、単なる過去の振り返りではなく、回想が持つ深い精神的な意味と、それが老人の心にもたらす多大な恩恵を丁寧に説いています。



■ 第4章:「世代」から「階級」へ 

五木寛之氏の著書『孤独のすすめ』における「『世代』から『階級』へ」の章は、現代日本社会、特に高齢化が進む中で生じている、世代間の分断や対立の根底にある問題意識を深く掘り下げています。単なる「世代間ギャップ」として片付けられがちな問題が、実はより根深い「階級」の問題へと変質しつつある、という五木氏の考察が展開されます。

●高齢化社会の新たな分断

「世代論」の限界と「階級論」への移行
かつて、社会の分断や対立は主に「世代」の違いとして語られることが多かったと五木氏は指摘します。若者と高齢者の価値観の違い、経験の違いなどが「世代間ギャップ」として認識されていました。しかし、五木氏は、現代の高齢化社会において、この「世代論」だけでは捉えきれない、より深刻な分断が進行していると警鐘を鳴らします。それが、経済格差や社会的な地位による「階級」の分断です。

高齢者内部の多様化と格差の拡大
高齢者と一括りにされがちですが、実際にはその経済状況、健康状態、社会的なつながりなどは非常に多様化しています。年金受給額、資産の有無、持ち家の状況、医療費負担能力などによって、高齢者内でも豊かな層と貧しい層、社会と積極的に関われる層と孤立を深める層とに二極化が進んでいます。五木氏は、このような高齢者内部の格差こそが、もはや「世代」という緩やかな枠組みでは捉えきれない「階級」の問題として顕在化していると論じます。

「嫌老感」の背景にあるもの
若者層から高齢者層への「嫌老感」が増している背景にも、この「階級」の問題が横たわっていると五木氏は示唆します。例えば、社会保障費の増大や、若者の雇用が不安定な中で、一部の裕福な高齢者が「既得権益」を享受しているように見えることへの不満が募り、「世代」というよりも「富める高齢者」対「貧しい若者」という「階級」的な対立構造が生まれている可能性があると分析します。

「下山」という視点での社会
五木氏は、日本社会全体が「山を登る」成長期から、「山を下る」成熟・衰退期に入っているという「下山」のメタファーを、この「階級」の問題にも適用します。社会全体が「下山」する中で、限りある資源をいかに分配し、どの層がその負担を負うのか、という問題がより深刻になります。この資源分配の不公平感が、「世代」間の溝を深め、「階級」的な分断へと繋がっていく危険性を示唆します。

孤独の深まりと階級
経済的・社会的な「階級」の分断は、個人の「孤独」のあり方にも影響を与えます。経済的に困窮し、社会的な支援やつながりから隔絶された高齢者の孤独は、単なる精神的な寂しさにとどまらず、生活基盤そのものに直結する深刻な問題となります。五木氏は、このような「貧困と孤独」という、現代社会の最も困難なテーマの一つをこの章で浮き彫りにしています。

この章では、五木寛之氏が、表面的な「世代間対立」の背後に潜む、経済的・社会的な「階級」の分断という、より本質的で構造的な問題に鋭く切り込み、それが高齢化社会における「孤独」の様相をいかに変えつつあるかを考察しています。



■ 第5章:なぜ不安になるのか

五木寛之氏の著書『孤独のすすめ』における「なぜ不安になるのか」の章は、現代人が抱える漠然とした不安感の根源を探り、それが人生の「下山」期、特に高齢期においてどのように現れるのかを考察しています。


●現代の不安の根源と向き合う

現代社会の慢性的な不安感
五木氏は、現代社会に生きる多くの人々が、明確な理由がなくとも漠然とした不安感を抱えていることを指摘します。これは、かつてのように戦争や飢餓といった直接的な脅威が少ない時代においても、心の奥底に存在する、一種の「慢性病」のようなものとして描かれています。

未来への不確実性
不安の大きな要因の一つとして、未来への不確実性が挙げられます。少子高齢化、経済の停滞、社会保障制度への不信、災害のリスクなど、個人的な努力だけではどうにもならない社会全体の課題が山積しており、これらが個人の未来への希望を霞ませ、漠然とした不安へと繋がっています。特に、老後の生活、健康、介護など、人生の「下山」期に差し掛かる人々にとって、これらの不確実性はより切実な不安の種となります。

情報過多と自己の喪失
インターネットやSNSの発達により、私たちは常に大量の情報に晒されています。しかし、この情報過多がかえって人々の心を疲弊させ、不安を増大させていると五木氏は示唆します。他人の成功や幸福と比較して自己の至らなさを感じたり、根拠のない情報に煽られたりすることで、自分自身の軸が揺らぎ、本来の「孤独」と向き合う機会を失い、不安感が募っていくのです。

死への意識と不安
人生の「下山」期においては、自身の老いや病、そして「死」というものがより身近なものとして意識されるようになります。五木氏は、人間が避けて通れない「死」への恐れや、残されるものへの思いが、老人の不安の大きな部分を占めると考えます。この「死への不安」は、時に孤独感と結びつき、より深く心に影を落とすことがあります。

失われた共同体と孤独
かつて、地域社会や家族といった強固な共同体が存在した時代には、人々は互いに支え合い、不安を分かち合うことができました。しかし、現代社会では共同体が希薄になり、個人が孤立しやすくなっています。頼るべき場所や人がいないという状況は、個人の不安感を増幅させ、孤独をより一層深める要因となります。

不安との向き合い方
五木氏は、このような現代社会に蔓延する不安に対して、闇雲に抵抗するのではなく、むしろその存在を認め、正面から向き合うことの重要性を説きます。不安は人間である限り避けられない感情の一部であり、それを無視したり押し込めたりするのではなく、意識的に受け入れることで、かえって心の平静を得る道が開ける可能性を示唆しています。この章は、不安の根源を深く洞察し、それを乗り越えるための心のあり方を提示しています。

この章で五木寛之氏は、現代人が抱える多層的な不安の根源を分析し、特に高齢期においてそれがどのように個人の心に作用するかを深く考察しています。そして、その不安を完全に払拭することは難しくとも、その性質を理解し、適切に向き合うことの重要性を説いています。



■ 第6章:まず「気づく」こと

「なぜ不安になるのか」の章に続いて、五木寛之氏の『孤独のすすめ』では、「まず『気づく』こと」の重要性が説かれています。この章では、私たちが抱える漠然とした不安や、人生の「下山」期における様々な変化に対し、いかにして意識的に向き合うか、その第一歩としての「気づき」に焦点を当てています。


●自己認識と現実受容の第一歩

不安や変化への「気づき」
五木氏は、多くの人が漠然とした不安や、自身の老いや身体の変化、社会の変化などに対し、無意識のうちに目を背けたり、深く考えないようにしたりしていると指摘します。しかし、それらを放置するのではなく、まずはその存在に「気づく」ことが、問題を認識し、対処するための最初のステップであると強調します。

自己の現状を正確に把握する
「気づく」こととは、自分自身の身体的・精神的な状態、経済状況、人間関係、そして社会全体の動向など、現実をありのままに、そして冷静に把握することを意味します。たとえば、若い頃のような無理が利かなくなってきた身体の衰え、友人との付き合いが減ってきたことによる孤独感、将来への漠然とした不安など、具体的な事柄に対して意識を向けることが求められます。

「諦める」ことへの準備
前述の「なぜ不安になるのか」の章で触れられているように、五木氏は「諦める」ことを「明らかに究める」と解釈します。「気づく」ことは、まさにこの「諦める」ための準備段階と言えます。つまり、現実を直視し、自分がコントロールできない事柄を受け入れるための土台作りとなります。例えば、失われた体力や、すでに過ぎ去った過去の栄光にしがみつくのではなく、それらを「諦め」、新たな生き方へと舵を切るための第一歩が「気づき」なのです。

「孤独」を認識する
現代社会において、たとえ家族や友人がいても、心の奥底で孤独を感じている人は少なくありません。また、年齢を重ねるにつれて、物理的にも精神的にも孤立しやすくなる傾向があります。五木氏は、このような自身の**「孤独」の状態に「気づく」こと**が重要であると説きます。孤独を闇雲に恐れるのではなく、まずはその存在を認識することで、孤独とのより建設的な付き合い方を見つけるきっかけとなります。

未来への漠然とした不安の解消
「気づく」ことで、漠然とした不安が、より具体的な課題へと変わることがあります。例えば、「老後が不安」という漠然とした感情に対し、「年金だけでは生活できないかもしれない」「健康を維持できるか不安だ」といった具体的な点に「気づく」ことで、貯蓄や健康維持のための行動を検討するなど、具体的な対策を講じるための足がかりとなります。

能動的な生き方への転換
「気づく」ことは、受け身の姿勢から能動的な生き方へと転換するための重要なステップです。自分の状況を「理解している」ことで、無闇に悲観したり、他者に依存したりするのではなく、自らの意思で行動を選択し、人生を切り開いていく力を得ることができます。

この章で五木寛之氏は、私たちが抱える様々な心の状態や、人生の変化に対して、まずは意識的に目を向け、その存在を認めることの重要性を強く訴えかけています。この「気づき」こそが、不安を乗り越え、より豊かで穏やかな「孤独」な生を享受するための出発点となるのです。



■ おわりに
 
「なぜ不安になるのか」、「まず『気づく』こと」といった章を経て、五木寛之氏の『孤独のすすめ』の「おわりに」では、これまで語られてきた「孤独」の概念を総括し、読者へのメッセージとして、来るべき時代を生き抜くための心の持ちようが示唆されています。


●人生の「下山」期を生きる智慧と希望

「孤独」は人生の普遍的なテーマ
五木氏は、「孤独」は人間が避けて通れない、人生における普遍的なテーマであることを改めて強調します。特に、人生の後半、社会的な役割の変化や身体の衰え、大切な人との別れなどを経験する中で、私たちは否応なく「孤独」と向き合わざるを得なくなると述べます。この「孤独」をいかに受け入れ、いかに豊かに生きていくかが、本書全体を通しての問いかけです。

「下山」の道のりとその意味
本書全体で提示されてきた「人生の山を下る」というメタファーを再び持ち出し、それが単なる衰退や終焉を意味するものではないことを再確認させます。むしろ、「下山」の道程こそが、人間としての成熟を深め、自分自身と深く向き合う貴重な時間であると示唆します。これまでの人生で得た経験や知識、そして時に抱えてきた苦悩さえもが、この「下山」の道のりにおいては新たな意味を持ち、心の糧となるのです。

「諦める」ことの再確認
「諦める」という言葉の真意(「明らかに究める」)を再度提示し、それがネガティブな意味での「諦め」ではないことを強調します。人生の後半では、若い頃のように全てを思い通りにすることは難しくなります。しかし、その現実を冷静に見つめ、受け入れることで、執着から解放され、心にゆとりが生まれると説きます。この「諦める」智慧こそが、不安を手放し、穏やかな心で生きていくための鍵となります。

「孤独」との対話
「孤独」は恐れるべきものではなく、むしろ自己と深く対話するための大切な時間であると結びます。社会とのつながりが希薄になったとしても、あるいは周囲に理解者がいないと感じたとしても、自分自身の内面には無限の広がりがあり、そこでこそ真の豊かさや喜びを見出すことができると示唆します。読書や思索、あるいは日々の暮らしの中のささやかな営みの中に、孤独な時間だからこそ見出せる「醍醐味」があると語ります。

未来への静かな希望
「おわりに」では、悲観的なトーンではなく、むしろ静かな希望が込められています。高齢化が進み、社会が様々な課題に直面する中でも、個人が「孤独」を恐れず、自分自身の足で立ち、心の豊かさを追求していくことの重要性が語られます。それは、変化の激しい時代において、他者に流されることなく、自分らしく生き抜くための指針ともなります。

『孤独のすすめ』の「おわりに」は、これまでの章で展開されてきた「孤独」や「下山」の概念を総括し、人生の終盤を生きる人々に対し、不安や恐れを乗り越え、自己の内面と向き合いながら、穏やかで充実した日々を送るための深い智慧と、静かな希望を贈るメッセージとなっています。



日本の小説家・随筆家 五木 寛之氏

五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年〈昭和7年〉9月30日 - )は、日本の小説家・随筆家。福岡県出身。旧姓は松延(まつのぶ)。日本芸術院会員。少年期に朝鮮半島から引揚げ、早稲田大学露文科中退。作詞家を経て『さらばモスクワ愚連隊』でデビュー。『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞受賞。反体制的な主人公の放浪的な生き方(デラシネ)や現代に生きる青年のニヒリズムを描いて、若者を中心に幅広い層にブームを巻き起こした。その後も『青春の門』をはじめベストセラーを多数発表。1990年代以降は『大河の一滴』など仏教、特に浄土思想に関心を寄せた著作も多い。




