2024年1月23日火曜日

被災者目線でない避難所生活

 私が気に入った新聞コラムから学んだこと


被災者目線でない避難所生活 

拓殖大学特任教授・防災教育研究センター長・濱口和久


はじめて、濱口和久氏の見解を聞きました。
イタリアの防災管理システムはスゴイですね。災害がたびたびある日本が、なぜできないのか不思議な気がします。政治家が本気で考えていない証拠ですね。


拓殖大学特任教授・防災教育研究センター長・濱口和久氏


濱口 和久(はまぐち かずひさ、1968年10月14日[1] - )は大学教授。拓殖大学大学院地方政治行政研究科特任教授および同大学地方政治行政研究所附属防災教育研究センター長、一般財団法人防災教育推進協会常務理事・事務局長、防災危機管理フォーラム代表、防災・危機管理政策アドバイザー、城郭史研究家、一般社団法人防災住宅研究所理事、特定非営利活動法人日本領土領海戦略会議政策顧問、一般社団法人サイバースマートシティ創造協議会顧問、元自衛官。




被災者目線でない避難所生活 
拓殖大学特任教授・防災教育研究センター長・濱口和久



自分事として捉える

元日早々から日本人は地震と向き合うことになった。石川県で最大震度7を記録した能登半島地震は発災から約2週間経(た)っても、道路の寸断が続きいまだに孤立している集落がある。停電、断水、通信障害なども解消されていない。石川県が16日に発表した死者数は222人(災害関連死14人も含む)にのぼり、現在も行方不明者の捜索が続けられている。

今回、被災した地域以外の大多数の日本人にとっては、自分の暮らす地域で発生した地震でないために、マスコミなどの映像や写真などを通じてでしか被災地を見ることができない。そのため、どうしても自分事ではなく人ごとになりがちだ。日本は地震大国であり、今後高い確率で発生する恐れがある首都直下地震や南海トラフ巨大地震が起きる地域に限らず、日本列島のどの地域に暮らしていても、日本人は常に地震リスクと隣り合わせであるということを理解しておくべきだろう。

平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災は、昭和から平成に時代が変わり最初の甚大な被害を伴う地震となった。その後も平成の時代は東日本大震災や熊本地震、北海道胆振東部地震などを日本人は経験してきた。能登半島地震は平成から令和に時代が変わり最初の甚大な被害を伴う地震となったことは誰の目にも明らかだ。



改善されない避難所の環境

能登半島地震では多くの住宅が全半壊し、発災後も余震が続くなか、被災者は自宅での生活ができないため避難所に身を寄せている。だが、避難所に指定されている施設も発災から数日間は停電、暖房がない状態で過ごさなければならず厳しい生活を強いられていた。断水によるトイレ問題も深刻となった。

体育館や教室に布団などを敷いて寝る生活は、ほこりやウイルスを吸い込みやすく、床から30センチ以上の高さがある簡易ベッドが不可欠とされるが備蓄の数は限られていた。プライバシーの確保のため雑魚寝を避けようと自動車での車中泊が増えれば、エコノミークラス症候群の危険性も高まってくる。避難所の環境は阪神・淡路大震災のときからほとんど改善されていない。

日本の避難所の環境の悪さは「先進国の中で最低のレベル」とも言われている。紛争や災害の際の避難所の環境水準を定めた国際基準に「スフィア基準」というものがある。多数の難民や被災者が発生した場合の人権、生命を守るための最低限の基準として国際赤十字などが設定したものだ。日本の避難所は一部の施設を除けば、この基準から程遠い状態だ。

1月13日、石川県七尾市の港に防衛省がチャーターしている民間の最大300人が宿泊可能な大型フェリーが入港し避難者を受け入れているが、日本は災害対応や台湾有事の住民輸送に備えて大型病院船を導入するべきだろう。

日本は災害のたびに防災体制の見直しや国土強靱(きょうじん)化の取り組みを行ってきたが、現状の避難所の環境は被災者目線とは程遠いものとなっていることが改めて浮き彫りとなった。



イタリアを参考に

能登半島の地理的特性や道路事情からイタリアの仕組みをそのまま能登半島地震に当てはめることはできないが、今後の日本の防災対策の参考になると思うので紹介したい。

イタリアでは発災後、政府からその日のうちに「緊急事態宣言」が発出されると、州(自治体)が備蓄してある「テント・簡易ベッド・トイレ」を1ユニットとして、大型トレーラー数台で運ぶ体制が整えられている。テント村(避難所)には遅くとも2日目には簡易ベッドと冷暖房機が設置され、家族単位のテントが展開される。トイレは衛生環境が保たれ、シャワーも完備されている。

被災した州には、周辺の州からキッチンカーが急行し、テント村には食堂用に巨大テントが設置され、翌日からテーブルで温かいパスタなどの食事をとることができる。数日後には肉料理やワインが提供されることもある。自衛隊が行う炊き出しまでの数日間、菓子パンやお握りといった食事が中心の日本の避難所とは対照的だ。

イタリアの災害ボランティアは日本のボランティアとは違い、事前に災害対応の研修や訓練を受け、ボランティア団体に災害派遣希望登録を済ませており、被災地に派遣される場合は、日当・交通費・労災保険が提供される。このようなボランティアがイタリア全土に120万人以上いる。ヘリコプターや建設重機などを保有しているボランティア団体もある。

日本では災害が起きるたびに警察や消防も被災地に出動するが、自衛隊の力に大きく依存する傾向が強い。自衛隊は自己完結能力を持った災害時にも心強い集団であることだけは間違いないが、自衛隊の本来の任務は国防だ。日本人は災害を人ごととせず、平時からうわべだけの防災対策ではなく、地域特性を考慮した地域防災力の強化に取り組むべきである。(はまぐち かずひさ)








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