2025年8月27日水曜日

短歌 夏兆すころ(なつきざすころ)

 

短歌 夏兆すころ


2017年5月に帷子川河川沿いを歩いていた時に詠んだ1首です。


夏兆す朝の河原をゆきゆけば香にながるるはブオブオの蛙





短歌 夏兆すころ(なつきざすころ) 2017/05/24制作




■夏兆すころ

夏が兆すころに、河原をぶらぶらと歩いていると、

牛蛙のブオブオという声が聞こえてきます。夏の香りのように。








2025年8月24日日曜日

広角で見える「温暖化」の素顔

 

私が気に入った新聞コラム

広角で見える「温暖化」の素顔 

東京大学名誉教授・渡辺正



「広角」にして太平洋全体を眺めたら、印象はガラリと変わる。米国西海岸の水温は3月以降、平年より約2度は低い。案の定、サンフランシスコの気温は平年よりやや低いまま推移し、ロサンゼルスも涼しかった。昨年6~8月の寒かった南米沿岸や平年並みだった英国について、NHKが報じた記憶はない。

NHKの制作陣が確信しているらしい「怖い温暖化が進行中」も「CO2の削減が世界を救う」も、ただの幻想にすぎない。空疎な提案をするカネの亡者に、政府は補助金や研究費の形で巨額な血税を恵んできた。こんな茶番はいいかげんにやめよう。

その通りですね。マスコミ、特にNHKの報道は要注意です。




東京理科大学教授 渡辺正氏

渡辺 正(わたなべ・ただし)は東京理科大学教授。1948年鳥取県生まれ。東京大学大学院修了、工学博士。東京大学助手、助教授を経て1992年より同大学教授(生産技術研究所)。2012年、同大学を定年退職(名誉教授)ののち東京理科大学に勤務。専門は生体機能化学、科学教育、環境科学。



広角で見える「温暖化」の素顔 
東京大学名誉教授・渡辺正

何かに適切な判断を下したいなら、写真の広角撮影と似て、全体を眺め渡すのが望ましい。そうでない姿勢を昔から「木を見て森を見ず」と言い習わす。

決着からまだ遠い温暖化(気候変動)問題だと、「人為的CO2が地球を暖めて害をなす」という風説の真偽を、時間・空間的に広角で眺めつつ吟味したい。

昇温の原因がCO2だけなら、どの場所の気温変化も似ていよう。だが現実はまるで違うのだ。


島国の気温を決める海水温

海水温の自然な周期変動は、20世紀末に見つかった。島国の気温には表層水温の高低が効く。

米海洋大気局(NOAA)によると今年の夏季、日本海を含む近海の水温は平年より5度超も高かった。気圧配置も効くにせよ、猛暑の主因は高温の海水だろう。

NHKの天気予報も、最近はときどき気温と近海の表層水温を並べて示す。しかし「広角」にして太平洋全体を眺めたら、印象はガラリと変わる。

米国西海岸の水温は3月以降、平年より約2度は低い。案の定、サンフランシスコの気温は平年よりやや低いまま推移し、ロサンゼルスも涼しかった。NHKがそこまで語れば、庶民の「温暖化観」も進化していくだろうに。

昨年夏の猛暑にも、近海の異常高温が効いたはず。だが太平洋の全景は今年と違い、南米(冬)の南端を洗う海域が特に冷たかった。沿岸域の酷寒を、海外メディアはたびたび報じている。

また昨年夏は、日本と同じ島国の英国で、近海の水温に特別な異常は起きていない。英国気象庁が公開した気温状況も「国土全体が平年並み」で、やや涼しい地域も少しあった。

昨年6~8月の寒かった南米沿岸や平年並みだった英国について、NHKが報じた記憶はない。


過去20年の昇温は体感未満

陸地の気温は、都市化で大きく上がる。東京の気温も、140年で3度ほど上がった。主因は熱源(電力消費と走行車両)の激増だろう。

NOAAは20世紀の末ごろ、地続き48州の観測点1218カ所を点検し(広角精神?)、都市の強い昇温を確認する。それなら都市は「地球の気温」を表さない、として田舎の観測点を精選した。48州に選んだ112地点のうち、北海道の1・4倍も広いオハイオ州には1地点しかない。そうやって決めた観測点群を気候基準観測網(USCRN)と呼び、2005年1月から実測結果を公表してきた。

上下動の激しい20年半の測定値から、昇温は0・2度(体感未満)程度と推定できる。だが同時期に研究者もメディアも「CO2温暖化の危機」を煽(あお)りまくった。

0・2度の昇温が、気象を激変させたはずはない。杉山大志氏も本欄に書いたとおり、降水や暴風に激化傾向は見られない。日本の台風なら、今なお「昭和の3大台風」がワースト3なのだ。

近ごろ豪雨被害が目立つ主因は、数十年前の高度成長期に造られた社会インフラの劣化だろう。


温暖化防止行動という茶番

7月11日にNHKが「おはよう日本」で、大規模事業者の施設に太陽光パネルを26年度から設置させる経産省の計画を、さも立派な話のように紹介していた。

同17日には、船の新燃料「eメタノール」でCO2排出を減らす話を絶賛した(英国の石油系大手BP社は5月下旬、排出削減はあり得ないと悟ったか、同様な航空機燃料の生産から撤退ずみ)。

NHKの制作陣が確信しているらしい「怖い温暖化が進行中」も「CO2の削減が世界を救う」も、ただの幻想にすぎない。

過去20年、再エネとEVが全世界で大増殖した。同じ期間に大気のCO2濃度は、むしろ増加傾向を強めている。だから削減策は、どれも机上の空論だった。

CO2排出量は、エネルギーの消費量にほぼ比例する。本件も広角で眺めよう。地球の昇温を10年で0・1度(前記)とし、昇温の(5%程度とみる人も多いが)半分をCO2が起こすとみて、40年後の「成果」を考える。

日本は世界の3%弱のCO2を出す。以上の数値を使う簡単な計算の途中を略し、結果だけ言おう。かりに日本がフッと消えても、つまり日本国のエネルギー消費がゼロになっても、40年後の予想昇温0・400度が、0・395度に減るだけの話だ。

まだ実例はないのだが、CO2排出を真に減らす行動があり得ても、効果は国全体の何桁も下だから、ゼロに等しいと言える。

空疎な提案をするカネの亡者に、政府は補助金や研究費の形で巨額な血税を恵んできた。こんな茶番はいいかげんにやめよう。

去る参院選のとき政見放送を見ていたら、気候変動を問題視する政党も候補者も、以前と比べ激減したようだった。いずれはゼロになるだろう。

NOAAのサイト紹介を含めた状況分析は、22年の拙著『「気候変動・脱炭素」14のウソ』(丸善出版)にもまとめてある。(わたなべ ただし)








2025年8月21日木曜日

世界でバカにされる日本人 谷本真由美著


本を読んだ後に、読後画像を制作しています。


世界でバカにされる日本人 

谷本真由美著


2018/11/15読了


平和ボケしている日本人に警鐘を鳴らしている、谷本真由美氏の考え方は、

非常に的を得ていると思います。今の日本人に聞かせたいことばかりです。

好きな作者の一人です。




世界でバカにされる日本人 谷本真由美著



「恥ずかしい勘違い」をしている日本人に、

新しい警鐘をならし、混迷の時代を世界的視野で生き抜くための

視点・生き方を提示する一冊


第1章・・ここが変だよ!日本人
①「考え方」がおかしい
②「働き方」がおかしい
③「マスコミ」がおかしい
④「政治」がおかしい
⑤「社会」がおかしい
⑥「文化」がおかしい
⑦「行動」がおかしい

第2章・・世界は日本をバカにしている

第3章・・世界の人々は日本人のここが大嫌い
■世界からみてすごい日本人と日本
●個々の働く人のモラルの高さ
●学習意欲が高い
●教育のレベルの高さ
●日本の治安の良さ・・安全な先進国

第5章・・新時代の日本人になるために
●世界で絶賛されている日本人について・・日本の芸術家
●海外でとても評価の高い日本映画
●ヨーロッパでは日本の漫画やアニメが大人気
●海外で日本の有名人は漫画家やアニメ制作者
●日本の料理人は本国より海外で高い評価

■バカにされない日本人になるための方法
●本質を見よ
●所属先にこだわるな
●他人は自分と違うと心得よ
●自信をもって行動しよう
●感性を磨け



ITコンサルタント、随筆家、元国連専門機関職員 谷本 真由美氏 

谷本 真由美(たにもと まゆみ、1975年(昭和50年) - )は、ITコンサルタント、随筆家、元国連専門機関職員。シラキュース大学修士(国際関係論および情報管理学)。日本、イギリス、アメリカ、イタリアなど海外諸国での就労経験があり、ITベンチャー、経営コンサル、国連専門機関情報通信官、外資系金融機関等へ務めた。1975年、神奈川県生まれ。1994年、法政大学女子高等学校卒業。1998年、法政大学法学部政治学科卒業。2000年、シラキュース大学大学院にて国際関係論および情報管理学修士を取得。ソフトバンク・メディア・アンド・マーケティング、NTTデータ経営研究所を経て、2001年にイタリア・ローマに渡り国際連合食糧農業機関情報通信官として勤務後、英国にて情報通信コンサルティングに従事。現在ロンドン在住。



平和ボケが、日本の一番問題なところですね。

このままだといずれ、日本はなくなります。








2025年8月18日月曜日

吉田拓郎 原画


オートシェイプ画は、Excelで面と線の積み重ねで描くイラストです。なかなか面白い絵が描けます。 主に、猫・JAZZミュージシャン・POPミュージシャン・野鳥・花・人物・ポスター画等のオートシェイプ画を制作しています。


日本のシンガー

吉田拓郎 原画


2016年制作の1点、 2018年制作の1点、

2022年制作の2点、 2023年制作の1点、




2016年制作の原画1点
吉田拓郎 原画 2016/07/11制作 



2018年制作の原画1点



吉田拓郎 原画 2018/08/08制作




■吉田 拓郎(よしだ たくろう、1946年〈昭和21年〉4月5日- )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、俳優。本名同じ。旧芸名は平仮名のよしだたくろう。鹿児島県伊佐郡大口町(現在の伊佐市)生まれ、広島県広島市育ち。日本のシンガーソングライターの草分け的存在であり、1970年代初頭、マイナーであったフォークとロックを、日本ポップス界のメジャーに引き上げた歌手です。また、大規模ワンマン野外コンサート、ラジオの活性化、CMソング、コンサートツアー、プロデューサー、レコード会社設立などのパイオニアとして、日本ポピュラーミュージック史において特筆すべき役割を果たしました。日外アソシエーツ『ポピュラー音楽人名事典』は、「ニューミュージックを代表する音楽家」と掲載しています。2000年2月号の日経エンタテインメント!の特集「J-POPの歴史をつくった100人」で、“J-POPの開祖”と記されています。