以下が自分の読後要約です。

■孤独のすすめ 五木寛之著  2025/07/30読了 要約

人生後半の生き方


■はじめに

「春愁」という感覚・・おだやかに、ごく自然に現実を認め、愁いをしみじみと味わう。
「孤独」を楽しむ・・人生後半期のすごく充実した生き方。
「前向きに」の呪縛を捨てる・・回想は誰にも迷惑をかけない。


■第1章「老い」とは何ですか

「諦める」ということ・・明らかに究める。
人生四つの季節・・青春、朱夏、白秋、玄冬。自分がどこにいるのかの視点の転換。
「老人になっても、他人に頼らずに生きる」。「自立した生き方」。


■第2章「下山」の醍醐味

衰えを認め、受け入れる・・自分の現状を明らかに究めて受け入れる。
古代インドの概念・・
「学生期」・・青少年の時代、心身を鍛え、学習し、生きるために必要なさまざまな経験を積む。
「家住期」・・社会に出て働き、結婚し、家庭を作って子供を育てる。
「林住期」・・実社会からリタイアし、家も家族も捨てて、文字通り、独り林に住む。50歳から75歳。人生の黄金期。きちんと自立して、自分の好きな道を行ってよい時期。
「遊行期」・・林さえも離れ、定住地を持たずに、無一文になって放浪し、天命に委ねよ。


■第3 章老人と回想力

想像力を回復する。


■第4章「世代」から「階級」へ

宗教というものは人間から始まる・・日本の文化や思想・・神仏混合。
欧米を中心とした近代文明・・徹底したキリスト教文化・・アメリカは「神国アメリカ」。

これからの世界で必要なのは、日本の仏教の中で言われる「草木国土悉皆成仏」(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)。・・木にも草にも山にも岩にも命があり、仏性という尊いものが潜んでいるというアミニズム的な考え方ア。ミニズムは原始人の未開的な宗教意識と言われている。自分の信ずる神はひとつだけれど、ほかの神の存在も認めるという考え方に注目すべき。

明治以来、もっとも遅れているとされた多神教な思想こそ、日本が今後世界に寄与できる思想なのではないでしょうか。


■第5章なぜ不安になるのか

今の状況に似た時期は、平安末期から鎌倉初期にかけての頃が、私の考えです。
明日が見えず、老いも若きも、みんながある種、終末的な不安に苛まれている、という点では、とてもよく似てはいないでしょうか。
理由は「今の日本には、たしかな希望が見出せない」という現実につきるのではないでしょうか。


■第6章まず「気づく」こと

ガラクタも捨てなくていい。音楽も、回想の憑代となる。
嫌老社会から賢老社会へ。


■おわりに

「回想」のすすめ。
「回想」が、人間不信と自己嫌悪を癒してくれる。
出会いや思い出を、ときどき引き出して、発掘、発見するのは、下山の時期を豊かにする処方箋です。
そのためにも「回想力」をしっかり育てたいものです。・・「玄冬」のさ中にて。








2025年9月15日月曜日

孤独のすすめ 五木寛之著

 

本を読んだ後に、読後画像を制作しています。


孤独のすすめ 

五木寛之著


2025/07/30読了


「遊行期」の、林さえも離れ、定住地を持たずに、無一文になって放浪し、天命に委ねよ。

これからの残りの人生には非常に大事な言葉だと感じています。

「ガラクタも捨てなくていい。音楽も、回想の憑代となる」もいい言葉です。



孤独のすすめ 五木寛之著


人は年をとると、孤独という自由を手に入れる。

人生は、青春、朱夏、白秋、玄冬と、四つの季節が巡っていくのが自然の摂理です。


●「春愁」という感覚・・おだやかに、ごく自然に現実を認め、愁いをしみじみと味わう。


●「孤独」を楽しむ・・人生後半期のすごく充実した生き方。

「前向きに」の呪縛を捨てる・・回想は誰にも迷惑をかけない。


●「老い」とは「諦める」ということ・・明らかに究める。

人生四つの季節・・青春、朱夏、白秋、玄冬。自分がどこにいるのか。

「老人になっても、他人に頼らずに生きる」・・「自立した生き方」


●古代インドの概念・・

「学生期」・・青少年の時代、心身を鍛え、学習し、生きるために必要なさまざまな経験を積む。

「家住期」・・社会に出て働き、結婚し、家庭を作って子供を育てる。

「林住期」・・実社会からリタイアし、家も家族も捨てて、文字通り、独り林に住む。50歳から75歳。人生の黄金期。きちんと自立して、自分の好きな道を行ってよい時期。

「遊行期」・・林さえも離れ、定住地を持たずに、無一文になって放浪し、天命に委ねよ。


●宗教というものは人間から始まる・・日本の文化や思想・神仏混合。


●欧米を中心とした近代文明・・徹底したキリスト教文化・・アメリカは「神国アメリカ」。


●これからの世界で必要なのは、日本の仏教の中で言われる「草木国土悉皆成仏」・・木にも草にも山にも岩にも命があり、仏性という尊いものが潜んでいる。自分の信ずる神はひとつだけれど、ほかの神の存在も認める。明治以来、もっとも遅れているとされた多神教な思想こそ、日本が今後世界にできる思想です。


●ガラクタも捨てなくていい。音楽も、回想の憑代となる。



日本の小説家・随筆家 五木 寛之氏 

五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年〈昭和7年〉9月30日 - )は、日本の小説家・随筆家。福岡県出身。旧姓は松延(まつのぶ)。日本芸術院会員。少年期に朝鮮半島から引揚げ、早稲田大学露文科中退。作詞家を経て『さらばモスクワ愚連隊』でデビュー。『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞受賞。反体制的な主人公の放浪的な生き方(デラシネ)や現代に生きる青年のニヒリズムを描いて、若者を中心に幅広い層にブームを巻き起こした。その後も『青春の門』をはじめベストセラーを多数発表。1990年代以降は『大河の一滴』など仏教、特に浄土思想に関心を寄せた著作も多い。



■要約についての感想

Gemini要約を試してみましたが、

自分の要約と、Gemini要約では、かなり違うことが分かりました。

やはり、自分が感じた要約の方が、いいと思いました。

しかし、読むのがつらい積読本には、Gemini要約は最適ですね。






2025年9月13日土曜日

中島みゆき 原画


オートシェイプ画は、Excelで面と線の積み重ねで描くイラストです。なかなか面白い絵が描けます。 主に、猫・JAZZミュージシャン・POPミュージシャン・野鳥・花・人物・ポスター画等のオートシェイプ画を制作しています。


日本のシンガーソングライター

中島みゆき 原画

2018年制作の3点




2018年制作の原画3点



中島みゆき 原画 2018/07/18制作 線画 カラー




中島みゆき 原画 2018/07/18制作 線画 モノクロ



■中島 みゆき(なかじま みゆき、1952年〈昭和27年〉2月23日- )は、日本のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティ。本名、中島 美雪(読み同じ)。北海道札幌市出身。所属事務所はヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス。1975年にシングル『アザミ嬢のララバイ』でデビュー。オリコンにおいて、4つの年代にわたってシングルチャート1位を獲得した唯一のソロ・アーティストであり、他のアーティストへの提供曲が、5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得しています。また、自身の歌唱も含めると、作詞・作曲を手掛けた作品が5つの年代にわたってオリコンシングルチャート1位を獲得したことになります。




中島みゆき 原画 2018/08/12制作 カラーバージョン




青春時代の懐かしいシンガー。気になるいい曲がたくさんあります。

ときどき思い出して聴いています。









2025年9月11日木曜日

「戦後120年談話」茂木誠氏

 

「気に入った、YouTube談話 2025年9月6日

「戦後120年談話」茂木誠氏 


YouTube もぎせかチャンネルに、気に入った談話が載っていましたので、書き起こして掲載します。


ポーツマス条約が結ばれ、日露戦争が終結した1905年9月5日から、2025年9月5日で、戦後120年を迎えました。


歴史観も独立の気概もない今の日本政府首脳を恥じ、茂木誠氏が発表したものです。

さすが歴史の先生ですね。すごい内容の「戦後120年談話」でした。


やはり、この日露戦争終結で、日本は戦争から手を引くべきでしたね。

その時点で、朝鮮半島からも手を引き、国際的にはあくまで自主防衛に終始するべきであったと思います。

しかし今の政治家の歴史観のなさは驚きです。

このままでは、いずれ日本はなくなりますね。




日本の作家、コメンテーター、予備校講師 茂木 誠氏 

茂木 誠(もぎ まこと)は、日本の作家、コメンテーター、予備校講師。歴史系YouTuber。駿台予備学校・N予備校世界史科講師。東京都北区出身。明治大学文学部史学地理学科日本史専攻卒業。当初は考古学専攻に学ぶが、日本史専攻に専攻を変える。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。大学院では日本近世史を専攻。高等学校教員から予備校講師に転身。著書に、『経済は世界史から学べ!』(ダイヤモンド社)、『世界史を動かした思想家たちの格闘』(大和書房)、『世界史で学 べ! 地政学』(祥伝社)、『ニュースのなぜ?は世界史に学べ』シリー ズ(SB新書)、『超日本史』(KADOKAWA) 、『日本人が知るべき東アジアの地政学』(悟空出版)、『「戦争と平和」の世界史』(TAC)、『米中激突の地政学』(WAC出版)、『テレビが伝えない国際ニュースの真相』(SB新書)、『政治思想マトリックス』(PHP)、『「保守」って何?』(祥伝社)など。YouTubeもぎせかチャンネルで歴史とニュースについて発信中。



■「戦後120年談話」 茂木 誠 


2025年9月、あの大戦争の終結から120年の記念すべき年にあたり、敵味方の区別なく、国を守るため散った戦没者の勇気と献身を讃え、所感を述べたいと思います。

わが国にとっては、幕末以来ずっと抱いてきた植民地転落への恐怖を最終的に払拭し、列強の一員として欧米諸国に認められ、貴国に代わって朝鮮半島と満州への進出の足掛かりを得た戦いでした。まさに「坂の上の雲」に手が届いたのです。

一方貴国にとっては、それまで断続的に続けてきたアジアへの領土拡大戦争の延長戦であり、簡単に片付くはずの小さな戦争と考えていたでしょう。ところが東アジアの小国にまさかの大敗を喫し、その衝撃から国内で革命運動が発生し、わずか12年後に光栄あるロマノフ王朝は瓦解し、皇帝ニコライ2世一家は惨殺される結果となったのです。

その後の貴国の歩みは、ボリシェヴィキ(多数派)を名乗る少数の極左暴力集団・・共産党に国を乗っ取られ、国民は70年にわたる独裁のもと、言論統制、密告、尾行、強制収容所における迫害と死と隣り合わせの生活が続いたのであります。

痛恨の極みとは、このことでありましょう。

あの大戦争は帝国主義国家同士の最初の激突であったため、第0次世界大戦とも呼ばれます。

国連というものがない時代、国家間の対立はただ暴力のみで解決される時代、帝国主義の時代でした。世界の海はイギリス海軍が制圧しており、貴国は海への出口を求めてシベリアを横断し、日本海へと至りました。不凍港を求めて朝鮮半島東岸を南下した結果、日本の安全を脅かすにいたったのです。

両国は同時期に、欧米の侵略に直面していました。貴国のアレクサンドル2世はクリミア戦争で大敗を喫し、近代化の必要を悟りました。日本の江戸幕府はペリー来航を機に開国に転じ、政権を受け継いだ明治天皇は近代化を推進しました。

両国ともに外貨導入による近代化をせざるを得ず、バクー油田はロンドンの、シベリア鉄道はパリの金融資本が投資しました。英仏両国は貴国の地中海進出を恐れており、シベリア開発に矛先を向けさせたのです。

貴国とバルカン半島を争うドイツは、黄禍論Yellow Perilという人種差別を煽り、貴国を日本との戦いに誘導するため三国干渉に参加しました。こうして追い詰められた日本は、窮鼠猫を噛む形で開戦に追い込まれていったのです。

このタイミングで、イギリスが日英同盟を提案し、日本をロシア包囲網の一環に加えたことは、イギリスの世界戦略からみて当然のことでした。

日本にとっての最大の課題は、財政難でした。国民から徴収する税だけでは軍事費を賄えない。国家予算が3億円だった時代に、日本政府は約8億円の戦時国債を発行しました。しかし日本の敗北は時間の問題とされ、紙屑になる日本国債を誰が買うのか?

