2023年3月7日火曜日

ワールド、コスモス2つの世界


最近、新聞コラムで学んだこと

ワールド、コスモス2つの世界

文芸批評家 新保祐司氏


■『渡辺氏は、自分にとって「世界」というのは2つあると言う。ワールドとコスモスである。』という指摘は、非常に興味深い内容ですね。

コスモスを深く生きることの大切さが何となくわかります。


文芸批評家 新保祐司氏

新保 祐司(しんぽ ゆうじ、1953年5月12日 - )は、日本の文芸評論家。宮城県仙台市出身。1977年東京大学文学部仏文科卒業。元都留文科大学副学長・教授。キリスト教や日本の伝統・文化に理解を示す。自らの評論を「文芸的な評論」とし、詩的な文章をつくることを主眼としている。2007年度の第8回正論新風賞を受賞。2017年度の第33回正論大賞を受賞した。


ワールド、コスモス2つの世界 文芸批評家・新保祐司

名著『逝きし世の面影』をはじめ多くの著作をのこし、昨年12月25日に92歳で亡くなった日本近代史家の渡辺京二氏は、産経新聞の「話の肖像画」に、平成30年8月14日から18日の間、5回にわたって登場されている。

渡辺京二氏が指摘した嫌悪感

その紙面で、2カ所「嫌悪・嫌悪感」という言い方をされていたところが印象に残った。一つ目は、「反国家主義には嫌悪を感じます。現代社会では、国民として国家に帰属し、現実的な利害をともにしなければ生きてゆけないし、治安や医療をはじめ、さまざまな面で国家のお世話にもなっているわけですから。また、国連に協力するために自衛隊を海外に派兵するのは当然だと思います。それを拒否するのは、エゴイズムにほかなりません」と語られているところである。

見事なまでに「エゴイズム」を脱却していた渡辺京二という人物の言葉は、「エゴイズム」から遠く離れた精神に立脚した思索なるが故に、清潔で的確なものであった。「反国家主義」は、実は「エゴイズム」から来ていると喝破したのは、それをよく表している。

もう一つは、「自分の国の悪口を言いたがるのは日本だけでなく世界中のインテリの特徴です。自国の悪口を言うことができ、『いやそうじゃない』と強弁するのではなく、自分の国の悪いところを素直に認めることができる。それ自体は大事です。ただ、海外や別の場所に進んだモデルを求めてそれと同化し、日本の悪口を言うことによって自分が偉くなったような気になったり、喜々としていたりする態度には嫌悪感を覚えます。自分の国の悪口を言うときには苦痛の念が伴うはずなのですから…」と語られているところである。

渡辺氏は、「インテリ」臭のない人物であった。在野の人であり、生活を深く生きて自分の頭で考え抜いた。氏の血の通った文章の力強さは、アカデミズムの空虚さを浮かび上がらせるものであった。氏は、最高の「独学者」だったのである。

「インテリ」跋扈する悪弊

江戸時代という「逝きし世」の次の時代、則(すなわ)ち日本の近代には、現在に至るまでこのような「インテリ」が跋扈(ばっこ)する悪弊がある。日本の近代において「海外や別の場所に進んだモデルを求めてそれと同化し」の「海外」は、戦前は西欧、戦後はアメリカであった。一言で言えば、欧米である。この欧米コンプレックスの「インテリ」が、日本という国土に住む「常民」の価値が分からずに「自分が偉くなったような気になったり」していたわけである。

欧米は、確かに学ぶべきものを多く持っていた。しかし、欧米の文明のピークは、とうに過ぎて、既に衰退から崩壊の段階に入っている。それをまだ欧米に「進んだモデルを求めて」、欧米ではこうなっているから日本でもそうしなければならないといった言説が今もなされるのは時代錯誤である。シュペングラーの『西洋の没落』が刊行されてからもう1世紀以上もたっているのだ。現実の国際政治において日本は欧米側の一員として行動することが必要だとしても、日本人の保守的立ち位置の精神的独自性を保つことを忘れてはならない。

渡辺氏は、自分にとって「世界」というのは2つあると言う。ワールドとコスモスである。ワールドは、政治と経済と文化が展開される空間である。国際政治の舞台であり、インターネットが覆っている世界である。一方、コスモスは、生身の自分を取り巻く世界であり、氏は『無名の人生』の中で「太陽や星や月や、山や森や川に取り巻かれ、風が吹き、雨が降り、住む所を同じくする人びとと交わる世界」としてのコスモスを深く生きることの大切さを語っている。

保守の精神深められる

現代人は、ワールドの世界に心奪われて生きざるを得なくなった。コスモスの世界へ精神を傾ける機会が少なくなっている。新型コロナウイルス禍は、その対処をめぐってワールドの世界がコスモスの世界に侵入してくることであった。また、ロシアによるウクライナ侵攻は、ワールドの世界の究極的な現われの一つである戦争を突きつけた。

今日、明治時代の歌人、石川啄木の「この四五年、/空を仰ぐといふことが一度もなかりき。/かうもなるものか?」という短歌の感慨がしみじみと感じられる人も多いのではないか。

グローバリズムの中で均一化して行くワールドの世界の圧迫の中にあっても、人間はコスモスの世界を豊かに維持しなければならない。渡辺氏の言葉が重さを持ったのは、コスモスの世界に深く根差していたからである。ワールドの世界を冷静に見極め対処することは言うまでもなく重要であるが、それとともに、コスモスの世界に心を致すことも忘れてはならない。そのコスモスの世界から汲(く)み上げるものによって保守の精神は深められるからである。(しんぽ ゆうじ)









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