2022年制作の原画2点


吉田拓郎 原画 2022/06/12制作 



吉田拓郎 原画 2022/06/12制作



2023年制作の原画1点


吉田拓郎 原画 2023/02/20制作



私の好きなシンガーです。青春時代の懐かしいシンガー。

今でもアルバムをよく聴いています。









2025年8月15日金曜日

江戸という幻景 渡辺京二著 Gemini要約

 

江戸という幻景 渡辺京二著 

Gemini要約


西洋人の見聞録をもとに江戸の日本を再現した『逝きし世の面影』と合わせて読むことで、〈近代〉が何を失ったのかを鮮やかに描き出す名著の新装版だそうです。

江戸人のゆたかな心性と、江戸文明の内実は、非常に興味のあるところです。

Gemini要約ですが、大変勉強になりました。


《新装版》江戸という幻景


江戸という幻景 渡辺京二著


江戸という幻景 渡辺京二著


紹介

西洋人の見聞録をもとに江戸の日本を再現した『逝きし世の面影』と合わせて読むことで、〈近代〉が何を失ったのかを鮮やかに描き出す名著の新装版。江戸時代の人々が書き残した記録・紀行・日記などの精査から読みとった江戸人のゆたかな心性と、江戸文明の内実を改めて問い直す。


目次

1 振り返ることの意味

2 朗々たる奇人たち

3 真情と情愛

4 奇談のコスモロジー

5 いつでも死ねる心

6 家業と一生

7 風雅のなかの日常

8 旅ゆけば

9 隠されたゆたかさ

10 ぬしが殿様じゃったや

11 法と裁判



思想史家・歴史家・評論家 渡辺京二氏 

渡辺 京二(わたなべ きょうじ、1930年8月1日 - 2022年12月25日)は、熊本市在住の日本の思想史家・歴史家・評論家。代表作に幕末・明治期の異邦人の訪日記を網羅した『逝きし世の面影』などがある。日活映画の活動弁士であった父・次郎と母・かね子の子として京都府紀伊郡深草町(現:京都市伏見区深草)に生まれる。1938年(昭和13年)、当時かの地で映画館の支配人をしていた父を追って中国・北京に移住、その二年後に大連に移り、南山麓小学校から大連第一中学校へ進む。1947年(昭和22年)、大連から日本へ引揚げ、戦災で母の実家が身を寄せていた菩提寺の六畳間に寄寓する。旧制熊本中学校に通い、1948年(昭和23年)、日本共産党に入党する。同年第五高等学校に入学するが、翌1949年(昭和24年)結核を発症、国立結核療養所に入所し、1953年(昭和28年)までの約四年半をそこで過ごした。1956年(昭和31年)、ハンガリー事件により共産主義運動に絶望、離党する。法政大学社会学部卒業。書評紙日本読書新聞編集者、河合塾福岡校講師を経て、河合文化教育研究所主任研究員。2010年には熊本大学大学院社会文化科学研究科客員教授。2022年12月25日死去。92歳没。


■江戸という幻景 渡辺京二著 Gemini全体要約

渡辺京二の著書『江戸という幻景』は、近代が失ってしまった価値観や、現代文明が抱える歪みの本質を、滅び去った江戸時代の生活や意識を通して分析し、現代社会への問いかけを行う評論集です。
主な内容は以下の通りです。

●近代への批判と江戸時代へのまなざし: 
著者の代表作『逝きし世の面影』が西洋人の見聞録をもとに江戸の姿を再現したのに対し、本書では江戸時代の人々が書き遺した記録や日記、紀行文などを丹念に読み解くことで、江戸という時代の風貌、すなわち近代とは異なる人々の心性や文明の内実を描き出しています。

●失われた価値観の探求: 
近代化によって失われてしまった「小さきものの実存」や、「いつでも死ねる心」といった死生観、義理人情、そして日常の中に息づく豊かな精神世界などが、具体的な事例を通して紹介されます。

●文明と文化の違い: 
「文化は残るかもしれないが、文明は滅びる」という視点から、形骸化してしまった現代の「文化」と、人々の生き方や意識に深く根差していた江戸時代の「文明」との違いを問いかけます。

●多様なテーマ: 
「振り返ることの意味」という導入から始まり、「朗々たる奇人たち」「真情と情愛」「奇談のコスモロジー」「いつでも死ねる心」「家業と一生」「風雅のなかの日常」「旅ゆけば」「隠されたゆたかさ」「ぬしが殿様じゃったや」「法と裁判」といった章立てで、多角的に江戸時代の人々の姿や社会が描かれています。

●著者の原点とテーマ: 
本書は、著者の原点である「小さきものの実存と歴史のあいだに開いた深淵」というテーマに連なるものであり、近代市民社会と前近代が激突した水俣病問題や、石牟礼道子の文学にも言及しながら、理不尽な死をめぐる著者の思想の道程が読み取れます。

総じて、『江戸という幻景』は、単なる歴史書ではなく、現代社会に生きる私たちが何を大切にすべきか、どのような価値観を持つべきかについて深く考えさせる、示唆に富んだ一冊と言えるでしょう。



■江戸という幻景 渡辺京二著 Gemini要約

1 振り返ることの意味 

渡辺京二の著書『江戸という幻景』の冒頭を飾る「1 振り返ることの意味」は、単なる歴史書の導入ではなく、なぜ現代に生きる私たちが、すでに滅び去った「江戸」という時代をあえて見つめ直す必要があるのか、その根本的な意義を深く問いかける章です。

著者はまず、近代化がもたらした進歩の裏で、人間が失ってしまったものの大きさを指摘します。効率性や合理性を追求するあまり、私たちは、かつて持っていた豊かな精神性、自然との調和、共同体との深い絆といった、計り知れない価値を見失ってしまったのではないか、という問題意識が根底にあります。
この章では、江戸時代を単なる過去の事実としてではなく、現代に対する**「幻景」**として位置づけます。これは、単なる過去への感傷やノスタルジーに浸ることを意味しません。むしろ、現代社会が抱える問題(過度な競争、人間関係の希薄化、自然からの乖離、死生観の喪失など)を相対化し、私たち自身の生き方や価値観を問い直すための対照軸として、江戸という時代を提示しているのです。

そして、歴史を振り返る行為が、単に過去の出来事を学ぶことに留まらない、より本質的な意味を持つことを強調します。過去の人間が「いかに生きてきたか」「いかに考えてきたか」を知ることで、私たちは現代の「当たり前」を疑い、自身の足元を見つめ直し、真の豊かさや幸福とは何かを探る洞察を得ることができます。

「1 振り返ることの意味」は、本書が提示する「江戸」という「幻景」が、現代社会に生きる私たちにとって、どのような意味を持つのか、その問題意識と目的を明確に示し、読者を深く思索の世界へと誘う、重要な序章と言えるでしょう。


2 朗々たる奇人たち

渡辺京二著『江戸という幻景』の「朗々たる奇人たち」の章は、江戸時代に生きた個性豊かな「奇人」たちに焦点を当て、彼らの生き方を通して江戸社会の多様性や、近代とは異なる価値観を浮き彫りにする内容です。

この章で描かれる「奇人」たちは、単なる変わり者ではなく、それぞれの「道」を追求し、世俗的な価値観にとらわれずに生きた人々です。彼らの生き方には、現代社会では失われつつある、あるいは抑圧されがちな個人の自由や精神的な豊かさが色濃く表れています。
具体的な内容は以下のような点が挙げられます。

●世俗の価値観からの逸脱: 
江戸の「奇人」たちは、富や名声といった世間的な成功よりも、自らの興味や信念、あるいは美学を追求することを重んじました。彼らは、損得勘定や体裁にとらわれず、ある意味で「不器用」なまでに自己の道を貫いた人々です。

●「道」の追求者たち: 
例えば、特定の芸術、学問、あるいは生活様式において、常識を超えた情熱とこだわりを見せる人物が紹介されます。彼らは、その「道」を究めることに全力を注ぎ、その結果として周囲からは「奇人」と見なされました。しかし、彼らの生き方には、現代社会では見失われがちな、一つのことを徹底して探求する「求道者」のような側面がありました。

●多様な個性の尊重: 
江戸時代には、現代ほど均質化された社会ではなく、そうした「奇人」たちの存在が比較的寛容に受け入れられていた側面が指摘されます。彼らの存在は、社会に多様な価値観が存在し得ることを示していました。

●「朗々たる」という表現の意味: 
「朗々たる」という言葉は、彼らの生き方が声高に自己主張するのではなく、内面からあふれ出るような確固たる信念と、周囲を気にしないおおらかさを持っていたことを示唆しています。彼らの生き様は、現代人のように他者の目を気にしたり、同調圧力に屈したりすることなく、まさに「朗々と」響き渡るような個性を放っていたと描かれています。

●近代人との対比: 
渡辺京二は、こうした江戸の「奇人」たちの姿を通して、均質化され、合理主義的になった近代社会において失われた人間の豊かさや、個性の輝きを浮き彫りにします。彼らの生き方は、現代人が抱える生きづらさや、精神的な貧しさに対する一つのアンチテーゼとして提示されているとも言えます。

この章は、江戸時代のユニークな人物像を通して、私たち自身の生き方や社会のあり方について深く考察するきっかけを与えてくれます。


3 真情と情愛 

渡辺京二の著書『江戸という幻景』における「3 真情と情愛」の章は、江戸時代の人々が育んだ人間関係における「真の感情」や「深い愛情」のあり方を考察しています。これは、近代社会の感情表現や関係性が希薄になっていることへの、著者からの鋭い問いかけでもあります。
この章では、主に以下の点が描かれていると推測されます。

1. 近代とは異なる「感情」のあり方
現代社会は、効率性や合理性を追求するあまり、人間関係における感情の機微が軽視されがちです。しかし、江戸時代においては、損得勘定や体裁よりも、**嘘偽りのない「真情」や、深く互いを思いやる「情愛」**が、人々の心の通い合いの根幹にあったと論じられています。これは、単純な喜怒哀楽だけでなく、人の心の奥底にある、より複雑で豊かな感情の動きを指しています。

2. 共同体の中で育まれた「絆」
江戸時代は、家族、地域共同体、あるいは家業を通じた師弟関係など、密接な人間関係の中で人々が暮らしていました。この章では、そうした環境の中で育まれた、互いを支え合い、喜びや悲しみを分かち合う「情愛」の深さが描かれています。それは、現代の個人主義的な社会では見過ごされがちな、他者とのつながりの中から生まれる安心感や充実感を意味します。例えば、困っている人がいれば自然と手を差し伸べ、共に困難を乗り越えるといった、温かい人間関係の描写が含まれるでしょう。