このとき手を挙げたのがウォール街のジェイコブ・シフでした。ロシアにおけるユダヤ人同胞への迫害に心を痛めていたシフは、日本を「ロシアを打つ神の杖」と呼び、日本国債を購入しました。シフと同郷のロスチャイルド家はロシアに投資していたわけですから、ロンドンとNYの国際金融ネットワークがこの戦争の資金源だったわけです。

ロシアは敗戦と革命で崩壊し、ロシアへの投資はドブに捨てる結果となりました。一方、勝利した日本は、国債の償還を続け、これは1945年の大日本帝国の敗戦以後も続き、関西したのは1986年でした。

戦争とは本質的にビジネスであり、これは現在進行中のウクライナ戦争でも同様です。かつての日本が現在のウクライナのように分裂していたら、ロシア軍に国土を蹂躙されていたでしょう。

しかしそうではなかった。日本はサムライの国であり、外国による屈辱を甘んじる国民性ではありませんでした。武士道精神を叩きこまれた血気盛んな若者たちが、祖国防衛に立ち上がったのです。

勝敗を決したのが対馬沖で行われた日本海海戦でした。貴国のバルチック艦隊はアフリカを迂回してインド洋を渡り、日本海のウラジオストクに入港しようとしました。東郷平八郎元帥率いる日本の連合艦隊はこれを迎撃し、完膚なきまでに叩きのめしました。

バルチック艦隊の旗艦スヴォーロフも沈没し、司令官のロジェストヴァンスキー元帥は重傷を負って捕虜になりました。佐世保の海軍病院に入院中のロジェストヴァンスキー元帥を東郷元帥が見舞いに訪れ、こう語りました。「軍人として、名誉ある敗北を少しも恥じることはありません。大切なことは、我々がその義務を果たしたかどうかです。

貴官の将兵諸氏は、実に勇敢に戦われた。私は心からの称賛を惜しみません。貴官は偉大な任務を遂行され、途中、はからずも負傷されました。

私は貴官に心からの尊敬をささげます。どうか一日もはやく回復されますように」

ロジェストヴァンスキー元帥は、こう答えました。「私が敗れた相手が貴官であったことは、最大の慰めです」

戦闘は兵士同士で行われ、市民に対する無差別空爆などはなかった。騎士道精神、武士道精神が残っていた最後の戦争でした。これは第二次大戦末期にスターリン率いるソ連共産党の軍隊が行った日本に対する背信的な攻撃、一般市民の殺戮とは著しい対照をなしています。このソ連時代をどう評価するかは、貴国の国民が向き合うべき重い問題です。

日露戦争の戦死者は日本軍9万、ロシア軍8万。1905年9月5日、アメリカの仲介によりポーツマス条約が結ばれ、この戦争は終結しました。

2025年9月、ポーツマス条約120年を記念して日露両国海軍が対馬沖で両国兵士に対する合同慰霊祭を行い、不戦を誓うべきであります。

今の日本政府首脳に、そのような歴史観も独立の気概もないことを恥じるわたくしは、一日本国民としてこの談話を捧げます。

日本国民 茂木誠




素晴らしい「戦後120年談話」でした。政治家にも是非聞かせたいですね。








2025年9月9日火曜日

写句  秋風(あきかぜ)Ⅱ

写真家の浅井慎平氏が提唱している、「Haikugraphy」とは、写真と俳句を一つにして表現した、「写句」です。


秋風(あきかぜ)Ⅱ

9月に詠んだ写句1句

2018/09/09に詠んだ句です。


秋風(あきかぜ)

秋風や目醒め老い猫寺を這う



写句  秋風(あきかぜ)Ⅱ 2018/03/10


秋風が吹く鎌倉円覚寺の境内を歩いていると、

目覚めた老い猫が、ゆっくりと歩いていました。

まるで一服の絵のようです。






2025年9月5日金曜日

短歌 半夏生(はんげしょう)

 

短歌 半夏生 


2017年6月に三渓園を訪れた時に詠んだ1首です。


梅雨晴れの半夏生みて仰ぎみるそら三渓の三重塔





短歌 半夏生(はんげしょう) 2017/06/23制作



■半夏生


三溪園の池沿いに咲く半夏生の花をみて、空の彼方を見上げると、


そこにはいつも三渓の三重塔が綺麗に見えます。











2025年9月2日火曜日

幻影の明治 渡辺京二著 Gemini要約

 

幻影の明治 渡辺京二著 

Gemini要約 


渡辺京二著の連作とも言える「幻影の明治」も、Geminiで要約をしてみました。


「明治維新は日本の近代化を成功させた輝かしい時代」というイメージに対し、少し疑問がありましたが、本書は、徹底した批判と再検証を加える歴史評論書になっています。


明治という時代への認識が、いかに「幻影」に過ぎないかを多角的に論じています。

非常に勉強になり本でした。




幻影の明治 渡辺京二著



■渡辺京二「幻影の明治」書評 

風太郎の「明治もの」はなぜ面白いか
評者: 朝日新聞読書面 / 朝⽇新聞掲載:2014年05月18日

幻影の明治―名もなき人びとの肖像 [著]渡辺京二
実在の人物と虚構の人物が絶妙に絡み合う山田風太郎の「明治もの」はなぜ面白いか。「筋立て上無用の人物がひょっこり顔を出す」などいくつか挙げた上で、著者は風太郎の「カメラのロー・アングルぶり」を指摘する。対照的に、司馬遼太郎『坂の上の雲』の、徳川期の蓄積を無視するような歴史観に疑問を呈す。人びとが一つの国家にいや応なく包摂されるようになった明治という時代を扱った文章、講演など、媒体も時期も異なる論考を集めているが、一本の筋が通るのは、著者のカメラも「ロー・アングル」だからだ。自由民権運動や士族の乱など、旧来的な学説と異なる視点から、人びとが生き生きと動くさまが見えてくるようだ。



■紀伊国屋 出版社内容情報

歴史の谷間から浮かび上がるもうひとつの近代とは。士族反乱から自由民権まで、変革期を生き抜いた人びとの挫折と夢の物語を語り直し、現代を逆照射する日本の転換点を克明に描き出す評論集。

内容説明
歴史の谷間から浮かび上がるもうひとつの近代とは―時代の底辺を直視した山田風太郎の史眼を手がかりに、変革期を生き抜いた人びとの挫折と夢の物語を語り直し、現代を逆照射する日本の転換点を克明に描き出す評論集。


目次

第1章 山田風太郎の明治
第2章 三つの挫折
第3章 旅順の城は落ちずとも―『坂の上の雲』と日露戦争
第4章 「士族反乱」の夢
第5章 豪傑民権と博徒民権
第6章 鑑三に試問されて



■幻影の明治 渡辺京二著 全体要約

渡辺京二著『幻影の明治』は、一般に流布している「明治維新は日本の近代化を成功させた輝かしい時代」というイメージに対し、徹底した批判と再検証を加える歴史評論書です。特に司馬遼太郎の歴史観(司馬史観)への異議申し立てを軸に、私たちが抱く明治という時代への認識が、いかに「幻影」に過ぎないかを多角的に論じています。



本書の主なテーマと論点:

1.「司馬史観」への徹底的な批判と明治の再解釈:

●本書の最大の特徴は、司馬遼太郎が描いた「明るく、前向きな明治」像や、近代化の成功を絶対視する視点に対する強い批判です。渡辺は、それが戦後の日本人が自らを肯定するために作り上げた「幻想」であると指摘します。

●特に、司馬の代表作『坂の上の雲』で描かれる日露戦争の英雄主義や近代化の賛美に対し、渡辺は当時の日本社会や民衆の実像は、司馬の描くような近代的な「国民」意識とはかけ離れたものであったと論じます。



2.近代国家形成期における「国民」意識の未成熟性:

●渡辺は、明治初期にはまだ「国民」という意識が希薄であったことを強調します。例えば、開国直後の外国との衝突において、一般民衆が外国軍の物資運搬を報酬目当てで手伝うなど、現代のナショナリズムの視点からは「売国」と捉えられかねない行為を何ら抵抗なく行っていた事実を挙げます。これは、当時の人々が国家よりも共同体(村や藩)への帰属意識が強く、近代的な国家意識が後から徐々に形成されていった過程を示すものとされます。

●兵士が戦場で命を懸けた動機も、必ずしも近代的な「国家」への忠誠心だけではなく、村や家といった共同体への忠誠や相互扶助の意識に根ざしていたという視点も提示されます。



3.士族反乱と民衆運動の再評価:

●西南戦争に代表される士族の反乱は、単なる時代遅れの反動と片付けられがちですが、渡辺はこれを旧来の価値観と新体制との間で揺れ動き、苦悩した人々の抵抗の表れとして捉え直します。

●自由民権運動についても、従来の歴史観ではあまり光が当てられなかった「豪傑民権」や「博徒民権」といった、社会の周縁にいた人々が運動に果たした役割に注目し、民衆運動の多様性や複雑な様相を浮き彫りにします。



4.明治の「負の側面」への着目:

●本書は、明治という時代が抱えていた貧困、差別、思想的混乱、そして後の軍国主義へと繋がる萌芽など、「光」の側面だけでなく「影」の側面にも深く切り込みます。

●近代化の過程で失われたもの、切り捨てられたもの、そして多くの人々の犠牲の上に成り立っていた現実を直視することを促します。

全体としてのメッセージ:
『幻影の明治』は、私たちが当たり前のように受け入れている日本の近代史の物語が、いかに特定のイデオロギーや戦後の価値観によって構築され、美化されてきたかを問い直す作品です。渡辺は、近代国家としての日本がどのように形成されていったのか、その過程における民衆のリアリティ、思想的な葛藤、そして「国民」意識がどのように構築されていったのかを、丹念な史料読解と批判的精神で解き明かします。これにより、読者に対し、歴史を固定的な物語としてではなく、多層的で複雑なものとして捉え直す視点を提供します。
この本は、日本の近代史に対する既存の枠組みを揺さぶり、深く思考することを促す、挑発的かつ思索に富んだ一冊と言えるでしょう。



■幻影の明治 渡辺京二著 要約


1 山田風太郎の明治 

渡辺京二著「幻影の明治」の第一章「山田風太郎の明治」は、山田風太郎の歴史小説、特に明治を舞台とした作品群に焦点を当て、彼の独特な歴史観を深く掘り下げた内容です。

この章では、渡辺京二が山田風太郎の史眼を通して、激動の明治という変革期を生き抜いた市井の人々の「挫折と夢」の物語を再構築している点が特徴です。山田風太郎は、当時の時代の「底辺」にいた人々に光を当て、近代化の陰に埋もれた無告の民への共感から歴史を叙述しています。

渡辺京二は、山田風太郎が膨大な資料を読み込み、緻密な考証に基づいて作品を構築していることを高く評価しています。また、山田風太郎の作品に流れる「倫理も心情も踏みにじる歴史の進歩に対して一矢報いずにはいられない」という作家としての基本的な立場を指摘しています。これは、進歩史観や正史とは異なる視点から明治時代を捉えようとする山田の姿勢を示しています。

さらに、この章では司馬遼太郎の歴史観との比較や批判的な考察も含まれており、山田風太郎の作品が「いわゆる真善美の世界を転倒する邪悪な眼で貫かれているにもかかわらず、崇高な真善美への憧れが常に伴っている」という多面的な魅力を分析しています。
この章を通じて、渡辺京二は山田風太郎の視点を通じて、「もうひとつの明治」を描き出し、現代の日本の転換点を逆照射する意図がうかがえます。



2 三つの挫折 

以前にもお伝えしました通り、渡辺京二著「幻影の明治」の第二章「三つの挫折」に特化した詳細な要約は、公開されている情報の中では見つけることができません。

そのため、この章の内容については、書籍全体のテーマや渡辺京二氏の他の著作に見られる歴史観から、以下のように推測する形になります。

「幻影の明治」は、一般的に語られる「明るく希望に満ちた明治」というイメージに異を唱え、近代化の陰で失われたものや、名もなき人々が経験した苦難に光を当てることを目的としています。この文脈において、「三つの挫折」の章は、明治維新という大転換期に、様々な立場の個人や集団が直面し、乗り越えられなかった、あるいは深く傷ついた具体的な困難や喪失を描いていると考えられます。

考えられる「三つの挫折」の可能性は以下の通りです。


1.旧来の身分・生活様式の喪失とアイデンティティの危機:

●対象: 武士(士族)、旧支配層、あるいは伝統的な職人や農民の一部。
●内容: 明治政府による士族制度の廃止(秩禄処分など)、徴兵制の導入、新しい土地制度の確立などにより、武士は特権と地位を失い、生活の基盤が大きく揺らぎました。また、伝統的な共同体や生活様式も解体され、多くの人々が新たな社会に適応する中で、自身のアイデンティティや生きがいを見失うといった精神的な苦痛を経験した可能性があります。この章では、彼らの経済的困窮だけでなく、精神的な「挫折」に焦点を当てていると考えられます。


2.理想と現実の乖離、および政治的活動の挫折:

●対象: 自由民権運動の活動家、あるいは新政府に理想を抱きつつも失望した人々。
●内容: 明治維新を経て「近代国家」の建設が進む中で、国民の権利拡大や平等な社会を求めた自由民権運動は、政府による弾圧や運動内部の分裂、あるいは大衆の無関心といった壁にぶつかり、多くの活動家が投獄されたり、志半ばで挫折したりしました。また、維新の志士の中にも、新政府の政策や方向性に失望し、理想とのギャップに苦しんだ者が少なくなかったはずです。この章では、彼らが抱いた「夢」がなぜ「幻影」に終わったのか、その経緯と人々の絶望が描かれる可能性があります。


3.近代化の代償としての民衆の犠牲と苦難:

●対象: 一般の農民、都市の貧困層、兵士など。
●内容: 富国強兵、殖産興業といった近代化政策は、国家の発展をもたらしましたが、その一方で、重い地租や徴兵の負担、劣悪な労働環境など、多くの民衆に多大な犠牲を強いました。日清・日露戦争における多数の死傷者もその一例です。この章では、華々しい「文明開化」の陰で、名もなき人々が強いられた苦痛や、近代化の過程で踏みにじられた個人の尊厳に光を当て、彼らが経験した「挫折」を描いていると考えられます。

渡辺京二氏は、これらの「挫折」を通じて、明治という時代が決して一方向の進歩だけではなかったこと、そしてその中で多くの人々が払った代償を浮き彫りにしようとしていると推察されます。



3 旅順の城は落ちずとも―『坂の上の雲』と日露戦争 

渡辺京二著「幻影の明治」の第三章「旅順の城は落ちずとも―『坂の上の雲』と日露戦争」は、司馬遼太郎の代表作『坂の上の雲』を批判的に考察し、日露戦争、特に旅順攻防戦における「もう一つの歴史」を描き出そうとする章です。

この章では、渡辺京二が『坂の上の雲』が描く日露戦争観、特に「国民が一体となって近代化を目指し、勝利に向かって進んでいく」というような、いわゆる「明るい明治」像や、国家の成長物語としての側面に対して疑問を呈しています。

渡辺京二は、旅順攻防戦における多大な犠牲や、その背後にあった個々の兵士たちの苦悩、そして国家の都合によって見過ごされがちな「無告の民」の視点に光を当てています。彼は、司馬遼太郎が描かなかった、あるいは描ききれなかった日露戦争の「影」の部分、すなわち、個人の犠牲や悲劇、そして戦争の不条理を浮き彫りにしようと試みています。

具体的には、旅順攻防戦における日本軍の膨大な死傷者数や、乃木希典司令官の責任問題など、司馬史観ではあまり深く掘り下げられない側面を、渡辺京二独自の視点から再評価しています。彼は、国家の栄光の裏側で、いかに多くの人々が苦しみ、犠牲になったのかを問いかけ、歴史の多層性を提示しています。
この章は、単なる歴史的事実の解説に留まらず、歴史叙述のあり方、特に国民的物語として語られる歴史の危険性について、読者に深く考えさせる内容となっています。



4 士族反乱の夢

渡辺京二著「幻影の明治」の第四章「士族反乱の夢」は、明治維新後に起こった士族による反乱、特に西南戦争に代表される一連の動きを、単なる旧時代の抵抗としてではなく、その背後にあった「夢」や「理想」に焦点を当てて考察する章です。

この章では、渡辺京二は、明治維新がもたらした急激な社会変革の中で、それまでの特権を失い、生活の基盤を奪われた士族たちの心情に深く踏み込んでいます。彼らがただ旧来の身分や特権を取り戻そうとしただけでなく、むしろ武士としての倫理観や忠誠心、あるいは理想とする国家像があったからこそ、新政府に対する反抗へと駆り立てられた、という視点が提示されます。

渡辺京二は、特に西郷隆盛とその西南戦争を巡る物語を、単なる「敗者の歴史」として片付けるのではなく、そこに込められた士族たちの「最後の夢」や「矜持」を読み解こうとします。彼らの行動は、新政府が推し進める近代化とは異なる、もう一つの日本のあり方を模索する試みであった、という解釈が示されることもあります。

この章では、士族反乱を単なる「反動」としてではなく、近代化の波に抗し、独自の倫理観や理想を追求しようとした人々の悲劇的な試みとして描くことで、明治維新の多面性と複雑さを浮き彫りにしています。彼らの「夢」がなぜ「幻影」に終わったのか、その歴史的背景と人間ドラマを深く掘り下げることが、この章の主題となっています。



5 豪傑民権と博徒民権

渡辺京二著「幻影の明治」の第五章「豪傑民権と博徒民権」は、明治時代の自由民権運動を、教科書的な「明るい」市民運動としてではなく、その裏側に存在した異質な要素、特に「豪傑(ごうけつ)」や「博徒(ばくと)」といった人々と民権運動との関わりに焦点を当てて考察する章です。

この章で渡辺京二は、自由民権運動が単にエリート知識人や政治家によって主導されただけでなく、社会の周縁にいた人々、すなわち度胸があり腕力に自信を持つ「豪傑」や、地域社会で独特のネットワークを持つ「博徒」といった存在が、ある種の影響力を持ち、民権運動に深く関与していた実態を描き出しています。

「豪傑民権」とは、言論だけでなく、時に暴力的な手段も辞さないような、力による改革を志向した人々や、その行動様式を指します。一方、「博徒民権」は、賭博を稼業とする博徒たちが、彼らの縄張りや組織力を利用して、民権運動の活動家を匿ったり、資金を提供したり、時には運動の尖兵となったりした側面を指します。彼らは必ずしも近代的な政治思想を持っていたわけではないかもしれませんが、当時の社会状況や体制への不満、あるいは個人的な義侠心から、民権運動と結びついていたと考えられます。

渡辺京二は、このような異質な要素が民権運動に混在していた事実を通して、当時の自由民権運動が、単一の思想や目標によって動かされていたわけではなく、多様な階層や思惑が複雑に絡み合った、より生々しく、泥臭い運動であったことを示そうとします。これにより、従来の教科書的な歴史観とは異なる、明治のもう一つの顔、すなわち社会の裏側や非合法的な側面から見た民権運動の実像を提示し、「幻影の明治」というタイトルが示唆するように、一般的に知られる明治像が持つ「幻影」を剥がし、その実像に迫ろうとしています。



6 鑑三に試問されて 

渡辺京二著「幻影の明治」の第六章「鑑三に試問されて」は、明治を代表するキリスト教思想家である内村鑑三に焦点を当て、その思想と生涯を、渡辺京二自身の視点から「試問」する形で深く掘り下げた章です。
この章では、渡辺京二が内村鑑三の思想、特に彼の無教会主義や非戦論、あるいはキリスト教を通じた日本のあるべき姿の探求といった側面を考察します。内村鑑三は、西洋文明とキリスト教を受け入れつつも、それを安易に模倣するのではなく、日本の独自性を保ちながら精神的独立を目指した人物として描かれます。

「鑑三に試問されて」というタイトルは、渡辺京二自身が内村鑑三の思想と向き合い、現代の視点からその普遍性や限界、あるいは矛盾点などを問い直している姿勢を示唆しています。例えば、内村鑑三の清廉潔白な生き方や、国家よりも信仰を優先する姿勢が、当時の社会でどのように受け止められ、また現代においてどのような意味を持つのか、といった点が考察されると考えられます。

また、内村鑑三が日清・日露戦争における非戦論を唱えたり、不敬事件(教育勅語への不敬を問われた事件)で職を追われたりといった、国家権力や当時の世論と対峙した経験も取り上げられ、その思想の根源にある信念と、それゆえに直面した困難が描かれます。
この章を通じて渡辺京二は、内村鑑三という一人の思想家の生き方と、それが明治という時代において持つ意味を深く探り、近代化の過程で失われつつあった精神性や倫理観を内村がどのように守ろうとしたのかを浮き彫りにしています。そして、その問いかけは、現代の私たち自身の価値観や社会のあり方にも通じる、普遍的なテーマを含んでいると言えるでしょう。




思想史家・歴史家・評論家 渡辺京二氏

渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 2022年12月25日)は、熊本市在住の日本の思想史家・歴史家・評論家。代表作に幕末・明治期の異邦人の訪日記を網羅した『逝きし世の面影』などがある。日活映画の活動弁士であった父・次郎と母・かね子の子として京都府紀伊郡深草町(現:京都市伏見区深草)に生まれる。1938年(昭和13年)、当時かの地で映画館の支配人をしていた父を追って中国・北京に移住、その二年後に大連に移り、南山麓小学校から大連第一中学校へ進む。1947年(昭和22年)、大連から日本へ引揚げ、戦災で母の実家が身を寄せていた菩提寺の六畳間に寄寓する。旧制熊本中学校に通い、1948年(昭和23年)、日本共産党に入党する。同年第五高等学校に入学するが、翌1949年(昭和24年)結核を発症、国立結核療養所に入所し、1953年(昭和28年)までの約四年半をそこで過ごした。1956年(昭和31年)、ハンガリー事件により共産主義運動に絶望、離党する。法政大学社会学部卒業。書評紙日本読書新聞編集者、河合塾福岡校講師を経て、河合文化教育研究所主任研究員。2010年には熊本大学大学院社会文化科学研究科客員教授。2022年12月25日死去。92歳没。









2025年8月31日日曜日

酒の肴・赤・黄パプリカのピクルス

■作家 曾野綾子氏の助言

老年になれば、妻と死別したり、妻が急に入院したりする可能性が出てくる。そのために、簡単な掃除、洗濯、料理ぐらいができない男というのも、賢い生き方とは言えない。


酒の肴づくり

赤・黄パプリカのピクルス


黒こしょうをいれてオリーブ油で炒めた素材がそのままピクルスに。




酒の肴・赤・黄パプリカのピクルス




皮をむいたパプリカに黒こしょうを入れて、焼き色をつけながら炒め、砂糖、酢、塩、水を加えひと煮した調理液に漬け込む。

夏のつまみには最高です。








2025年8月29日金曜日

大日本帝国憲法の根本義 美濃部達吉著 Gemini要約

 

大日本帝国憲法の根本義 美濃部達吉著 

Gemini要約


以前から気になっていた、大日本帝国憲法の根本義 美濃部達吉著を

AI Geminiで要約してみました。


大日本帝国憲法が発布されたのが、1889年 明治22年、

大日本帝国憲法の根本義刊行されたのが、1936年 昭和11年、

大日本帝国憲法の根本義とは対照的な国体の本義を政府が掲げたのが、1937年(昭和12年)、

大東亜戦争が始まったのは、1937年 昭和12年です。


こうしてみていると、戦争を遂行するために政府が意図的に大日本帝国憲法の根本義から

国体の本義に持って行った感があります。

大日本帝国憲法が悪いのではなく、時の政府の意図的な運用が間違っていたと思わざるを得ません。

非常に勉強になりました。



大日本帝国憲法の根本義 美濃部達吉著


日本の法学者、憲法学者、政治家、東京帝国大学名誉教授 美濃部 達吉氏 


美濃部 達吉(みのべ たつきち、1873年〈明治6年〉5月7日 - 1948年〈昭和23年〉5月23日)は、日本の法学者、憲法学者、政治家。東京帝国大学名誉教授。天皇機関説を主張し、大正デモクラシーにおける代表的理論家として知られる。昭和期には天皇機関説事件により、貴族院議員を辞職した。戦後の1948年には勲一等旭日大綬章を受章。一木喜徳郎門下。弟子に清宮四郎、宮沢俊義、柳瀬良幹、田中二郎、鵜飼信成、田上穣治など。




大日本帝国憲法の根本義 美濃部達吉

大日本帝国憲法が発布:1889年 明治22年2月11日、大日本帝国憲法が発布されました。

大日本帝国憲法の根本義刊行年: 1936年 昭和11年3月



■大日本帝国憲法の根本義の目次

美濃部達吉著「大日本帝国憲法の根本義」の目次については、版によって詳細な構成が異なる場合がありますが、一般的な章立てと主要な内容を示すと以下のようになります。

「大日本帝国憲法の根本義」目次(一般的な構成)
本書は、大日本帝国憲法の条文を一つ一つ解説する形式ではなく、憲法全体の根本的な原理と、その中での各機関や権利の意義を体系的に論じる形をとっています。そのため、特定の条文番号ではなく、概念的な章立てが多いのが特徴です。


