私の好きなアルピニスト
私が気に入った新聞コラムから、人生訓にしたい言葉です。
もがきながらも生きていく
登山家 野口健氏
登山家 野口健氏 |
野口 健(のぐち けん、1973年8月21日 - )は、日本の登山家、環境活動家。亜細亜大学国際関係学部卒業。NPO法人PEAK+AID(ピーク・エイド)代表(2020年時点)として、ヒマラヤ・富士山での清掃活動といった環境保護への取り組み、また遭難死したシェルパ族の子どもたちへの教育支援「シェルパ基金」やヒマラヤでの学校建設・森林づくり、第二次世界大戦の戦没者の遺骨収集などの社会貢献活動を行っている。
もがきながらも生きていく
2022(令和4)年も間もなく閉じようとしている。コロナ禍でさまざまな活動が止まっていたが、今年になって少しずつ動き始めた。4月には3年ぶりのヒマラヤ登山。秋に予定していたマナスル峰の再挑戦に向けて再始動した直後に20年来、ともにヒマラヤに挑戦してきた山岳カメラマンの平賀淳さんがアラスカの山で遭難。本来ならば一緒にマナスル峰へ挑むはずであった。7年前には、女性登山家の谷口けいさんも北海道の山で遭難。僕を含め、この3人が野口隊の主要メンバーであったが、気がつけば、僕一人が残されてしまった。
学生の頃、山岳会の大先輩が「野口君、この世界で長くやっていると徐々にね、得るものよりも失うことの方が多くなる」と話してくれたことがある。その時は言葉の重みを理解できなかったが、今なら分かるような気がする。20代の頃は先輩の遭難を目の当たりにしても「僕は山で死ぬことはない」とどこかひとごとであった。しかし、毎年のように1人、また1人…遠い存在の人から少しずつ身近な仲間へと犠牲の輪が広がっていき、気がつけばその輪に完全に包囲されていた。
ある時、雪山を登っていたら雪面に映る自分の影の中に死が潜んでいるのではないかと感じた。「いよいよその時が近づいてきたかな」と感じながらも、人生は時に酷なもので耐えがたい喪失感に襲われながら明日を生きていかなければならない。マナスル遠征を中止し、思考の中でしばらくさまよった。山を辞めることも本気で考えた。
結局は登山家の性(さが)なのか、山に登ることでしか自身を表現できないのか。それとも山に登り続けることでしか、先に逝った仲間たちの命をつないでいけないのか。頭の中が焦げ付くほどに思考が渦巻いた。結論、答えはない。確かに生きていれば得るよりも失うことが増えるだろう。
しかし、こう思う。もがきながらも生きてさえいれば、失うことの中から何かしらかを得ることもあるのだろう、と。
それを確かめるためにヒマラヤに向かう。なんだかんだ遠回りしても僕はやっぱり山が好きなのかもしれない。
雪山と野口健 |
この人の生き方や活動はスゴイですね。
人生の教訓としても参考にしたい人です。
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