3. 「義理人情」という行動規範
江戸時代の人々の行動原理には、「義理」や「人情」といった、単なる法律や規則では縛れない感情的な規範が深く根付いていました。「真情と情愛」は、こうした義理人情を成り立たせる基盤であり、人々が互いを深く理解し、信頼し合うことで社会の調和が保たれていたと考えられます。この章では、人情味あふれる具体的なエピソードを通して、形式にとらわれない人間関係の機微が示される可能性があります。

4. 感情表現の「豊かさ」と「奥深さ
現代とは異なる形で、江戸時代の人々がどのように喜び、悲しみ、怒り、そして愛を表現していたのかについても考察されているでしょう。それは、現代のように感情をストレートに表現するだけでなく、奥ゆかしさや含みを持たせた表現の中に、より深い意味や配慮が込められていたことを示唆します。

この章は、江戸時代の人々の人間関係や感情のあり方を通して、現代社会が置き去りにしてきた**「人間的な心の豊かさ」とは何か**を問い直し、私たち自身の感情や他者との関係性を見つめ直すきっかけを与える内容であると言えるでしょう。


4 奇談のコスモロジー

渡辺京二著『江戸という幻景』の「奇談のコスモロジー」の章は、江戸時代の人々が抱いていた世界観、特に「怪異」や「不思議な現象」に対する認識と、それが彼らの日常生活や精神世界にどのように影響していたかを探求する内容であると推測されます。
この章では、以下のような点が描かれていると考えられます。

●「奇談」の役割: 
江戸時代には、現代のような科学的、合理的な世界観が確立されていませんでした。そのため、人々は自然現象や不可解な出来事を、神仏や妖怪、異界とのつながりなど、「奇談」として語り継ぎ、解釈していました。この章では、そうした奇談が単なる迷信としてではなく、当時の人々にとって世界を理解し、生きていく上での重要な枠組み、つまり「コスモロジー(宇宙観・世界観)」として機能していたことが示唆されているでしょう。

●怪異への畏敬と隣接性: 
江戸時代の人々は、現代人のように怪異を完全に否定したり、遠ざけたりするのではなく、むしろ日常生活の中に怪異が隣接しているものとして受け入れていた側面があります。それは、自然への畏敬の念や、目に見えない存在への信仰と結びついていました。この章では、そうした怪異と日常が地続きであった感覚や、それに伴う人々の心のありようが描かれている可能性があります。

●想像力の豊かさと精神世界: 
科学技術が未発達だったからこそ、人々は豊かな想像力で世界を解釈していました。奇談は、人々の恐怖心だけでなく、好奇心や探求心、そして物語を創造する力を刺激し、彼らの精神世界を深く形作っていたと考えられます。この章では、そうした江戸の人々の、現代人とは異なる想像力や精神的な豊かさが考察されているかもしれません。

●物語としての「奇談」: 
江戸時代には、『耳袋』などの奇談集が広く読まれ、人々の間で共有されていました。これらの奇談は、単なる事実の記録ではなく、教訓や娯楽、あるいは社会批評の要素を含んだ物語としても機能していました。この章では、そうした「奇談」が、当時の社会や文化の中でどのような意味を持っていたのかが分析されている可能性があります。

●近代合理主義との対比: 
渡辺京二は、本書全体を通して近代の合理主義が失わせたものを問うています。この章もまた、近代以降の科学的思考が排除してきた、あるいは矮小化してきた人間の想像力や、世界に対する多層的な認識を、江戸の「奇談のコスモロジー」を通して再評価しようとする試みであると言えるでしょう。

この章は、江戸時代の人々の、現代とは異なる世界認識や精神のあり方を理解するための重要な手がかりとなる内容であると推測されます。


5 いつでも死ねる心

渡辺京二著『江戸という幻景』の「5 いつでも死ねる心」の章は、江戸時代の人々が持っていた独特の死生観、特に「死」に対する構えや心性が、現代とはどのように異なっていたのかを深く考察する内容であると推測されます。
この章では、以下のような点が描かれていると考えられます。

●「死」の日常性とその受容: 
江戸時代は、飢饉や疫病、天災などが頻繁に起こり、医療も未発達であったため、現代よりもはるかに死が身近な存在でした。この章では、そうした環境の中で、人々が死を特別なものとしてではなく、生の一部として、あるいはいつでも訪れうるものとして受け入れていた「日常性」が描かれている可能性があります。

●武士道と潔さ: 
特に武士階級においては、名誉や忠義のためならば命を投げ出すことを厭わない「武士道」の精神が強く、切腹などもその極致として存在しました。しかし、この章で語られる「いつでも死ねる心」は、単に武士に限らず、庶民の中にも見られた、ある種の「潔さ」や「達観」のような心性として捉えられているかもしれません。それは、生への執着が過度でなく、運命を受け入れる覚悟のようなものです。

●生き方の完成としての死: 
江戸の人々にとっての死は、人生の終焉であると同時に、その人の生き様を完成させるもの、あるいは次の生への転換点と捉えられていた可能性があります。生と死が連続したものであり、死を意識することで、かえって生が輝きを増すという逆説的な思想が背景にあるかもしれません。

●「無常観」と精神的な豊かさ: 
仏教的な「無常観」は、江戸時代の人々の死生観に大きな影響を与えました。すべてのものは移ろいゆくという認識は、生への執着を和らげ、精神的な自由をもたらしたと考えられます。この章では、そうした無常観が「いつでも死ねる心」とどのように結びついていたのかが考察されている可能性があります。

●近代の「死の回避」との対比: 
渡辺京二は、本書全体を通して近代社会が失ったものを問いかけています。現代社会が医療の進歩によって死を遠ざけ、隠蔽しようとする傾向にあるのに対し、江戸の人々が持っていた「いつでも死ねる心」は、死を直視し、受け入れることで得られる精神的な強さや豊かさを提示していると言えるでしょう。これは、現代人が抱える「死」への恐れや不安に対する、一つの示唆を与えています。

この章は、単に歴史的な死生観を論じるだけでなく、現代に生きる私たちが、死とどのように向き合い、生をどのように全うすべきかについて深く考えさせる、本書の重要なテーマの一つであると推測されます。


6 家業と一生 

渡辺京二著『江戸という幻景』の「6 家業と一生」の章は、江戸時代の人々にとっての「家業」が、単なる生計を立てる手段に留まらず、その個人の一生と深く結びつき、自己実現や精神的な充足をもたらすものであったという点を深く掘り下げています。
この章では、以下のような内容が描かれていると考えられます。

●家業の持つ重みと連続性: 
江戸時代において、「家業」は多くの場合、親から子へと代々受け継がれるものであり、個人の選択の自由よりも、家としての存続や伝統の維持が重視されました。この章では、そうした家業が持つ歴史的な重みや、世代を超えた連続性が、人々の生活や意識にどのように影響を与えていたかが考察されているでしょう。

●家業を通じた自己確立と専門性: 
家業を継ぐことは、幼い頃からその道に習熟し、特定の技術や知識を磨くことと同義でした。人々は、家業を通じて自己の専門性を高め、その分野での「名人」や「職人」として認められることに誇りを見出していました。これは、単なる労働ではなく、自己のアイデンティティと直結する生き方であったことが示唆されます。

●「一生をかける」精神: 
「家業と一生」というタイトルが示すように、江戸の人々は多くの場合、生まれた家で与えられた家業に文字通り一生を捧げました。このことは、現代社会のように頻繁な転職や多様なキャリアパスが一般的ではなかった時代において、一つのことに深く根を張り、それを極めていくことの中に、人生の充実を見出す生き方を表しています。

●仕事と生活の未分化: 
近代以降、仕事と私生活は明確に区別されるようになりましたが、江戸時代においては、家業は生活の一部であり、家族との関係や地域社会とのつながりとも密接不可分でした。この章では、そうした仕事と生活が一体となった暮らしの中で、人々がどのように価値を見出し、満足感を得ていたのかが描かれている可能性があります。

●近代の「職業」との対比: 
渡辺京二は、現代社会における「職業」が、往々にして自己実現の手段というよりも、経済的な必要性や社会的な地位を得るための手段と化していることに対し、江戸時代の「家業」が持つ、より本質的で精神的な意味合いを対比させていると考えられます。これは、現代人が仕事の中で見失いがちな、本質的な充実感や生きる意味を問い直すきっかけとなるでしょう。

この章は、江戸時代の人々の勤労観や人生観を深く理解することで、現代社会における「働くこと」や「生きること」の意味について、新たな視点を提供する内容であると推測されます。


7 風雅のなかの日常 

渡辺京二著『江戸という幻景』の「7 風雅のなかの日常」の章は、江戸時代の人々が、日々の暮らしの中にいかに「風雅」な精神や美的感覚を取り入れ、それを楽しんでいたかを深く考察する内容であると推測されます。
この章では、以下のような点が描かれていると考えられます。

●「風雅」の浸透: 
「風雅」とは、単に上流階級の教養や芸術活動に限定されるものではなく、庶民の暮らしの中にも息づいていた美的意識や、季節の移ろいを感じ取る繊細な感性を指します。この章では、例えば俳句や茶の湯、生け花といった「道」に通じる洗練された趣味だけでなく、庭の手入れ、日用品のデザイン、食事の盛り付け、季節ごとの行事の楽しみ方など、ごく日常的な行為の中に人々がどのような美を見出していたかが描かれているでしょう。

●自然との調和: 
江戸時代の人々は、現代よりもはるかに自然と密接に暮らしていました。桜の開花や紅葉、雪景色といった自然の移ろいを深く感じ取り、それらを詩歌に詠んだり、絵に描いたり、あるいは茶席に取り入れたりすることで、日常に「風雅」を取り入れていました。この章では、自然の美と一体となった生活が、人々の精神にどのような豊かさをもたらしていたかが考察されている可能性があります。

●簡素さの中の美: 
江戸の人々は、必ずしも贅沢なものに囲まれて暮らしていたわけではありません。むしろ、質素な暮らしの中に、素材の持ち味を活かしたり、余白の美を愛でたりする「侘び寂び」に通じる美的感覚がありました。この章では、そうした簡素さの中にこそ見出される美意識が、人々の日常をいかに彩っていたかが描かれているかもしれません。

●余暇の過ごし方と精神的な充足: 
近代社会が効率性や生産性を追求するのに対し、江戸の人々は、仕事の合間や日々の余暇に、こうした「風雅」な活動を通じて精神的な充足を得ていました。それは、自己表現の場であり、他者との交流の手段でもありました。この章では、そうした余暇の過ごし方が、人々の心にどのようなゆとりと豊かさをもたらしていたかが考察されるでしょう。