序論
憲法の意義と性質
大日本帝国憲法の特色(欽定憲法の性格、立憲主義との関係など)
国体と政体
天皇機関説の基本的立場

第一編:天皇
天皇の地位と性格(元首、統治権の総攬者)
統治権の範囲と限界
天皇の権能(立法権、行政権、司法権、外交権、統帥権など)
天皇の輔弼と責任

第二編:臣民の権利及義務
臣民の意義と地位
臣民の権利の総則(法律の留保と制限)
臣民の各個の権利(自由権、財産権、請願権など)
臣民の義務(納税の義務、兵役の義務など)

第三編:帝国議会
帝国議会の組織(貴族院、衆議院)
議会の権能(立法権、予算審議権、請願受理権など)
両院の関係

第四編:国務大臣及枢密顧問
国務大臣の地位と責任
内閣の組織と権限
枢密院の地位と権能

第五編:司法
司法権の独立
裁判所の組織と権能
裁判官の地位

第六編:会計
国家財政の原則
予算と決算
会計監督

第七編:補則
憲法改正の手続
皇室典範との関係

(注記) 上記の目次は、美濃部達吉の「大日本帝国憲法の根本義」の典型的な内容と構成に基づいた概略です。実際の書籍では、さらに細分化された節や項がある場合や、版によって表現が異なる場合があります。しかし、本書が天皇機関説に基づき、近代的な立憲主義の視点から大日本帝国憲法を体系的に解釈しようとしたものであることが、この目次からも読み取れるかと思います。



■大日本帝国憲法の根本義 美濃部達吉著 全体要約


「大日本帝国憲法の根本義」は、東京帝国大学教授であった美濃部達吉によって1920年(大正9年)に著された憲法解説書です。本書は、美濃部の提唱した天皇機関説の立場から、大日本帝国憲法の解釈を体系的に示したものであり、当時の憲法学における代表的な著作の一つとされています。
以下に、その詳しい要約を示します。

「大日本帝国憲法の根本義」の詳しい要約
美濃部達吉の「大日本帝国憲法の根本義」は、大日本帝国憲法が単なる「天皇の私法」ではなく、近代的な立憲主義に基づいた「国家の根本法」であるという立場を明確に打ち出し、その解釈を詳細に論じたものです。本書の主要な論点は以下の通りです。


1. 天皇機関説の徹底

本書の最も重要な特徴は、美濃部が提唱した「天皇機関説」に基づき、大日本帝国憲法を解釈している点です。

●天皇の位置づけ: 
天皇は「国家の最高機関」であって、国家そのものではないと説きます。つまり、国家という法人の中に天皇という機関があり、天皇はその機関として、憲法の定めに従って統治権を行使するという考え方です。

●統治権の所在: 
統治権は「法人としての国家」に帰属し、天皇はその統治権を行使する最高機関であると説明します。これにより、天皇の権能が憲法によって制限されるという、近代立憲主義的な解釈を導きます。

●輔弼(ほひつ)の責任: 
国務大臣の輔弼責任を強調し、天皇の行為は大臣の輔弼を必要とすることから、事実上、天皇の政治的責任を回避し、大臣に責任が帰属すると考えます。


2. 立憲主義の強調と憲法の法的拘束力

美濃部は、大日本帝国憲法が単なる君主の恩恵によって与えられたものではなく、国家の最高法規であり、天皇を含むすべての国家機関を拘束するものであると主張します。

●憲法の優位性: 
憲法は、天皇の統治権の行使を制限し、国民の権利・義務を定める国家の根本規範であり、他のいかなる法規もこれに反してはならないと説きます。

●法治主義の徹底: 
国家の統治は、専断的な君主の意思ではなく、法に基づき行われるべきであるという法治主義の原則を強く打ち出します。


3. 国民の権利と義務の解釈

国民の権利についても、単なる臣民の恩恵ではなく、憲法によって保障された「国民の権利」として捉えます。

●臣民の権利: 
大日本帝国憲法における「臣民の権利」は、絶対的なものではなく、法律の範囲内で制限されうるものではあるものの、国家が一方的に剥奪できない法的権利であると解釈します。

●兵役の義務・納税の義務: 
国民の義務についても、単なる奉仕ではなく、国家の構成員としての国民が担うべき責任であると説明します。


4. 議会の権能の重視

帝国議会の権能についても、天皇機関説の立場から、その重要性を説きます。

●協賛権: 

帝国議会は、立法権において天皇の「協賛機関」であり、法律の制定には議会の同意が不可欠であるとします。これにより、議会の立法における発言権を強めます。

●予算審議権: 予算の審議・議決権が議会に与えられていることを重視し、財政に対する議会の関与の大きさを強調します。


5. 統帥権独立の問題に対する見解

美濃部は、天皇機関説の立場から、軍の統帥権が内閣の輔弼を受けない「統帥権独立」の原則についても、その限界を指摘します。

●統帥権と国務: 
統帥権も国家の統治権の一部であり、最終的には憲法に基づくものであるため、完全に内閣の輔弼の範囲外にあるものではないという見解を示唆します。ただし、直接的な政治責任を問う形ではないものの、憲法の枠内での統制が必要であると解釈します。


6. 国体の本義との対比

「大日本帝国憲法の根本義」は、後に政府が掲げた「国体の本義」(天皇を現人神とし、国家が天皇の私有物であるとする思想)とは対照的な、近代的な国家観・憲法観を示したものです。

●天皇の神聖性・不可侵性: 美濃部は、天皇の神聖性や不可侵性を認めつつも、それはあくまで憲法上の地位であり、超法規的な存在ではないとします。


まとめ

「大日本帝国憲法の根本義」は、美濃部達吉が天皇機関説を基盤として、大日本帝国憲法を近代立憲主義の原則に則って解釈しようと試みた画期的な著作でした。これにより、天皇の権限に法的制限を設け、議会の権能や国民の権利を重視する立場を明確にしました。
本書は、当時の日本の憲法学における通説的見解を形成する上で大きな影響を与えましたが、その後の国体論争や軍部の台頭の中で批判の対象となり、美濃部自身も天皇機関説事件によって排撃されることになります。しかし、戦後の日本国憲法の制定にあたっては、その立憲主義的な思想が間接的に影響を与えたとも評価されています。


■ 各論の要約 

Geminiでは、要約を作成することができませんでした。



■天皇機関節と、天皇主権説、関連図







■天皇機関説問題の記事










2025年8月27日水曜日

短歌 夏兆すころ(なつきざすころ)

 

短歌 夏兆すころ


2017年5月に帷子川河川沿いを歩いていた時に詠んだ1首です。


夏兆す朝の河原をゆきゆけば香にながるるはブオブオの蛙





短歌 夏兆すころ(なつきざすころ) 2017/05/24制作




■夏兆すころ

夏が兆すころに、河原をぶらぶらと歩いていると、

牛蛙のブオブオという声が聞こえてきます。夏の香りのように。








2025年8月24日日曜日

広角で見える「温暖化」の素顔

 

私が気に入った新聞コラム

広角で見える「温暖化」の素顔 

東京大学名誉教授・渡辺正



「広角」にして太平洋全体を眺めたら、印象はガラリと変わる。米国西海岸の水温は3月以降、平年より約2度は低い。案の定、サンフランシスコの気温は平年よりやや低いまま推移し、ロサンゼルスも涼しかった。昨年6~8月の寒かった南米沿岸や平年並みだった英国について、NHKが報じた記憶はない。

NHKの制作陣が確信しているらしい「怖い温暖化が進行中」も「CO2の削減が世界を救う」も、ただの幻想にすぎない。空疎な提案をするカネの亡者に、政府は補助金や研究費の形で巨額な血税を恵んできた。こんな茶番はいいかげんにやめよう。

その通りですね。マスコミ、特にNHKの報道は要注意です。




東京理科大学教授 渡辺正氏

渡辺 正(わたなべ・ただし)は東京理科大学教授。1948年鳥取県生まれ。東京大学大学院修了、工学博士。東京大学助手、助教授を経て1992年より同大学教授(生産技術研究所)。2012年、同大学を定年退職(名誉教授)ののち東京理科大学に勤務。専門は生体機能化学、科学教育、環境科学。



広角で見える「温暖化」の素顔 
東京大学名誉教授・渡辺正

何かに適切な判断を下したいなら、写真の広角撮影と似て、全体を眺め渡すのが望ましい。そうでない姿勢を昔から「木を見て森を見ず」と言い習わす。

決着からまだ遠い温暖化(気候変動)問題だと、「人為的CO2が地球を暖めて害をなす」という風説の真偽を、時間・空間的に広角で眺めつつ吟味したい。

昇温の原因がCO2だけなら、どの場所の気温変化も似ていよう。だが現実はまるで違うのだ。


島国の気温を決める海水温

海水温の自然な周期変動は、20世紀末に見つかった。島国の気温には表層水温の高低が効く。

米海洋大気局(NOAA)によると今年の夏季、日本海を含む近海の水温は平年より5度超も高かった。気圧配置も効くにせよ、猛暑の主因は高温の海水だろう。

NHKの天気予報も、最近はときどき気温と近海の表層水温を並べて示す。しかし「広角」にして太平洋全体を眺めたら、印象はガラリと変わる。

米国西海岸の水温は3月以降、平年より約2度は低い。案の定、サンフランシスコの気温は平年よりやや低いまま推移し、ロサンゼルスも涼しかった。NHKがそこまで語れば、庶民の「温暖化観」も進化していくだろうに。

昨年夏の猛暑にも、近海の異常高温が効いたはず。だが太平洋の全景は今年と違い、南米(冬)の南端を洗う海域が特に冷たかった。沿岸域の酷寒を、海外メディアはたびたび報じている。

また昨年夏は、日本と同じ島国の英国で、近海の水温に特別な異常は起きていない。英国気象庁が公開した気温状況も「国土全体が平年並み」で、やや涼しい地域も少しあった。

昨年6~8月の寒かった南米沿岸や平年並みだった英国について、NHKが報じた記憶はない。


過去20年の昇温は体感未満

陸地の気温は、都市化で大きく上がる。東京の気温も、140年で3度ほど上がった。主因は熱源(電力消費と走行車両)の激増だろう。

NOAAは20世紀の末ごろ、地続き48州の観測点1218カ所を点検し(広角精神?)、都市の強い昇温を確認する。それなら都市は「地球の気温」を表さない、として田舎の観測点を精選した。48州に選んだ112地点のうち、北海道の1・4倍も広いオハイオ州には1地点しかない。そうやって決めた観測点群を気候基準観測網(USCRN)と呼び、2005年1月から実測結果を公表してきた。

上下動の激しい20年半の測定値から、昇温は0・2度(体感未満)程度と推定できる。だが同時期に研究者もメディアも「CO2温暖化の危機」を煽(あお)りまくった。

0・2度の昇温が、気象を激変させたはずはない。杉山大志氏も本欄に書いたとおり、降水や暴風に激化傾向は見られない。日本の台風なら、今なお「昭和の3大台風」がワースト3なのだ。

近ごろ豪雨被害が目立つ主因は、数十年前の高度成長期に造られた社会インフラの劣化だろう。


温暖化防止行動という茶番

7月11日にNHKが「おはよう日本」で、大規模事業者の施設に太陽光パネルを26年度から設置させる経産省の計画を、さも立派な話のように紹介していた。

同17日には、船の新燃料「eメタノール」でCO2排出を減らす話を絶賛した(英国の石油系大手BP社は5月下旬、排出削減はあり得ないと悟ったか、同様な航空機燃料の生産から撤退ずみ)。

NHKの制作陣が確信しているらしい「怖い温暖化が進行中」も「CO2の削減が世界を救う」も、ただの幻想にすぎない。

過去20年、再エネとEVが全世界で大増殖した。同じ期間に大気のCO2濃度は、むしろ増加傾向を強めている。だから削減策は、どれも机上の空論だった。

CO2排出量は、エネルギーの消費量にほぼ比例する。本件も広角で眺めよう。地球の昇温を10年で0・1度(前記)とし、昇温の(5%程度とみる人も多いが)半分をCO2が起こすとみて、40年後の「成果」を考える。

日本は世界の3%弱のCO2を出す。以上の数値を使う簡単な計算の途中を略し、結果だけ言おう。かりに日本がフッと消えても、つまり日本国のエネルギー消費がゼロになっても、40年後の予想昇温0・400度が、0・395度に減るだけの話だ。

まだ実例はないのだが、CO2排出を真に減らす行動があり得ても、効果は国全体の何桁も下だから、ゼロに等しいと言える。

空疎な提案をするカネの亡者に、政府は補助金や研究費の形で巨額な血税を恵んできた。こんな茶番はいいかげんにやめよう。

去る参院選のとき政見放送を見ていたら、気候変動を問題視する政党も候補者も、以前と比べ激減したようだった。いずれはゼロになるだろう。

NOAAのサイト紹介を含めた状況分析は、22年の拙著『「気候変動・脱炭素」14のウソ』(丸善出版)にもまとめてある。(わたなべ ただし)








2025年8月21日木曜日

世界でバカにされる日本人 谷本真由美著


本を読んだ後に、読後画像を制作しています。


世界でバカにされる日本人 

谷本真由美著


2018/11/15読了


平和ボケしている日本人に警鐘を鳴らしている、谷本真由美氏の考え方は、

非常に的を得ていると思います。今の日本人に聞かせたいことばかりです。

好きな作者の一人です。




世界でバカにされる日本人 谷本真由美著



「恥ずかしい勘違い」をしている日本人に、

新しい警鐘をならし、混迷の時代を世界的視野で生き抜くための

視点・生き方を提示する一冊


第1章・・ここが変だよ!日本人
①「考え方」がおかしい
②「働き方」がおかしい
③「マスコミ」がおかしい
④「政治」がおかしい
⑤「社会」がおかしい
⑥「文化」がおかしい
⑦「行動」がおかしい

第2章・・世界は日本をバカにしている

第3章・・世界の人々は日本人のここが大嫌い
■世界からみてすごい日本人と日本
●個々の働く人のモラルの高さ
●学習意欲が高い
●教育のレベルの高さ
●日本の治安の良さ・・安全な先進国

第5章・・新時代の日本人になるために
●世界で絶賛されている日本人について・・日本の芸術家
●海外でとても評価の高い日本映画
●ヨーロッパでは日本の漫画やアニメが大人気
●海外で日本の有名人は漫画家やアニメ制作者
●日本の料理人は本国より海外で高い評価

■バカにされない日本人になるための方法
●本質を見よ
●所属先にこだわるな
●他人は自分と違うと心得よ
●自信をもって行動しよう
●感性を磨け



ITコンサルタント、随筆家、元国連専門機関職員 谷本 真由美氏 

谷本 真由美(たにもと まゆみ、1975年(昭和50年) - )は、ITコンサルタント、随筆家、元国連専門機関職員。シラキュース大学修士(国際関係論および情報管理学)。日本、イギリス、アメリカ、イタリアなど海外諸国での就労経験があり、ITベンチャー、経営コンサル、国連専門機関情報通信官、外資系金融機関等へ務めた。1975年、神奈川県生まれ。1994年、法政大学女子高等学校卒業。1998年、法政大学法学部政治学科卒業。2000年、シラキュース大学大学院にて国際関係論および情報管理学修士を取得。ソフトバンク・メディア・アンド・マーケティング、NTTデータ経営研究所を経て、2001年にイタリア・ローマに渡り国際連合食糧農業機関情報通信官として勤務後、英国にて情報通信コンサルティングに従事。現在ロンドン在住。



平和ボケが、日本の一番問題なところですね。

このままだといずれ、日本はなくなります。








2025年8月18日月曜日

吉田拓郎 原画


オートシェイプ画は、Excelで面と線の積み重ねで描くイラストです。なかなか面白い絵が描けます。 主に、猫・JAZZミュージシャン・POPミュージシャン・野鳥・花・人物・ポスター画等のオートシェイプ画を制作しています。


日本のシンガー

吉田拓郎 原画


2016年制作の1点、 2018年制作の1点、

2022年制作の2点、 2023年制作の1点、




2016年制作の原画1点
吉田拓郎 原画 2016/07/11制作 



2018年制作の原画1点



吉田拓郎 原画 2018/08/08制作




■吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年〈昭和21年〉4月5日- )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、俳優。本名同じ。旧芸名は平仮名のよしだたくろう。鹿児島県伊佐郡大口町(現在の伊佐市)生まれ、広島県広島市育ち。日本のシンガーソングライターの草分け的存在であり、1970年代初頭、マイナーであったフォークとロックを、日本ポップス界のメジャーに引き上げた歌手です。また、大規模ワンマン野外コンサート、ラジオの活性化、CMソング、コンサートツアー、プロデューサー、レコード会社設立などのパイオニアとして、日本ポピュラーミュージック史において特筆すべき役割を果たしました。日外アソシエーツ『ポピュラー音楽人名事典』は、「ニューミュージックを代表する音楽家」と掲載しています。2000年2月号の日経エンタテインメント!の特集「J-POPの歴史をつくった100人」で、“J-POPの開祖”と記されています。




2022年制作の原画2点


吉田拓郎 原画 2022/06/12制作 



吉田拓郎 原画 2022/06/12制作



2023年制作の原画1点


吉田拓郎 原画 2023/02/20制作



私の好きなシンガーです。青春時代の懐かしいシンガー。

今でもアルバムをよく聴いています。









2025年8月15日金曜日

江戸という幻景 渡辺京二著 Gemini要約

 

江戸という幻景 渡辺京二著 

Gemini要約


西洋人の見聞録をもとに江戸の日本を再現した『逝きし世の面影』と合わせて読むことで、〈近代〉が何を失ったのかを鮮やかに描き出す名著の新装版だそうです。

江戸人のゆたかな心性と、江戸文明の内実は、非常に興味のあるところです。

Gemini要約ですが、大変勉強になりました。


《新装版》江戸という幻景


江戸という幻景 渡辺京二著


江戸という幻景 渡辺京二著


紹介

西洋人の見聞録をもとに江戸の日本を再現した『逝きし世の面影』と合わせて読むことで、〈近代〉が何を失ったのかを鮮やかに描き出す名著の新装版。江戸時代の人々が書き残した記録・紀行・日記などの精査から読みとった江戸人のゆたかな心性と、江戸文明の内実を改めて問い直す。


目次

1 振り返ることの意味

2 朗々たる奇人たち

3 真情と情愛

4 奇談のコスモロジー

5 いつでも死ねる心

6 家業と一生

7 風雅のなかの日常

8 旅ゆけば

9 隠されたゆたかさ

10 ぬしが殿様じゃったや

11 法と裁判



思想史家・歴史家・評論家 渡辺京二氏 

渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 2022年12月25日)は、熊本市在住の日本の思想史家・歴史家・評論家。代表作に幕末・明治期の異邦人の訪日記を網羅した『逝きし世の面影』などがある。日活映画の活動弁士であった父・次郎と母・かね子の子として京都府紀伊郡深草町(現:京都市伏見区深草)に生まれる。1938年(昭和13年)、当時かの地で映画館の支配人をしていた父を追って中国・北京に移住、その二年後に大連に移り、南山麓小学校から大連第一中学校へ進む。1947年(昭和22年)、大連から日本へ引揚げ、戦災で母の実家が身を寄せていた菩提寺の六畳間に寄寓する。旧制熊本中学校に通い、1948年(昭和23年)、日本共産党に入党する。同年第五高等学校に入学するが、翌1949年(昭和24年)結核を発症、国立結核療養所に入所し、1953年(昭和28年)までの約四年半をそこで過ごした。1956年(昭和31年)、ハンガリー事件により共産主義運動に絶望、離党する。法政大学社会学部卒業。書評紙日本読書新聞編集者、河合塾福岡校講師を経て、河合文化教育研究所主任研究員。2010年には熊本大学大学院社会文化科学研究科客員教授。2022年12月25日死去。92歳没。


■江戸という幻景 渡辺京二著 Gemini全体要約

渡辺京二の著書『江戸という幻景』は、近代が失ってしまった価値観や、現代文明が抱える歪みの本質を、滅び去った江戸時代の生活や意識を通して分析し、現代社会への問いかけを行う評論集です。
主な内容は以下の通りです。

●近代への批判と江戸時代へのまなざし: 
著者の代表作『逝きし世の面影』が西洋人の見聞録をもとに江戸の姿を再現したのに対し、本書では江戸時代の人々が書き遺した記録や日記、紀行文などを丹念に読み解くことで、江戸という時代の風貌、すなわち近代とは異なる人々の心性や文明の内実を描き出しています。

●失われた価値観の探求: 
近代化によって失われてしまった「小さきものの実存」や、「いつでも死ねる心」といった死生観、義理人情、そして日常の中に息づく豊かな精神世界などが、具体的な事例を通して紹介されます。

●文明と文化の違い: 
「文化は残るかもしれないが、文明は滅びる」という視点から、形骸化してしまった現代の「文化」と、人々の生き方や意識に深く根差していた江戸時代の「文明」との違いを問いかけます。

●多様なテーマ: 
「振り返ることの意味」という導入から始まり、「朗々たる奇人たち」「真情と情愛」「奇談のコスモロジー」「いつでも死ねる心」「家業と一生」「風雅のなかの日常」「旅ゆけば」「隠されたゆたかさ」「ぬしが殿様じゃったや」「法と裁判」といった章立てで、多角的に江戸時代の人々の姿や社会が描かれています。

●著者の原点とテーマ: 
本書は、著者の原点である「小さきものの実存と歴史のあいだに開いた深淵」というテーマに連なるものであり、近代市民社会と前近代が激突した水俣病問題や、石牟礼道子の文学にも言及しながら、理不尽な死をめぐる著者の思想の道程が読み取れます。

総じて、『江戸という幻景』は、単なる歴史書ではなく、現代社会に生きる私たちが何を大切にすべきか、どのような価値観を持つべきかについて深く考えさせる、示唆に富んだ一冊と言えるでしょう。



■江戸という幻景 渡辺京二著 Gemini要約

1 振り返ることの意味 

渡辺京二の著書『江戸という幻景』の冒頭を飾る「1 振り返ることの意味」は、単なる歴史書の導入ではなく、なぜ現代に生きる私たちが、すでに滅び去った「江戸」という時代をあえて見つめ直す必要があるのか、その根本的な意義を深く問いかける章です。

著者はまず、近代化がもたらした進歩の裏で、人間が失ってしまったものの大きさを指摘します。効率性や合理性を追求するあまり、私たちは、かつて持っていた豊かな精神性、自然との調和、共同体との深い絆といった、計り知れない価値を見失ってしまったのではないか、という問題意識が根底にあります。
この章では、江戸時代を単なる過去の事実としてではなく、現代に対する**「幻景」**として位置づけます。これは、単なる過去への感傷やノスタルジーに浸ることを意味しません。むしろ、現代社会が抱える問題(過度な競争、人間関係の希薄化、自然からの乖離、死生観の喪失など)を相対化し、私たち自身の生き方や価値観を問い直すための対照軸として、江戸という時代を提示しているのです。

そして、歴史を振り返る行為が、単に過去の出来事を学ぶことに留まらない、より本質的な意味を持つことを強調します。過去の人間が「いかに生きてきたか」「いかに考えてきたか」を知ることで、私たちは現代の「当たり前」を疑い、自身の足元を見つめ直し、真の豊かさや幸福とは何かを探る洞察を得ることができます。

「1 振り返ることの意味」は、本書が提示する「江戸」という「幻景」が、現代社会に生きる私たちにとって、どのような意味を持つのか、その問題意識と目的を明確に示し、読者を深く思索の世界へと誘う、重要な序章と言えるでしょう。


2 朗々たる奇人たち

渡辺京二著『江戸という幻景』の「朗々たる奇人たち」の章は、江戸時代に生きた個性豊かな「奇人」たちに焦点を当て、彼らの生き方を通して江戸社会の多様性や、近代とは異なる価値観を浮き彫りにする内容です。

この章で描かれる「奇人」たちは、単なる変わり者ではなく、それぞれの「道」を追求し、世俗的な価値観にとらわれずに生きた人々です。彼らの生き方には、現代社会では失われつつある、あるいは抑圧されがちな個人の自由や精神的な豊かさが色濃く表れています。
具体的な内容は以下のような点が挙げられます。

●世俗の価値観からの逸脱: 
江戸の「奇人」たちは、富や名声といった世間的な成功よりも、自らの興味や信念、あるいは美学を追求することを重んじました。彼らは、損得勘定や体裁にとらわれず、ある意味で「不器用」なまでに自己の道を貫いた人々です。

●「道」の追求者たち: 
例えば、特定の芸術、学問、あるいは生活様式において、常識を超えた情熱とこだわりを見せる人物が紹介されます。彼らは、その「道」を究めることに全力を注ぎ、その結果として周囲からは「奇人」と見なされました。しかし、彼らの生き方には、現代社会では見失われがちな、一つのことを徹底して探求する「求道者」のような側面がありました。