●近代社会との対比: 
渡辺京二は、現代社会が失ったものを常に問いかけています。この章もまた、現代の消費文化や効率主義が忘れ去ってしまった、日常の中に美を見出し、精神的な豊かさを追求する「風雅」な生き方を、江戸の人々の姿を通して再評価しようとする試みであると言えます。

この章は、江戸時代の人々が持っていた、生活と芸術、自然が一体となった独特の美意識を通して、現代人の暮らしのあり方を問い直す、示唆に富んだ内容であると推測されます。


8 旅ゆけば 

渡辺京二著『江戸という幻景』の「8 旅ゆけば」の章は、江戸時代の人々にとっての「旅」が、現代の旅行とは全く異なる意味を持ち、彼らの人生や精神に深く影響を与えていたことを考察する内容であると推測されます。
この章では、以下のような点が描かれていると考えられます。

●「旅」の持つ宗教的・精神的意味合い: 
江戸時代、旅は単なる移動や観光ではなく、お伊勢参りや巡礼といった宗教的な意味合いが強く、神仏への信仰心と深く結びついていました。あるいは、修行や自己探求の側面を持つものでした。この章では、人々がどのような精神的動機をもって旅に出ていたのか、そして旅を通じて何を得ようとしていたのかが考察されているでしょう。

●非日常としての旅: 
現代のように交通機関が発達していなかった時代において、旅は命がけの、まさに「非日常」の出来事でした。慣れない土地での出会いや、自然の厳しさ、そして時には危険も伴う旅が、人々の精神を鍛え、生きる力を養っていたことが描かれている可能性があります。旅の途中で出会う人々との交流も、限られた共同体の中での生活では得られない貴重な経験でした。

●身体感覚と五感で捉える世界: 
徒歩が主だった江戸時代の旅は、現代のように景色を「見る」だけでなく、五感をフルに使って世界を「体験する」ものでした。足で大地を踏みしめ、風を感じ、匂いを嗅ぎ、地域の音を聞き、その土地の食べ物を味わうことで、人々は自然や地域社会との一体感を深めていました。この章では、そうした身体感覚を通じた世界認識の豊かさが考察されているかもしれません。

●人生の縮図としての旅: 
旅の途中で起こる予期せぬ出来事や困難を乗り越えることは、人生そのものの縮図でもありました。人々は旅を通して、自己と向き合い、内面を深く見つめ直す機会を得ていたと考えられます。旅の終わりに故郷に戻ることで、日常の尊さを再認識するという循環も描かれているでしょう。

●近代の「旅行」との対比: 
渡辺京二は、現代の効率性や消費を重視する「観光旅行」に対し、江戸時代の「旅」が持っていた、より根源的で精神的な意味合いを対比させていると考えられます。近代以降、私たちは便利さと引き換えに、旅が持つ本来の豊かさや、非日常の体験がもたらす精神的な深みを失ったのではないか、という問いかけが込められていると推測されます。

この章は、江戸時代の人々の「旅」の姿を通して、私たち自身の旅のあり方や、現代社会が失いつつある身体感覚、精神的な豊かさを問い直す、示唆に富んだ内容であると推測されます。


9 隠されたゆたかさ 

渡辺京二著『江戸という幻景』の「9 隠されたゆたかさ」の章は、江戸時代の人々が、現代の物質的な豊かさとは異なる、精神的、共同体的、あるいは感覚的な「ゆたかさ」を享受していたことを考察する内容であると推測されます。この章は、近代化の中で見過ごされ、あるいは失われてしまった、江戸の社会や人々の暮らしの中に潜んでいた本質的な価値に焦点を当てているでしょう。
この章で描かれていると考えられる点は以下の通りです。

●物質的貧しさの中の精神的豊かさ: 
江戸時代は、現代のような大量生産・大量消費の社会ではありませんでした。しかし、限られた資源の中で工夫を凝らし、自然と共生しながら生きていく中で、人々は精神的な充足や、人間関係の豊かさを培っていました。例えば、モノを大切にする心、再利用の知恵、そして季節の移ろいを感じ取る繊細な感性などが「隠されたゆたかさ」として描かれている可能性があります。

●共同体の絆と支え合い: 
近代化によって個人主義が進む一方、江戸時代は地域や家族、あるいは家業を通じた共同体の結びつきが非常に強固でした。この章では、人々がお互いに助け合い、支え合う中で得られる安心感や連帯感が、現代社会では得がたい「ゆたかさ」であったことが示唆されているでしょう。困った時には隣人が助け、喜びは分かち合う、そうした人間関係の中に「隠されたゆたかさ」があったと考察されます。

●「足るを知る」という思想: 
江戸時代の人々は、過度な欲求に囚われず、「足るを知る」という精神を大切にしていました。これは、現代社会の終わりなき消費欲や成功へのプレッシャーとは対照的です。この章では、現状に満足し、分相応な暮らしの中で幸福を見出す思想が、人々にどのような心の平和や充実をもたらしていたかが描かれているかもしれません。

●身体感覚や五感の鋭敏さ: 
現代人が情報過多や便利さに慣れ、五感が鈍磨しがちなのに対し、江戸時代の人々は、自然の音、光、匂い、手触りといった身体感覚を通して世界をより鮮明に感じ取っていました。季節の旬の食材を味わう喜び、手仕事の温もり、自然の美しさから得られる感動など、近代以降見過ごされがちな感覚的な「ゆたかさ」が論じられている可能性があります。

●近代の価値観への問いかけ: 
渡辺京二は、本書全体を通して、近代化がもたらした進歩の裏で、私たちが何を失ったのかを問いかけています。「隠されたゆたかさ」の章は、特に現代の物質主義的、効率主義的な価値観に対して、真の豊かさとは何かを問い直し、江戸時代の人々の生き方から学ぶべき点があることを示唆していると言えるでしょう。

この章は、単に過去を懐かしむのではなく、現代社会が抱える問題の根源を探り、より人間らしく、充実した生き方を見つけるための示唆を与える内容であると推測されます。


10 ぬしが殿様じゃったや 

渡辺京二の著書『江戸という幻景』における「10 ぬしが殿様じゃったや」という章は、江戸時代における身分制度の枠を超えた人間関係や、人々の間に存在した独特の敬意と尊厳、そして近代化の中で失われてしまった関係性を考察する内容であると推測されます。このタイトル自体が、身分の差を超えた親密さや、一見すると不遜にも思えるが実は深い信頼に基づくやり取りを示唆しています。
この章で描かれていると考えられる主な点は以下の通りです。

1. 身分制度下の「人間的な絆」
江戸時代は厳格な身分制度が存在しましたが、この章では、そうした表面的な身分差を超えて育まれた、より人間的で深いつながりに焦点を当てていると考えられます。例えば、領主と領民、武士と庶民、あるいは商家の大旦那と奉公人といった関係性の中で、単なる主従関係ではない、互いへの理解や信頼、時には愛情すら感じさせるようなエピソードが描かれているかもしれません。

2. 「敬意」と「尊厳」のあり方
「ぬしが殿様じゃったや」という言葉は、本来なら絶対的な敬意を払うべき相手に対して、どこか親しみを込めて、あるいは本質を見抜くような視点から語りかけられた言葉であると解釈できます。これは、形式的な敬意だけでなく、相手の人間性そのものへの「尊厳」を認める江戸期特有の感覚があったことを示唆しているでしょう。身分が低い者であっても、人間としての「分」や「品格」が認められ、それが尊重される土壌があったと考察されます。

3. 近代化が失わせたもの
渡辺京二は本書全体を通して、近代化によって失われた価値観を問いかけています。この章も、近代以降の画一的な平等や、効率性のみを追求する社会において、身分差の中に存在したある種の人間的な温かさや、複雑で奥行きのある関係性が失われてしまったことを指摘している可能性があります。形式的な上下関係がなくなった一方で、人間関係が希薄になったり、お互いを尊重する「尊厳」の意識が薄れたりした現状に対する、著者の問題意識が込められていると言えるでしょう。

4. 「物語」にみる人情の機微
この章では、具体的な説話や逸話、あるいは日記や記録の中に残された人々のやり取りを通して、身分を超えた人間関係の機微が描かれていると考えられます。それは、現代のドラマや小説ではなかなか描ききれないような、江戸時代ならではの人情の深さや、人々が互いを思いやる心の動きを示しているでしょう。

総じて、「ぬしが殿様じゃったや」の章は、江戸時代の身分制度という枠組みの中にありながらも、人々がいかに人間的なつながりを大切にし、互いの尊厳を認め合っていたかを示すことで、現代社会における人間関係のあり方や、私たちが失ってしまった「ゆたかさ」について深く考えさせる内容であると推測されます。


11 法と裁判 

渡辺京二の『江戸という幻景』における「11 法と裁判」の章は、江戸時代の法と裁きのあり方を、現代の法制度との本質的な違いに着目して考察する内容であると推測されます。著者は、近代化によって得られた合理性や普遍性の裏で、江戸時代に存在した、より人間的で共同体的な「裁き」の精神が失われたことを示唆していると考えられます。


1. 近代法との根本的な相違点:情緒・人情の介在
現代の法は、客観性、普遍性、そして証拠に基づいた厳格な適用を旨としますが、江戸時代の法と裁判は、これとは一線を画していました。この章では、以下の点が強調されているでしょう。

●「真情」や「人情」の尊重: 
個々の事件において、当事者の心の奥底にある「真情」や、人と人との間に流れる「人情」といった、数値化できない感情が判断に大きく影響を与えました。奉行や名主といった裁定者は、単に法条を適用するだけでなく、事件の背景にある人間関係や、当事者の心情を深く汲み取ろうとしました。

●裁定者の裁量と「お慈悲」: 
現代のような厳格な三権分立はなく、裁定者の裁量権が大きく、時には「お慈悲」という形で情状酌量がなされることもありました。これは、形式的な正義よりも、個別の事情に応じた柔軟な解決や、人々の心に寄り添うことを重視した表れであると言えます。


2. 共同体の秩序と和合の重視
江戸時代の法は、個人の権利主張よりも、村や町といった共同体の和合と秩序維持に重きを置いていました。

●和解の奨励: 紛争が生じた際、公的な裁判所に訴え出る前に、まず当事者間や共同体内部での話し合いによる和解が強く促されました。これは、裁判によって共同体内の人間関係に決定的な亀裂が入ることを避けるための知恵でした。