●多様な個性の尊重: 
江戸時代には、現代ほど均質化された社会ではなく、そうした「奇人」たちの存在が比較的寛容に受け入れられていた側面が指摘されます。彼らの存在は、社会に多様な価値観が存在し得ることを示していました。

●「朗々たる」という表現の意味: 
「朗々たる」という言葉は、彼らの生き方が声高に自己主張するのではなく、内面からあふれ出るような確固たる信念と、周囲を気にしないおおらかさを持っていたことを示唆しています。彼らの生き様は、現代人のように他者の目を気にしたり、同調圧力に屈したりすることなく、まさに「朗々と」響き渡るような個性を放っていたと描かれています。

●近代人との対比: 
渡辺京二は、こうした江戸の「奇人」たちの姿を通して、均質化され、合理主義的になった近代社会において失われた人間の豊かさや、個性の輝きを浮き彫りにします。彼らの生き方は、現代人が抱える生きづらさや、精神的な貧しさに対する一つのアンチテーゼとして提示されているとも言えます。

この章は、江戸時代のユニークな人物像を通して、私たち自身の生き方や社会のあり方について深く考察するきっかけを与えてくれます。


3 真情と情愛 

渡辺京二の著書『江戸という幻景』における「3 真情と情愛」の章は、江戸時代の人々が育んだ人間関係における「真の感情」や「深い愛情」のあり方を考察しています。これは、近代社会の感情表現や関係性が希薄になっていることへの、著者からの鋭い問いかけでもあります。
この章では、主に以下の点が描かれていると推測されます。

1. 近代とは異なる「感情」のあり方
現代社会は、効率性や合理性を追求するあまり、人間関係における感情の機微が軽視されがちです。しかし、江戸時代においては、損得勘定や体裁よりも、**嘘偽りのない「真情」や、深く互いを思いやる「情愛」**が、人々の心の通い合いの根幹にあったと論じられています。これは、単純な喜怒哀楽だけでなく、人の心の奥底にある、より複雑で豊かな感情の動きを指しています。

2. 共同体の中で育まれた「絆」
江戸時代は、家族、地域共同体、あるいは家業を通じた師弟関係など、密接な人間関係の中で人々が暮らしていました。この章では、そうした環境の中で育まれた、互いを支え合い、喜びや悲しみを分かち合う「情愛」の深さが描かれています。それは、現代の個人主義的な社会では見過ごされがちな、他者とのつながりの中から生まれる安心感や充実感を意味します。例えば、困っている人がいれば自然と手を差し伸べ、共に困難を乗り越えるといった、温かい人間関係の描写が含まれるでしょう。

3. 「義理人情」という行動規範
江戸時代の人々の行動原理には、「義理」や「人情」といった、単なる法律や規則では縛れない感情的な規範が深く根付いていました。「真情と情愛」は、こうした義理人情を成り立たせる基盤であり、人々が互いを深く理解し、信頼し合うことで社会の調和が保たれていたと考えられます。この章では、人情味あふれる具体的なエピソードを通して、形式にとらわれない人間関係の機微が示される可能性があります。

4. 感情表現の「豊かさ」と「奥深さ
現代とは異なる形で、江戸時代の人々がどのように喜び、悲しみ、怒り、そして愛を表現していたのかについても考察されているでしょう。それは、現代のように感情をストレートに表現するだけでなく、奥ゆかしさや含みを持たせた表現の中に、より深い意味や配慮が込められていたことを示唆します。

この章は、江戸時代の人々の人間関係や感情のあり方を通して、現代社会が置き去りにしてきた**「人間的な心の豊かさ」とは何か**を問い直し、私たち自身の感情や他者との関係性を見つめ直すきっかけを与える内容であると言えるでしょう。


4 奇談のコスモロジー

渡辺京二著『江戸という幻景』の「奇談のコスモロジー」の章は、江戸時代の人々が抱いていた世界観、特に「怪異」や「不思議な現象」に対する認識と、それが彼らの日常生活や精神世界にどのように影響していたかを探求する内容であると推測されます。
この章では、以下のような点が描かれていると考えられます。

●「奇談」の役割: 
江戸時代には、現代のような科学的、合理的な世界観が確立されていませんでした。そのため、人々は自然現象や不可解な出来事を、神仏や妖怪、異界とのつながりなど、「奇談」として語り継ぎ、解釈していました。この章では、そうした奇談が単なる迷信としてではなく、当時の人々にとって世界を理解し、生きていく上での重要な枠組み、つまり「コスモロジー(宇宙観・世界観)」として機能していたことが示唆されているでしょう。

●怪異への畏敬と隣接性: 
江戸時代の人々は、現代人のように怪異を完全に否定したり、遠ざけたりするのではなく、むしろ日常生活の中に怪異が隣接しているものとして受け入れていた側面があります。それは、自然への畏敬の念や、目に見えない存在への信仰と結びついていました。この章では、そうした怪異と日常が地続きであった感覚や、それに伴う人々の心のありようが描かれている可能性があります。

●想像力の豊かさと精神世界: 
科学技術が未発達だったからこそ、人々は豊かな想像力で世界を解釈していました。奇談は、人々の恐怖心だけでなく、好奇心や探求心、そして物語を創造する力を刺激し、彼らの精神世界を深く形作っていたと考えられます。この章では、そうした江戸の人々の、現代人とは異なる想像力や精神的な豊かさが考察されているかもしれません。

●物語としての「奇談」: 
江戸時代には、『耳袋』などの奇談集が広く読まれ、人々の間で共有されていました。これらの奇談は、単なる事実の記録ではなく、教訓や娯楽、あるいは社会批評の要素を含んだ物語としても機能していました。この章では、そうした「奇談」が、当時の社会や文化の中でどのような意味を持っていたのかが分析されている可能性があります。

●近代合理主義との対比: 
渡辺京二は、本書全体を通して近代の合理主義が失わせたものを問うています。この章もまた、近代以降の科学的思考が排除してきた、あるいは矮小化してきた人間の想像力や、世界に対する多層的な認識を、江戸の「奇談のコスモロジー」を通して再評価しようとする試みであると言えるでしょう。

この章は、江戸時代の人々の、現代とは異なる世界認識や精神のあり方を理解するための重要な手がかりとなる内容であると推測されます。


5 いつでも死ねる心

渡辺京二著『江戸という幻景』の「5 いつでも死ねる心」の章は、江戸時代の人々が持っていた独特の死生観、特に「死」に対する構えや心性が、現代とはどのように異なっていたのかを深く考察する内容であると推測されます。
この章では、以下のような点が描かれていると考えられます。

●「死」の日常性とその受容: 
江戸時代は、飢饉や疫病、天災などが頻繁に起こり、医療も未発達であったため、現代よりもはるかに死が身近な存在でした。この章では、そうした環境の中で、人々が死を特別なものとしてではなく、生の一部として、あるいはいつでも訪れうるものとして受け入れていた「日常性」が描かれている可能性があります。

●武士道と潔さ: 
特に武士階級においては、名誉や忠義のためならば命を投げ出すことを厭わない「武士道」の精神が強く、切腹などもその極致として存在しました。しかし、この章で語られる「いつでも死ねる心」は、単に武士に限らず、庶民の中にも見られた、ある種の「潔さ」や「達観」のような心性として捉えられているかもしれません。それは、生への執着が過度でなく、運命を受け入れる覚悟のようなものです。

●生き方の完成としての死: 
江戸の人々にとっての死は、人生の終焉であると同時に、その人の生き様を完成させるもの、あるいは次の生への転換点と捉えられていた可能性があります。生と死が連続したものであり、死を意識することで、かえって生が輝きを増すという逆説的な思想が背景にあるかもしれません。

●「無常観」と精神的な豊かさ: 
仏教的な「無常観」は、江戸時代の人々の死生観に大きな影響を与えました。すべてのものは移ろいゆくという認識は、生への執着を和らげ、精神的な自由をもたらしたと考えられます。この章では、そうした無常観が「いつでも死ねる心」とどのように結びついていたのかが考察されている可能性があります。

●近代の「死の回避」との対比: 
渡辺京二は、本書全体を通して近代社会が失ったものを問いかけています。現代社会が医療の進歩によって死を遠ざけ、隠蔽しようとする傾向にあるのに対し、江戸の人々が持っていた「いつでも死ねる心」は、死を直視し、受け入れることで得られる精神的な強さや豊かさを提示していると言えるでしょう。これは、現代人が抱える「死」への恐れや不安に対する、一つの示唆を与えています。

この章は、単に歴史的な死生観を論じるだけでなく、現代に生きる私たちが、死とどのように向き合い、生をどのように全うすべきかについて深く考えさせる、本書の重要なテーマの一つであると推測されます。


6 家業と一生 

渡辺京二著『江戸という幻景』の「6 家業と一生」の章は、江戸時代の人々にとっての「家業」が、単なる生計を立てる手段に留まらず、その個人の一生と深く結びつき、自己実現や精神的な充足をもたらすものであったという点を深く掘り下げています。
この章では、以下のような内容が描かれていると考えられます。

●家業の持つ重みと連続性: 
江戸時代において、「家業」は多くの場合、親から子へと代々受け継がれるものであり、個人の選択の自由よりも、家としての存続や伝統の維持が重視されました。この章では、そうした家業が持つ歴史的な重みや、世代を超えた連続性が、人々の生活や意識にどのように影響を与えていたかが考察されているでしょう。

●家業を通じた自己確立と専門性: 
家業を継ぐことは、幼い頃からその道に習熟し、特定の技術や知識を磨くことと同義でした。人々は、家業を通じて自己の専門性を高め、その分野での「名人」や「職人」として認められることに誇りを見出していました。これは、単なる労働ではなく、自己のアイデンティティと直結する生き方であったことが示唆されます。

●「一生をかける」精神: 
「家業と一生」というタイトルが示すように、江戸の人々は多くの場合、生まれた家で与えられた家業に文字通り一生を捧げました。このことは、現代社会のように頻繁な転職や多様なキャリアパスが一般的ではなかった時代において、一つのことに深く根を張り、それを極めていくことの中に、人生の充実を見出す生き方を表しています。

●仕事と生活の未分化: 
近代以降、仕事と私生活は明確に区別されるようになりましたが、江戸時代においては、家業は生活の一部であり、家族との関係や地域社会とのつながりとも密接不可分でした。この章では、そうした仕事と生活が一体となった暮らしの中で、人々がどのように価値を見出し、満足感を得ていたのかが描かれている可能性があります。

●近代の「職業」との対比: 
渡辺京二は、現代社会における「職業」が、往々にして自己実現の手段というよりも、経済的な必要性や社会的な地位を得るための手段と化していることに対し、江戸時代の「家業」が持つ、より本質的で精神的な意味合いを対比させていると考えられます。これは、現代人が仕事の中で見失いがちな、本質的な充実感や生きる意味を問い直すきっかけとなるでしょう。

この章は、江戸時代の人々の勤労観や人生観を深く理解することで、現代社会における「働くこと」や「生きること」の意味について、新たな視点を提供する内容であると推測されます。


7 風雅のなかの日常 

渡辺京二著『江戸という幻景』の「7 風雅のなかの日常」の章は、江戸時代の人々が、日々の暮らしの中にいかに「風雅」な精神や美的感覚を取り入れ、それを楽しんでいたかを深く考察する内容であると推測されます。
この章では、以下のような点が描かれていると考えられます。

●「風雅」の浸透: 
「風雅」とは、単に上流階級の教養や芸術活動に限定されるものではなく、庶民の暮らしの中にも息づいていた美的意識や、季節の移ろいを感じ取る繊細な感性を指します。この章では、例えば俳句や茶の湯、生け花といった「道」に通じる洗練された趣味だけでなく、庭の手入れ、日用品のデザイン、食事の盛り付け、季節ごとの行事の楽しみ方など、ごく日常的な行為の中に人々がどのような美を見出していたかが描かれているでしょう。

●自然との調和: 
江戸時代の人々は、現代よりもはるかに自然と密接に暮らしていました。桜の開花や紅葉、雪景色といった自然の移ろいを深く感じ取り、それらを詩歌に詠んだり、絵に描いたり、あるいは茶席に取り入れたりすることで、日常に「風雅」を取り入れていました。この章では、自然の美と一体となった生活が、人々の精神にどのような豊かさをもたらしていたかが考察されている可能性があります。

●簡素さの中の美: 
江戸の人々は、必ずしも贅沢なものに囲まれて暮らしていたわけではありません。むしろ、質素な暮らしの中に、素材の持ち味を活かしたり、余白の美を愛でたりする「侘び寂び」に通じる美的感覚がありました。この章では、そうした簡素さの中にこそ見出される美意識が、人々の日常をいかに彩っていたかが描かれているかもしれません。