●「公儀」の役割: 法は「公儀」(幕府や藩)の権威を示すものであり、絶対的な存在でしたが、その運用においては、民衆の生活を安定させ、平穏をもたらすという「慈悲」の側面も持ち合わせていました。


3. 刑罰と秩序回復の意味

刑罰に関しても、現代の「更生」とは異なる独自の意味合いを持っていました。

●示しと見せしめ: 刑罰は、罪を犯した個人への報いであると同時に、共同体全体への「示し」や「見せしめ」という側面が強く、共同体の規範を再確認させ、秩序を回復する役割を担っていました。


4. 現代法制への問いかけ

渡辺京二は、この章を通して、近代が獲得した普遍的で合理的な法システムが、一方で何を失わせてしまったのかを問いかけます。現代の法が、形式的な平等や厳密な手続きを追求するあまり、人間関係の複雑さや感情の機微を見落とし、あるいは共同体の絆を希薄にしてしまってはいないか。江戸時代の「法と裁判」の姿は、現代社会における「正義」や「公正」のあり方、そして人間性と社会の調和について、私たちに深く考えさせる示唆を与えていると言えるでしょう。

この章は、江戸時代の人々が法や裁きとどのように向き合い、それが彼らの倫理観や社会秩序にどのような影響を与えていたのかを考察することで、現代社会における法と正義のあり方を問い直す、示唆に富んだ内容であると推測されます。








2025年8月13日水曜日

愚かなる開戦 鈴木壮一著 Gemini要約

 

愚かなる開戦 鈴木壮一著 

Gemini要約


今年は終戦80年です。

なぜ日本は戦争したのか? がずっと気になっていました。


今年1月に発行した、愚かなる開戦 鈴木壮一著」をAI Geminiで要約してみました。

まだ情報が少ないようで、各章の要約は出てきませんでした。

全体は少し把握できましたが、依然としてなぜ開戦したのかは、曖昧としています。

一度しっかりと読んで、じっくりと自分でも考えていきたいと思っています。




愚かなる開戦 鈴木壮一著 



愚かなる開戦 鈴木壮一著

 
紀伊国屋書店 内容説明
民族と国家の存亡を背負った男の、定説と自虐史観を超えた、どの歴史家も描かなかった実像に迫る!

 
目次

第一章 西園寺公望の後継者

第二章 ワシントン体制と「憲政の常道」

第三章 共産ソ連の防波堤

第四章 憲政の常道の終焉

第五章 昭和ファシズムの発生

第六章 二・二六事件

第七章 幻の宇垣一成内閣

第八章 公爵近衛文麿の登場

第九章 包囲された日本

第十章 運命の日米交渉

第十一章 開戦は不可なり

第十二章 近衛上奏文

“寄稿”解説に代えて―風雪に耐えた近衛文書

 ☆

 
愚かなる開戦 鈴木壮一著 Gemini要約

 
鈴木壮一著『愚かなる開戦』は、太平洋戦争開戦に至るまでの日本の政治状況と意思決定過程を、特に戦前の指導者たちの視点から多角的に分析した歴史書です。著者は、単に軍部の暴走や一部の指導者の責任に帰するのではなく、西園寺公望から近衛文麿、さらには昭和天皇に至るまで、当時の主要な政治家や元老、軍人たちの判断や葛藤に焦点を当て、開戦が避けられないものとしてではなく、「愚かなる」選択の結果であったことを論じています。

本書の主な論点は以下の通りです。


 ●「憲政の常道」の終焉とファシズムへの傾斜: 

大正デモクラシー期に確立された政党政治「憲政の常道」が、いかにして崩壊し、軍部の台頭や右翼思想の浸透によって「昭和ファシズム」とでも呼ぶべき体制へと移行していったかを詳述しています。特に、ワシントン体制という国際協調の枠組みの中で、日本がどのように孤立を深めていったかが描かれます。


●指導者たちの責任と限界: 

近衛文麿をはじめとする当時の指導者たちが、国際情勢の認識、国内の統制、そして軍部の抑止において、いかに失敗し、あるいはその能力に限界があったかを指摘します。彼らが開戦を回避するための選択肢を模索しつつも、最終的にその道を閉ざされていった過程や、その判断の背景にある「空気」のようなものにも言及していると考えられます。

 
●日米交渉の失敗と開戦への道: 

太平洋戦争の直接の引き金となった日米交渉の経緯を詳細に追い、なぜ交渉が不調に終わり、開戦へと向かっていったのかを分析します。単なる外交上の駆け引きだけでなく、それぞれの国の国内事情や指導者の思惑が複雑に絡み合っていたことを示唆しています。

 
●「開戦は不可なり」という認識: 

昭和天皇が開戦に慎重であったことや、一部の穏健派が戦争を避けようと奔走したにもかかわらず、なぜ最終的に開戦の道が選ばれてしまったのかという問いに対し、当時の政治構造や集団的心理、そして個々の指導者の判断ミスが重なった結果であると結論付けていると考えられます。

 
本書は、単なる事実の羅列に終わらず、当時の指導者たちの思想や心理状態にまで踏み込むことで、なぜ日本があの戦争へと突き進んでいったのかという問いに対し、多角的で深みのある考察を提示している点が特徴です。戦後歴史学における様々な議論を踏まえつつ、新たな視点から太平洋戦争の開戦経緯を読み解く一冊と言えるでしょう。

 
■主要な論点と構成

 この本は、太平洋戦争開戦の責任を近衛文麿一人に帰するのではなく、当時の複雑な政治的背景や、軍部、皇道派、統制派といった様々な勢力間の対立と駆け引きを詳細に描き出しています。


 近衛文麿の再評価: 

著者は、近衛が単に優柔不断だったり、軍部に押し切られたりしただけではない、別の側面を持っていたと主張しています。特に、日米交渉を成功させるために尽力した点や、開戦を回避しようと最後まで努力した姿勢を強調しています。

 
「天皇の前で足を組めた唯一の男」: 

近衛文麿が権力者として特別な存在であったことが示唆されます。これにより、彼の言葉や行動が当時の政局に大きな影響を与えていたことがわかります。

 
近衛上奏文の重要性: 

近衛文麿が開戦直前に昭和天皇に提出した「近衛上奏文」は、戦争を避けるための彼の最後の努力を象徴する重要な文書として扱われています。

 
皇道派と統制派: 

著者は、皇道派(真崎甚三郎や荒木貞夫)を好意的に描き、彼らの考え方や行動がもし政権の中心にあったなら、異なる歴史が生まれた可能性を示唆しています。この点は、読者の間でも議論の的となっています。

 
開戦の責任: 

太平洋戦争の開戦は、単一の人物や出来事によって引き起こされたのではなく、多くの要因が絡み合った結果であるという見方を提示しています。著者は、近衛や東条英機、昭和天皇など、それぞれの立場で決断を下さなければならなかった人々の苦悩を描写することで、開戦に至るまでの経緯を多角的に分析しています。

 

■章立て(要約)

 
第一章「西園寺公望の後継者」:

 最後の元老である西園寺公望が、後継者選びに苦慮する様子が描かれています。この章は、近衛文麿が政界の表舞台に登場する前の、日本の政治状況を理解するための基礎となります。

 
第二章「ワシントン体制と『憲政の常道』」:

 国際協調主義と、政党政治がどのように機能していたかについて解説されます。

 
第四章「憲政の常道の終焉」: 

満州事変や五・一五事件などを経て、政党政治が力を失い、軍部の発言力が増していく過程を描きます。

 
第八章「公爵近衛文麿の登場」: 

近衛が首相に就任し、彼の政治活動が本格的に始まる様子が描かれます。

 
第十一章「開戦は不可なり」: 

太平洋戦争開戦直前の、近衛文麿と東条英機の間の対立が中心的に描かれています。近衛が和平を模索する一方、東条は「人間、たまには清水の舞台から飛び降りることも必要だ」と主張し、対立が深まる様子が描かれます。

 


■鈴木 荘一氏プロフィール 

鈴木 荘一(すずき そういち、1948年 - )は日本の作家、近代史研究家、「幕末史を見直す会」代表。東京生まれ。小学校卒業と同時に会津若松に転居し、ザベリオ学園中等部に2年間在学する(この間に歴史観の原点が育まれる)。1971年、東京大学経済学部卒業。東大卒業後は日本興業銀行へ入行。審査、産業調査、融資、資金業務などに携わる。特に企業審査、経済・産業調査に詳しい。2001年、同銀行を退職。「現在は過去の歴史の延長線上にある」との立場から、現代政治経済と歴史の融合的な研究を進めている。








2025年8月12日火曜日

写句 眩耀(げんよう)

写真家の浅井慎平氏が提唱している、「Haikugraphy」とは、写真と俳句を一つにして表現した、「写句」です。


眩耀(げんよう)

8月に詠んだ写句1句

2017/08/09に詠んだ句です。


眩耀(げんよう)

夏灼くるいま眩耀の竹の央




写句 眩耀(げんよう) 2017/08/09制作




真夏の鎌倉報国寺の「竹の庭」の竹林の央に佇むと、

何か異次元の中にいるような感覚におそわれて、ただ茫然と立ちすくんでしまいます。

大好きな竹林です。








2025年8月8日金曜日

自民党の終焉 茂木誠氏の考察

 

気に入ったYouTube記事

自民党の終焉 茂木誠氏の考察 


日本の作家、コメンテーター、予備校講師、茂木誠氏がYouTubeで、「自民党の終焉」についての考察を論じていました。

非常に面白い考察なので、書き起こして、まとめを作成して掲載します。


やはり自民党は発足時点で、すでに無理があったということですね。

そう考えると、戦後80年経っても、アメリカの従属国から抜け出せず、また憲法改正もできないことが納得いきます。自民党が分裂し、終焉を迎えることは確実ですね。


今後、茂木氏の考察通りに進むかどうか、注視していきたいと思います。

民族派思考路線の、新しい保守派の政治家が出てくることを期待しています。



作家、コメンテーター、予備校講師 茂木 誠氏

茂木 誠(もぎ まこと)は、日本の作家、コメンテーター、予備校講師。歴史系YouTuber。駿台予備学校・N予備校世界史科講師。東京都北区出身。明治大学文学部史学地理学科日本史専攻卒業。当初は考古学専攻に学ぶが、日本史専攻に専攻を変える。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。大学院では日本近世史を専攻。高等学校教員から予備校講師に転身。著書に、『経済は世界史から学べ!』(ダイヤモンド社)、『世界史を動かした思想家たちの格闘』(大和書房)、『世界史で学 べ! 地政学』(祥伝社)、『ニュースのなぜ?は世界史に学べ』シリー ズ(SB新書)、『超日本史』(KADOKAWA) 、『日本人が知るべき東アジアの地政学』(悟空出版)、『「戦争と平和」の世界史』(TAC)、『米中激突の地政学』(WAC出版)、『テレビが伝えない国際ニュースの真相』(SB新書)、『政治思想マトリックス』(PHP)、『「保守」って何?』(祥伝社)など。YouTubeもぎせかチャンネルで歴史とニュースについて発信中。



■自民党の発足について

自民党の発足は、日本社会党に対抗するために、吉田茂の自由党と、鳩山一郎の民主党が合体してできた。

そもそも、方針が違う。初めから無理があった。


自由党(吉田茂)・・対米従属路線・・アメリカの保護下で経済発展さえすればいい。

民主党(鳩山一郎)・・民族派思考路線・・アメリカのGHQ体制からの独立を図る。自主憲法の成立。自主独立。




■二つの会派が、宏池会と清和会へと引き継がれる

この二つの会派を引きついてきたのが、
宏池会の岸田文雄、清和会の安倍晋三である

対米従属路線・・親米派・・宏池会
民族派思考路線・・保守派・・清和会

■自民党内に、もう一つの第3グループができた

アメリカと距離を置く為に、もう一つのグループができた。
対中隷属路線・・親中派・・経世会、二階派

中国はアメリカと日本の投資により経済発展し、大国に成長した。


■石破政権は、この第3グループ

対中隷属路線・・親中派・・石破政権


■石破政権成立の構図

石破政権成立は、岸田宏池会と二階派が、安倍清和会を追い落とした。

日本の独立を求める勢力を、親米派と親中派がつぶしてきたと言える。
清和会つぶしを行い、あえてリベラル親中派を隠さない。
保守派の支持をわざと引き離し、わざと選挙に負け、自民党をわざと大敗させ、しかも責任を取らない。リベラルの石破グループからしたら、成功したことになる。
安倍派を一掃できたから。一種の党内クーデターである。もしくは自爆テロです。
党内の反対勢力が一掃されればいい。石破総理はきわめて理知的で策士です。
自民党はもともと無理があった。党内が分かれて当然です。

党内融和でリベラル派を登用した安倍氏は、その辺が甘かった。

結果、自民党票が他党や新党に流れた。


■今後の展開は立民と政権維持

総裁選はまた出る。もしくは衆議院解散。
総理に居座る。支えるのは自民党のリベラ派と立憲民主党です。

もし石破総理が、立憲民主党を頼って政権維持しようとした場合、自民党内の保守派は、我慢の限界だと言って自民党を出て行く。

その時初めて、自民党はきれいに割れる。

石破総理と立憲民主党の政権についていくという、本当のリベラル派と、保守派がきれいに分かれて、ここで自民党は協議離婚ができて、今までのさまざまなごたごたが全部終わる。

立民と政権維持・・結果、自民党は割れる


■リベラル自民党A、保守派自民党B

リベラル化した自民党A
保守派の自民党B

そのどちらを選ぶかは、国民が選択する。


今後の展開を注視していきたいと思います。








2025年8月6日水曜日

百歳人生を生きるヒント 五木寛之著 Gemini要約

 

百歳人生を生きるヒント 五木寛之著 

Gemini要約


以前に読んだ、「百歳人生を生きるヒント」 五木寛之著の書籍も

AI Geminiで要約をしてみました。

2018年に読んだ後に私が作成した、「要約」と「読後画像」との、まとめの違いも分かり、

非常に有意義な試みでした。

楽しかったです。


小説家・随筆家 五木 寛之氏

五木 寛之(いつき ひろゆき、1932年〈昭和7年〉9月30日 - )は、日本の小説家・随筆家。福岡県出身。旧姓は松延(まつのぶ)。日本芸術院会員。少年期に朝鮮半島から引揚げ、早稲田大学露文科中退。作詞家を経て『さらばモスクワ愚連隊』でデビュー。『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞受賞。反体制的な主人公の放浪的な生き方(デラシネ)や現代に生きる青年のニヒリズムを描いて、若者を中心に幅広い層にブームを巻き起こした。その後も『青春の門』をはじめベストセラーを多数発表。1990年代以降は『大河の一滴』など仏教、特に浄土思想に関心を寄せた著作も多い。


百歳人生を生きるヒント 五木寛之著



百歳人生を生きるヒント 五木寛之著 Gemini要約


■ はじめに

五木寛之氏の著書『百歳人生を生きるヒント』「はじめに 百歳人生の衝撃」では、これまでの「人生50年」という考え方が通用しなくなり、現代社会が未曾有の長寿時代を迎えていることによる「百歳人生」への戸惑いや衝撃について述べられています。

主な要点は以下の通りです。


長寿化への戸惑い

人類がこれまでに経験したことのない「百歳人生」が目の前に迫る中で、多くの人が喜びよりも戸惑いや不安を感じている現状が指摘されています。特に60代や70代の人々がこの長寿を素直に喜べないのは、これからの人生が確実に下り坂、つまり「下山の道のり」であることを受け入れたくないからではないかと考察されています。


新たな課題の出現

経済的な不安、身体の衰え、介護の問題など、百歳までの長い道のりをどのように歩むかという、これまでの哲学や思想では語り尽くせない重い課題が浮上していることが示唆されています。


人生後半の捉え方

この「百歳人生」を生き抜くためには、人生の折り返し地点である50歳前後から後半の道のり(下り坂)を歩む準備を始めるべきであるという提案がされています。50歳以降は、外見上はまだ上り坂のように見えても、確実に下りの傾斜になっていることを自覚し、「下り坂を歩く覚悟」を持つことの重要性が語られています。

これらの点から、「百歳人生の衝撃」とは、単に長生きすることの喜びだけでなく、それに伴う新たな困難や、人生の終盤に向かう「下りの人生」をいかに意識し、向き合っていくかという、精神的・哲学的な課題に対する衝撃であると要約できます。


■ 序章 突然、百歳人生がやってきた 

五木寛之氏の著書『百歳人生を生きるヒント』の「序章 突然、百歳人生がやってきた」では、現代社会が直面している「人生100年時代」の到来と、それに対する人々の意識の変化の必要性が語られています。

この序章の主な要点は以下の通りです。


「人生50年」という常識の崩壊

かつて「人生50年」「60歳還暦」「人生70古来稀なり」といった寿命の概念が一般的であり、それらを前提に社会の価値観やシステムが築かれてきました。しかし、21世紀に入り、医療の進歩や生活環境の変化により、寿命が飛躍的に延び、「百歳人生」が突然のように現実のものとなったことが強調されています。


意識改革の必要性

従来の「人生50年」という考え方から、人生が倍になった「人生100年」という新たな現実に対応するために、人々の意識を変えることの重要性が説かれています。この長寿化は、恐れるべきものではなく、むしろ新たな生き方を考え、備えるべき機会であると捉えられています。


人生後半の設計

著者は、人生を登山に例え、50歳までを頂上を目指して登る「上りの道」、そして50歳からを麓へ向かって下りる「下山の道」と位置づけています。この序章では、特に「人生後半の50年(50歳~100歳)」をどのように過ごすか、その準備を50歳前後から始めることの重要性が提示されています。


具体的な年代別の提案の予告

本書全体を通して、50代を「事はじめ」、60代を「再起動」、70代を「黄金期」、80代を「自分ファースト」、90代を「妄想のすすめ」と、10年ごとの区切りで人生後半の過ごし方について具体的なヒントが提示されることが示唆されています。


この序章は、私たちがいかに「突然やってきた百歳人生」という現実に直面し、従来の価値観や意識を転換して、人生の後半を能動的に、そして豊かに生きていくための心構えと準備の必要性を訴えかける内容となっています。


■ 第1章 さあ準備を始めよう 

●人生後半を豊かに生きるための心構え

五木寛之氏の著書『百歳人生を生きるヒント』の第1章「さあ準備を始めよう」では、これまでの常識を覆す「百歳人生」という新たな時代を迎え、人生の後半戦をいかに充実させるべきか、そのための心構えと具体的な準備の重要性が説かれています。この章では、人生の**「下山の道」をいかに楽しく、そして意味深く歩むか**に焦点が当てられています。


1.人生は「上り」と「下り」で構成される

著者は人生を山登りに例え、概ね50歳を境に**「上り(上昇期)」から「下り(下降期)」**へと移行すると述べています。多くの人は、人生のピークを過ぎた「下り」に対してネガティブなイメージを抱きがちですが、五木氏はむしろこの「下り」こそが、人生を深く味わい、新たな発見をするための大切な時間であると強調します。上りの人生で得た知識や経験を整理し、自分と向き合う時期として捉えることの重要性を説いています。


2. 「下り」を恐れず、むしろ楽しむ心構え

「下り」の人生は、体力の衰えや社会的な役割の変化など、避けられない現実を伴います。しかし、この章では、そうした変化を悲観するのではなく、**「下りは下りで楽しい」**という視点を持つことを提案しています。上りの人生で培った知恵や経験は、下りの人生でこそ真価を発揮するとし、焦りや無理をせず、自身のペースで穏やかに日々を過ごすことの尊さを伝えています。


3. 具体的な「準備」のすすめ

「さあ準備を始めよう」という章のタイトルが示す通り、この章では百歳人生を生き抜くための具体的な準備の必要性を訴えかけます。それは単にお金や健康といった物質的な準備だけでなく、精神的な準備、すなわち、これからの人生をどのように生きるかという「覚悟」と「計画」を持つことです。たとえば、過去の栄光にしがみつくのではなく、潔く手放すこと、新たな興味や趣味を見つけること、人間関係を見直すことなどが含まれます。


4. 人生後半を「整理」と「再構築」の時間に

この章全体を通して、人生の後半は、これまでの人生で積み重ねてきたものを整理し、自分にとって本当に大切なものを見極め、再構築していく時間であるというメッセージが込められています。余計なものを手放し、心身ともに身軽になることで、残された時間をより豊かに、そして自由に生きるための土台作りとなることが示唆されています。


この章は、単に長生きするだけでなく、その長い人生をいかに**「充実した時間」**に変えていくか、そのための第一歩として、心の準備と意識の転換を促す、まさに百歳人生を生きる上での「入門」となる部分と言えるでしょう。


■ 第2章 五十代の事はじめ 

●人生後半の羅針盤を定める時

五木寛之氏の著書『百歳人生を生きるヒント』の第2章「五十代の事はじめ」では、百歳人生の準備を始める上での「五十代」の重要性に焦点を当てています。この年代は、多くの人にとって人生の「上り坂」を終え、「下り坂」へと差し掛かる過渡期であり、これからの長い人生後半をどう生きるか、その羅針盤を定めるべき時期であると説かれています。