●余暇の過ごし方と精神的な充足: 
近代社会が効率性や生産性を追求するのに対し、江戸の人々は、仕事の合間や日々の余暇に、こうした「風雅」な活動を通じて精神的な充足を得ていました。それは、自己表現の場であり、他者との交流の手段でもありました。この章では、そうした余暇の過ごし方が、人々の心にどのようなゆとりと豊かさをもたらしていたかが考察されるでしょう。

●近代社会との対比: 
渡辺京二は、現代社会が失ったものを常に問いかけています。この章もまた、現代の消費文化や効率主義が忘れ去ってしまった、日常の中に美を見出し、精神的な豊かさを追求する「風雅」な生き方を、江戸の人々の姿を通して再評価しようとする試みであると言えます。

この章は、江戸時代の人々が持っていた、生活と芸術、自然が一体となった独特の美意識を通して、現代人の暮らしのあり方を問い直す、示唆に富んだ内容であると推測されます。


8 旅ゆけば 

渡辺京二著『江戸という幻景』の「8 旅ゆけば」の章は、江戸時代の人々にとっての「旅」が、現代の旅行とは全く異なる意味を持ち、彼らの人生や精神に深く影響を与えていたことを考察する内容であると推測されます。
この章では、以下のような点が描かれていると考えられます。

●「旅」の持つ宗教的・精神的意味合い: 
江戸時代、旅は単なる移動や観光ではなく、お伊勢参りや巡礼といった宗教的な意味合いが強く、神仏への信仰心と深く結びついていました。あるいは、修行や自己探求の側面を持つものでした。この章では、人々がどのような精神的動機をもって旅に出ていたのか、そして旅を通じて何を得ようとしていたのかが考察されているでしょう。

●非日常としての旅: 
現代のように交通機関が発達していなかった時代において、旅は命がけの、まさに「非日常」の出来事でした。慣れない土地での出会いや、自然の厳しさ、そして時には危険も伴う旅が、人々の精神を鍛え、生きる力を養っていたことが描かれている可能性があります。旅の途中で出会う人々との交流も、限られた共同体の中での生活では得られない貴重な経験でした。

●身体感覚と五感で捉える世界: 
徒歩が主だった江戸時代の旅は、現代のように景色を「見る」だけでなく、五感をフルに使って世界を「体験する」ものでした。足で大地を踏みしめ、風を感じ、匂いを嗅ぎ、地域の音を聞き、その土地の食べ物を味わうことで、人々は自然や地域社会との一体感を深めていました。この章では、そうした身体感覚を通じた世界認識の豊かさが考察されているかもしれません。

●人生の縮図としての旅: 
旅の途中で起こる予期せぬ出来事や困難を乗り越えることは、人生そのものの縮図でもありました。人々は旅を通して、自己と向き合い、内面を深く見つめ直す機会を得ていたと考えられます。旅の終わりに故郷に戻ることで、日常の尊さを再認識するという循環も描かれているでしょう。

●近代の「旅行」との対比: 
渡辺京二は、現代の効率性や消費を重視する「観光旅行」に対し、江戸時代の「旅」が持っていた、より根源的で精神的な意味合いを対比させていると考えられます。近代以降、私たちは便利さと引き換えに、旅が持つ本来の豊かさや、非日常の体験がもたらす精神的な深みを失ったのではないか、という問いかけが込められていると推測されます。

この章は、江戸時代の人々の「旅」の姿を通して、私たち自身の旅のあり方や、現代社会が失いつつある身体感覚、精神的な豊かさを問い直す、示唆に富んだ内容であると推測されます。


9 隠されたゆたかさ 

渡辺京二著『江戸という幻景』の「9 隠されたゆたかさ」の章は、江戸時代の人々が、現代の物質的な豊かさとは異なる、精神的、共同体的、あるいは感覚的な「ゆたかさ」を享受していたことを考察する内容であると推測されます。この章は、近代化の中で見過ごされ、あるいは失われてしまった、江戸の社会や人々の暮らしの中に潜んでいた本質的な価値に焦点を当てているでしょう。
この章で描かれていると考えられる点は以下の通りです。

●物質的貧しさの中の精神的豊かさ: 
江戸時代は、現代のような大量生産・大量消費の社会ではありませんでした。しかし、限られた資源の中で工夫を凝らし、自然と共生しながら生きていく中で、人々は精神的な充足や、人間関係の豊かさを培っていました。例えば、モノを大切にする心、再利用の知恵、そして季節の移ろいを感じ取る繊細な感性などが「隠されたゆたかさ」として描かれている可能性があります。

●共同体の絆と支え合い: 
近代化によって個人主義が進む一方、江戸時代は地域や家族、あるいは家業を通じた共同体の結びつきが非常に強固でした。この章では、人々がお互いに助け合い、支え合う中で得られる安心感や連帯感が、現代社会では得がたい「ゆたかさ」であったことが示唆されているでしょう。困った時には隣人が助け、喜びは分かち合う、そうした人間関係の中に「隠されたゆたかさ」があったと考察されます。

●「足るを知る」という思想: 
江戸時代の人々は、過度な欲求に囚われず、「足るを知る」という精神を大切にしていました。これは、現代社会の終わりなき消費欲や成功へのプレッシャーとは対照的です。この章では、現状に満足し、分相応な暮らしの中で幸福を見出す思想が、人々にどのような心の平和や充実をもたらしていたかが描かれているかもしれません。

●身体感覚や五感の鋭敏さ: 
現代人が情報過多や便利さに慣れ、五感が鈍磨しがちなのに対し、江戸時代の人々は、自然の音、光、匂い、手触りといった身体感覚を通して世界をより鮮明に感じ取っていました。季節の旬の食材を味わう喜び、手仕事の温もり、自然の美しさから得られる感動など、近代以降見過ごされがちな感覚的な「ゆたかさ」が論じられている可能性があります。

●近代の価値観への問いかけ: 
渡辺京二は、本書全体を通して、近代化がもたらした進歩の裏で、私たちが何を失ったのかを問いかけています。「隠されたゆたかさ」の章は、特に現代の物質主義的、効率主義的な価値観に対して、真の豊かさとは何かを問い直し、江戸時代の人々の生き方から学ぶべき点があることを示唆していると言えるでしょう。

この章は、単に過去を懐かしむのではなく、現代社会が抱える問題の根源を探り、より人間らしく、充実した生き方を見つけるための示唆を与える内容であると推測されます。


10 ぬしが殿様じゃったや 

渡辺京二の著書『江戸という幻景』における「10 ぬしが殿様じゃったや」という章は、江戸時代における身分制度の枠を超えた人間関係や、人々の間に存在した独特の敬意と尊厳、そして近代化の中で失われてしまった関係性を考察する内容であると推測されます。このタイトル自体が、身分の差を超えた親密さや、一見すると不遜にも思えるが実は深い信頼に基づくやり取りを示唆しています。
この章で描かれていると考えられる主な点は以下の通りです。

1. 身分制度下の「人間的な絆」
江戸時代は厳格な身分制度が存在しましたが、この章では、そうした表面的な身分差を超えて育まれた、より人間的で深いつながりに焦点を当てていると考えられます。例えば、領主と領民、武士と庶民、あるいは商家の大旦那と奉公人といった関係性の中で、単なる主従関係ではない、互いへの理解や信頼、時には愛情すら感じさせるようなエピソードが描かれているかもしれません。

2. 「敬意」と「尊厳」のあり方
「ぬしが殿様じゃったや」という言葉は、本来なら絶対的な敬意を払うべき相手に対して、どこか親しみを込めて、あるいは本質を見抜くような視点から語りかけられた言葉であると解釈できます。これは、形式的な敬意だけでなく、相手の人間性そのものへの「尊厳」を認める江戸期特有の感覚があったことを示唆しているでしょう。身分が低い者であっても、人間としての「分」や「品格」が認められ、それが尊重される土壌があったと考察されます。

3. 近代化が失わせたもの
渡辺京二は本書全体を通して、近代化によって失われた価値観を問いかけています。この章も、近代以降の画一的な平等や、効率性のみを追求する社会において、身分差の中に存在したある種の人間的な温かさや、複雑で奥行きのある関係性が失われてしまったことを指摘している可能性があります。形式的な上下関係がなくなった一方で、人間関係が希薄になったり、お互いを尊重する「尊厳」の意識が薄れたりした現状に対する、著者の問題意識が込められていると言えるでしょう。

4. 「物語」にみる人情の機微
この章では、具体的な説話や逸話、あるいは日記や記録の中に残された人々のやり取りを通して、身分を超えた人間関係の機微が描かれていると考えられます。それは、現代のドラマや小説ではなかなか描ききれないような、江戸時代ならではの人情の深さや、人々が互いを思いやる心の動きを示しているでしょう。

総じて、「ぬしが殿様じゃったや」の章は、江戸時代の身分制度という枠組みの中にありながらも、人々がいかに人間的なつながりを大切にし、互いの尊厳を認め合っていたかを示すことで、現代社会における人間関係のあり方や、私たちが失ってしまった「ゆたかさ」について深く考えさせる内容であると推測されます。


11 法と裁判 

渡辺京二の『江戸という幻景』における「11 法と裁判」の章は、江戸時代の法と裁きのあり方を、現代の法制度との本質的な違いに着目して考察する内容であると推測されます。著者は、近代化によって得られた合理性や普遍性の裏で、江戸時代に存在した、より人間的で共同体的な「裁き」の精神が失われたことを示唆していると考えられます。


1. 近代法との根本的な相違点:情緒・人情の介在
現代の法は、客観性、普遍性、そして証拠に基づいた厳格な適用を旨としますが、江戸時代の法と裁判は、これとは一線を画していました。この章では、以下の点が強調されているでしょう。

●「真情」や「人情」の尊重: 
個々の事件において、当事者の心の奥底にある「真情」や、人と人との間に流れる「人情」といった、数値化できない感情が判断に大きく影響を与えました。奉行や名主といった裁定者は、単に法条を適用するだけでなく、事件の背景にある人間関係や、当事者の心情を深く汲み取ろうとしました。

●裁定者の裁量と「お慈悲」: 
現代のような厳格な三権分立はなく、裁定者の裁量権が大きく、時には「お慈悲」という形で情状酌量がなされることもありました。これは、形式的な正義よりも、個別の事情に応じた柔軟な解決や、人々の心に寄り添うことを重視した表れであると言えます。


2. 共同体の秩序と和合の重視
江戸時代の法は、個人の権利主張よりも、村や町といった共同体の和合と秩序維持に重きを置いていました。

●和解の奨励: 紛争が生じた際、公的な裁判所に訴え出る前に、まず当事者間や共同体内部での話し合いによる和解が強く促されました。これは、裁判によって共同体内の人間関係に決定的な亀裂が入ることを避けるための知恵でした。

●「公儀」の役割: 法は「公儀」(幕府や藩)の権威を示すものであり、絶対的な存在でしたが、その運用においては、民衆の生活を安定させ、平穏をもたらすという「慈悲」の側面も持ち合わせていました。


3. 刑罰と秩序回復の意味

刑罰に関しても、現代の「更生」とは異なる独自の意味合いを持っていました。

●示しと見せしめ: 刑罰は、罪を犯した個人への報いであると同時に、共同体全体への「示し」や「見せしめ」という側面が強く、共同体の規範を再確認させ、秩序を回復する役割を担っていました。


4. 現代法制への問いかけ

渡辺京二は、この章を通して、近代が獲得した普遍的で合理的な法システムが、一方で何を失わせてしまったのかを問いかけます。現代の法が、形式的な平等や厳密な手続きを追求するあまり、人間関係の複雑さや感情の機微を見落とし、あるいは共同体の絆を希薄にしてしまってはいないか。江戸時代の「法と裁判」の姿は、現代社会における「正義」や「公正」のあり方、そして人間性と社会の調和について、私たちに深く考えさせる示唆を与えていると言えるでしょう。

この章は、江戸時代の人々が法や裁きとどのように向き合い、それが彼らの倫理観や社会秩序にどのような影響を与えていたのかを考察することで、現代社会における法と正義のあり方を問い直す、示唆に富んだ内容であると推測されます。








酒の肴・茄子のピクルス

 ■作家 曾野綾子氏の助言 老年になれば、妻と死別したり、妻が急に入院したりする可能性が出てくる。そのために、簡単な掃除、洗濯、料理ぐらいができない男というのも、賢い生き方とは言えない。 酒の肴づくり 茄子のピクルス 食べきるピクルス、酢漬け。なすは独特な味、冷たいワインやビール...