1. 人生の下り坂への「心構え」

五十代は、体力や健康、仕事の状況など、様々な面で変化を感じ始める時期です。この変化をネガティブに捉えるのではなく、「人生の下り坂が始まった」という現実を冷静に受け入れ、それに向けた心構えを持つことの重要性が強調されています。これまでのように上昇志向一辺倒ではなく、成熟した大人の生き方へと意識を切り替えることが求められます。


2. 「執着」を手放し「自由」を獲得する

五十代は、これまで築き上げてきたキャリアや人間関係、物質的なものなど、様々なものへの執着を手放し始める時期でもあります。五木氏は、余計なものをそぎ落とし、身軽になることで、かえって心の自由を得られると説きます。例えば、仕事における地位や名誉、あるいは煩わしい人間関係など、自分にとって本当に必要なものとそうでないものを見極め、手放す勇気を持つことが、これからの人生を豊かにする鍵となると示唆しています。


3. 新たな「興味」や「学び」への挑戦

定年後の生活や、これからの長い時間を充実させるためには、新たな興味を見つけ、学びを始めることが推奨されています。これまで仕事一筋だった人も、この時期に趣味や教養を深めることで、人生に奥行きと広がりをもたらすことができます。それは、特定の専門分野に限らず、身近なことからでも良いとされています。新たな挑戦は、脳の活性化にも繋がり、生きがいを見出すきっかけとなります。


4. 人生後半の「計画」を立てる

この章の最も重要なテーマの一つが、**「人生後半の計画を立てる」**ことです。漠然と老後を迎えるのではなく、これからの数十年間をどのように過ごしたいのか、具体的にイメージし、準備を始めることが勧められています。それは、経済的な計画だけでなく、住む場所、人間関係、日々の過ごし方など、多岐にわたるものです。計画を立てることで、漠然とした不安を解消し、前向きに百歳人生を歩む土台を築くことができます。


「五十代の事はじめ」は、単に年齢的な節目を意識するだけでなく、これからの人生を能動的に、そして主体的に創造していくための**「始まりの章」**と言えるでしょう。この時期にどれだけ意識的に行動できるかが、その後の百歳人生の質を大きく左右すると著者は語っています。


■ 第3章 六十代の再起動 

●新たな自分を生き始める時

五木寛之氏の著書『百歳人生を生きるヒント』の第3章「六十代の再起動」では、人生の「下山」を本格的に歩み始める六十代に、どのようにして新たな自分を「再起動」させ、充実した日々を送るかについて詳しく述べられています。この年代は、多くの人が定年を迎え、社会的な役割が大きく変化する時期であり、戸惑いや虚無感に陥りやすい一方で、新たな可能性を秘めていると著者は説いています。


1. 「会社」という座標軸からの解放と再構築

六十代を迎え、長年勤めた会社を離れることは、人生の大きな転機となります。これまでは「会社員」という肩書きや役割が自身のアイデンティティの一部であった人々にとって、その座標軸が失われることで、喪失感や無力感を覚えることがあります。しかし、五木氏はこれを**「会社という制約からの解放」**と捉え、自身の時間やエネルギーを真にやりたいこと、興味のあることに向けられるチャンスであると強調します。新たな自己を定義し、社会との関わり方を再構築することが求められます。


2. 「学び直し」と「教養」の深化

六十代は、これまでの知識や経験に安住するのではなく、積極的に「学び直し」を行うべき時期とされています。学生時代に興味があったこと、仕事では活かせなかった分野など、新しい知識やスキルを習得することで、脳を活性化させ、日々に新鮮な刺激をもたらします。また、単なる情報収集にとどまらず、歴史、哲学、文学といった**「教養」を深めることの重要性**も語られています。教養は、人生の深みを増し、物事を多角的に捉える力を養うことで、変化の激しい時代を生き抜くための精神的な支えとなります。


3. 人間関係の「選択と集中」

六十代になると、これまでの仕事中心の人間関係から解放され、本当に心を通わせられる友人や、新たな出会いを求める時期となります。この章では、**人間関係の「選択と集中」**を促しています。無理して付き合う関係は手放し、心から安らげる人々との交流を深めることで、精神的な豊かさを得られます。また、年齢や肩書きにとらわれず、共通の趣味や関心を持つ人々と新しいコミュニティを築くことも、人生を豊かにする「再起動」の一環として提案されています。


4. ゆるやかな「世直し」への関心

五木氏は、六十代の持つ「円熟した知恵」を社会に還元することの意義についても触れています。現役時代のような激しい活動ではなくとも、自身の経験や知識を活かし、地域社会や身近な人々のために「ゆるやかな世直し」に貢献することが、新たな生きがいとなり得ると示唆しています。それはボランティア活動であったり、若者への助言であったり、それぞれの形で社会と繋がり続けることの重要性を説いています。


「六十代の再起動」は、定年という節目を単なる「引退」ではなく、**新たな人生のステージへと踏み出す「出発点」**として捉え、自己を再定義し、知的好奇心を満たし、より豊かな人間関係を築くことで、充実した百歳人生を歩むための具体的なヒントと心構えを示しています。


■ 第4章 七十代の黄金期 

●人生の粋を極める円熟の時

五木寛之氏の著書『百歳人生を生きるヒント』の第4章「七十代の黄金期」では、七十代という年齢を、これまでの人生で培った知恵と経験が花開く「黄金期」と捉え、その豊かな過ごし方について深く考察されています。多くの人が「高齢期」と認識するこの年代を、いかにして最高の充実を味わえる時期にするか、そのための心構えと行動が語られています。


1. 人生の下山道における「頂点」

五木氏は、人生を登山に例える中で、七十代を**「下山の途上にあるものの、最も展望が開け、心地よい風が吹く地点」**と表現しています。体力的なピークは過ぎたとしても、精神的な安定と、物事を深く洞察する知恵が備わるこの時期は、まさに人生の「黄金期」にふたわしいと位置づけられます。無理をせず、自分のペースで、過去の経験を振り返りながら、感謝の気持ちを持って日々を過ごすことの重要性が説かれています。


2. 「我欲」からの解放と「無欲の幸福」

この章で特に強調されているのが、「我欲」からの解放です。現役時代には避けられなかった出世欲や物質欲、他人との比較といった煩悩から離れ、純粋な好奇心や喜びのために時間を使うことができるようになります。これにより、小さなことにも幸せを感じられる「無欲の幸福」を味わうことができるとされています。競争社会から距離を置き、心穏やかに過ごすことで、精神的な豊かさが深まります。


3. 「聞き役」としての存在感と知恵の伝承

七十代は、これまでの人生経験を活かし、周囲の人々の**「聞き役」**となることで、新たな存在意義を見出すことができます。現役世代への助言や若者との交流を通じて、自身の知恵を穏やかに伝えていくことは、社会への貢献にも繋がり、自身の生きがいにもなります。無理に教え諭すのではなく、相手の言葉に耳を傾け、共感する姿勢が大切であると説かれています。


4. 過去を「美化」し「感謝」して生きる

過ぎ去った過去に対して、良いことも悪いことも含めて**「美化」し、感謝の念を持って受け入れる**ことが、七十代を穏やかに生きる秘訣とされています。後悔や未練にとらわれるのではなく、全ての経験が今の自分を形成していると肯定的に捉えることで、心が満たされ、充実感を得られます。過去の失敗も成功も、全てが「今の自分を豊かにする糧」であると考える視点が重要です。


「七十代の黄金期」は、単なる長寿を祝うだけでなく、その年代にしか味わえない精神的な深みと自由を享受し、人生の粋を極めることの喜びを教えてくれます。それは、焦らず、比べず、感謝の気持ちを持って日々を大切に生きることで、真の「黄金」の輝きを放つことができるというメッセージが込められています。


■ 第5章 八十代の自分ファースト 

●心穏やかに、わがままに生きる極意

五木寛之氏の著書『百歳人生を生きるヒント』の第5章「八十代の自分ファースト」では、八十代という人生の最終盤を、いかに自分自身を最優先に考え、心穏やかに、そしてある意味「わがままに」生きることが大切かについて語られています。この年代は、体力的な衰えが顕著になる一方で、社会的なしがらみから完全に解放され、残された時間を自分らしく自由に生きるための貴重な時期であると示唆されています。


1. 身体の声に耳を傾け、無理をしない

八十代に入ると、誰しもが身体の衰えを実感するようになります。この章では、その現実を謙虚に受け入れ、無理をしないこと、そして何よりも「身体の声」に耳を傾けることの重要性を説いています。若い頃のようにはいかないことを認め、焦らず、自分のペースで生活を送ることが、心身の健康を保つ秘訣とされています。休息を優先し、体調を崩さないための工夫をすることが、「自分ファースト」の基本となります。


2. 人間関係は「断捨離」してシンプルに

この時期になると、人間関係も大きく変化します。五木氏は、八十代には**「人間関係の断捨離」**を推奨しています。義理やしがらみによる付き合いはできる限り減らし、本当に心から付き合いたいと思う人との交流を深めるべきだと語ります。孤独を恐れるのではなく、一人の時間を大切にし、静かに自分と向き合う時間を持つことも、この年代ならではの贅沢であると示唆されています。シンプルな人間関係は、心の平穏をもたらします。


3. 「わがまま」を許し、自分を甘やかす

「自分ファースト」とは、文字通り自分自身を一番に考える生き方です。他人の評価や期待に応えようとする必要はなく、自分が本当にしたいこと、心地よいと感じることを優先する「わがまま」を許容する時期であると述べられています。例えば、食べたいものを食べ、行きたい場所に行き、読みたい本を読む。こうしたささやかな「わがまま」を許すことが、日々の幸福感に繋がります。これは決して利己的になることではなく、自分を大切にすることで、心にゆとりが生まれ、結果として周囲にも穏やかに接することができるという思想に基づいています。


4. 過去への執着を手放し、今を生きる

八十代では、過去の栄光や後悔、あるいは未練といったものから完全に解き放たれることが求められます。過去への執着を手放し、ただ「今、ここ」を生きることに集中することの重要性が強調されています。明日のことや先のことをあまり心配せず、目の前にある小さな喜びや、日々の移ろいを感じながら、穏やかに時を過ごすこと。それが、この年代を豊かに生きるための極意であると示唆されています。


「八十代の自分ファースト」は、人生の終盤に差し掛かったからこそ可能な、究極の心の自由と穏やかな幸福を追求する生き方を提案しています。それは、身体の衰えを受け入れつつも、精神的な豊かさを失わず、自分自身を大切にすることで、静かで充実した日々を送るための指針を示しています。


■ 第6章 九十代の妄想のすすめ 

●現実を超越した自由な精神の境地へ

五木寛之氏の著書『百歳人生を生きるヒント』の第6章「九十代の妄想のすすめ」では、人生の最終段階ともいえる九十代において、いかにして精神的な自由と豊かさを保ち、現実にとらわれない「妄想」の力を活用して生きるかについて深く考察されています。この章は、身体的な衰えが避けられないこの時期だからこそ、想像力や記憶、そしてある種の「ごまかし」を積極的に活用することの意義を説いています。


1. 現実からの「解脱」と心の自由

九十代になると、身体の自由が利かなくなったり、記憶が曖昧になったりといった変化が顕著になります。しかし五木氏は、これを悲観的に捉えるのではなく、現実の制約から「解脱」し、心がより自由になる時期であると述べます。他人の目や社会の規範にとらわれることなく、自分自身の内面世界を自由に遊ぶことができる、究極の「自分ファースト」の境地がそこにはあります。


2. 「妄想」の力を積極的に活用する

この章の核心は、「妄想」をネガティブなものとして捉えず、むしろ積極的に活用することのすすめにあります。ここでいう「妄想」とは、現実離れした空想や、都合の良い記憶の改変なども含みます。例えば、若い頃の輝かしい思い出を都合良く美化したり、会いたい人に実際に会っているかのように心の中で会話したりすること。こうした「妄想」は、現実の厳しさから一時的に離れ、心を穏やかに保ち、幸福感を得るための強力なツールとなり得ると説かれています。


3. 過去と未来を自由に「編集」する

九十代では、過去の記憶も断片的になったり、曖昧になったりすることがあります。しかし、五木氏はこれを嘆くのではなく、自身の記憶を自由に「編集」することを提案します。都合の悪い出来事は忘れ、楽しかったことや嬉しかったことだけを鮮明に思い出す。また、未来に対する過度な不安を持つのではなく、漠然とした希望や夢を心の中で育むこと。このように、過去と未来を自分にとって心地よい形に「編集」することで、精神的な平穏と充実を得ることができます。


4. 精神の「遊び」を忘れない

身体が不自由になっても、精神はいつまでも自由に遊ぶことができると著者は語ります。九十代における「妄想」のすすめは、まさにこの精神の「遊び」を忘れないことの重要性を意味しています。ユーモアのセンスを失わず、ささやかな日常の中に面白みや発見を見出すこと。そして、自分自身の心の中で物語を紡ぎ、想像の世界を広げることで、どのような状況にあっても、心豊かな日々を送れるというメッセージが込められています。


「九十代の妄想のすすめ」は、人生の最終章において、身体的な限界を超え、精神的な自由を最大限に享受するための独自の哲学を示しています。現実の厳しさから一歩距離を置き、想像力と記憶、そして「妄想」の力を味方につけることで、静かで穏やかな、しかし内面は限りなく豊かな人生を全うできるという、五木寛之氏ならではの深遠な示唆が込められた章と言えるでしょう。


■ あとがき 

●結びの言葉と永遠の問いかけ

五木寛之氏の著書『百歳人生を生きるヒント』の「あとがき」では、これまでの章で語られてきた百歳人生への心構えや具体的なヒントを総括しつつ、人生の終焉、そして生きることの意味について、著者の深い洞察が述べられています。この「あとがき」は、単なるまとめではなく、読者への問いかけと、人生という旅路への示唆に満ちています。


1. 百歳人生の「終わり」を見つめる

本書全体を通して、いかに百歳まで生きるか、いかにその長い人生を豊かにするかというテーマが語られてきましたが、あとがきでは、その**「百歳人生の終わり」**、つまり死という避けられない事実にも触れられています。五木氏は、死をタブー視せず、むしろ人生の一部として受け入れることの重要性を示唆します。終わりを意識することで、限られた時間をより意味深く、大切に生きようという意識が生まれると語られています。


2. 生きることの「無常」と「感謝」

著者は、人生における**「無常」の概念に触れています。全ては移ろいゆくものであり、永遠に続くものはないという仏教的な思想が根底にあります。しかし、この無常を受け入れることで、かえって目の前にある「今」という瞬間の尊さや、出会いや別れ、経験の一つ一つへの「感謝」**の気持ちが深まることを伝えています。百歳人生を生きる中で経験するであろう多くの変化や喪失も、この「無常」の視点から捉えることで、心穏やかに受け入れられるヒントが示唆されています。


3. 「答えのない問い」と共に生きる

本書は「ヒント」を与えるものであり、明確な「答え」を提供するものではないと著者は強調します。人生には、死とは何か、幸福とは何かといった**「答えのない問い」**が常に存在し、百歳まで生きたとしても、その全てが解明されるわけではありません。しかし、この「答えのない問い」に向き合い続けることこそが、人間の知的な営みであり、人生に深みを与えるのだというメッセージが込められています。


4. 読者へのメッセージ:それぞれの「百歳人生」へ

最後に五木氏は、読者一人ひとりが、本書で得たヒントを参考にしつつも、それぞれの個性や状況に応じて、自分自身の「百歳人生」を創造していくことの重要性を語りかけます。著者の言葉はあくまで道しるべであり、最終的にどのような人生を送るかは、他ならぬ読者自身の選択と行動にかかっていると締めくくられています。


『百歳人生を生きるヒント』の「あとがき」は、本書が単なる長寿のハウツー本ではなく、人生そのものへの深い哲学と向き合う一冊であることを改めて読者に提示します。生と死、喜びと悲しみ、そして自己とは何かという根源的な問いを抱えながらも、目の前の日々を感謝と共に生きることの大切さを、静かに、しかし力強く語りかける結びの言葉となっています。


■参考に、以前に読んだ後に作成した、読後画像を掲載します。


百歳人生を生きるヒント 五木寛之著 読後画像


百歳人生を生きるヒント 五木寛之著

2024/12/24 2018/02/20読了 読後画像再作成です。


七十代の黄金期、八十代の自分ファースト期、では何をするべきか?を的確にアドバイスしてくれる本でした。

自分が本当に自由で居心地のよい小さな場所を、毎日確保することは大事ですね。

また新しいことにチャレンジすることも大事。

「神社仏閣・寺巡り」・・そこは古来、よい気が流れる、いやしろ地なのだから・・という言葉もいいですね。

本当にいい本でした。






2025年8月2日土曜日

戦い済んで日が暮れて さだまさし氏

 

私が気に入った新聞コラム

戦い済んで日が暮れて さだまさし

怪しい人物は「金」をひけらかす。外交・安保、教育問題は大丈夫か?


いつも的確な指摘です。

閲覧者数でお金が稼げるというSNSのシステムは早くやめないとダメですね。

一番大事なのは外交・安全保障・その次が教育。これが国民を護り育てる最も大切な「仕事の要」だと気づかない政党には到底国の未来なんか任せられない。

まさにその通りですね。



日本のシンガーソングライター、俳優、タレント、小説家 さだまさし氏

さだ まさし(本名:佐田 雅志〈読み同じ〉、1952年4月10日 - )は、日本のシンガーソングライター、俳優、タレント、小説家。國學院大學、東京藝術大学客員教授。フォークデュオのグレープでメジャーデビュー。「精霊流し」のヒットにより全国にその名を知られるようになった。ソロシンガーになってからも「雨やどり」「案山子」「関白宣言」「道化師のソネット」「親父の一番長い日」「北の国から〜遥かなる大地より〜」など、数々のヒット曲を生み出す。トークの軽妙さは大きな魅力とされており、それで自身のコンサートのお客を楽しませ、またテレビ・ラジオ番組のパーソナリティーやMCなどとしても活躍。小説家としても活動し、『解夏』『眉山』などの作品を発表している。




戦い済んで日が暮れて さだまさし


新聞各紙に『与党過半数割れ』の文字が躍った参議院議員選挙。これで時代が変わる、という論調は俄(にわか)に信じ難いが、でもまあ面白い選挙ではあった。

若い政党の選挙カー上のアジテートなどはロック・スターがライヴで客を煽(あお)るのと同じノリだし、聴衆も「推し活」に見えた分、危うい。怪しいカルトのような集団もあった。格好は良いが外交に内弁慶では困るぜ。

もっと新しい選挙運動があるだろうと思ったらそれがSNSだそうだ。自由に意見を発信出来ることは素晴らしいが、人のSNSをのぞいて見れば日本人の「外づらの良さと底意地の悪さ」がはきと見えて悲しくなる。

閲覧者数でお金が稼げるというシステムをとにかくすぐやめなさい。人を狂わせる。だから興味を引く嘘を平気で発信する。小嘘はすぐバレるが大嘘ならバレない。これ、陰謀論が跋扈する理由。つまり年寄りがSNSを胡散臭いと思う一番の理由は詐欺集団の手口っぽいからだ。

玉虫色の公約が怪しい。「税金下げます」はありがたいけれども、代替予算が我々にはきとは見えぬ不安。高校の無償化は素晴らしいが、そのタダの学校でどんな人物が何を教えるのかが一番大切なこと。お出になった大学は立派だけれども人間性は誠に程度が低いという人物は多い。これ、日本の教育の最も駄目なところ。

怪しい人物はとかくにお金をひけらかす。拝金主義者が多いからだ。それにひれ伏す若者の目つきは実にいやらしい。おい、もっと働け、と言いたい気分になる。税金は下げろ、体みは増やせ、賃金上げろ、労働時間は短く、嫌なら他に行く。それ、昔は利己主義と言って嫌われたぜ。好きな仕事なら続く筈だが「好き」の概念が違うらしい。

産油国以外、働かない国が栄えた例を知らない。らないか。今の日本人は自分が汗を掻く地味な仕事を、途上国からの労働力に頼るという傲慢な状況に陥っているじゃないか。なのに外国人排斥という矛盾。だったら自分で働けよ、と思う。従順なしもべには温かいが力を持つことは許さぬ。これが「外づらの良さと底意地の悪さ」の素顔。

我々国民一人ではどうにもならないことを我々の代わり「政府」に求めるのが政治。決してお金の手当だけではない筈だ。一番大事なのは外交・安全保障・その次が教育。これが国民を護り育てる最も大切な「仕事の要」だと気づかない政党には到底国の未来なんか任せられない。日暮れ間近の老人でもこの一点は譲れん。日本が好きで、この国の未来を憂えるからだ。(さだまさし)








短歌 夏兆すころ(なつきざすころ)

  短歌 夏兆すころ 2017年5月に帷子川河川沿いを歩いていた時に詠んだ1首です。 夏兆す朝の河原をゆきゆけば香にながるるはブオブオの蛙 短歌 夏兆すころ(なつきざすころ) 2017/05/24制作 ■夏兆すころ 夏が兆すころに、河原をぶらぶらと歩いていると、 牛蛙のブオブオと...