2024年8月11日日曜日

巡りくる敗戦の日

 

最近、新聞コラムで学んだこと


巡りくる敗戦の日 

裏千家前家元・千玄室


敗戦の日、終戦の日、正しい歴史認識を伝えることは非常に大事ですね。

改めて認識させられます。



裏千家前家元 千玄室氏

千 玄室(せん げんしつ、1923年(大正12年)4月19日 - )は、茶道裏千家前家元15代汎叟宗室。斎号は鵬雲斎。若宗匠時代は宗興。現在は大宗匠・千玄室と称する。「玄室」の名は、裏千家4代目の仙叟宗室が宗室襲名前に玄室と名乗っており、これに因んで12代直叟宗室が隠居した際に玄室を名乗ったことに由来する[要出典]。本名は千 政興。京都大学大学院特任教授・大阪大学大学院客員教授として、伝統芸術研究領域における指導に当たるほか、外務省参与(2019年3月31日まで)、ユネスコ親善大使、日本・国連親善大使、日本国際連合協会会長、日本オリンピック委員会名誉委員、日本会議代表委員、日本馬術連盟会長、京都サンガF.C.取締役などを務めている。




巡りくる敗戦の日  裏千家前家元・千玄室


原爆資料館に外国人の長い列 また敗戦の日が巡りくる 


今年も8月15日が巡ってくる。終戦記念日といわれる日であるが、私にとってはいまなお敗戦記念日である。実際、サンフランシスコにおいて1951(昭和26)年9月8日にやっと日本の平和条約が締結されるまで、日本に終戦は来ていなかったのである。


終戦から79年、もはや歴史上の史実との認識しか持たぬ若者が多くなった。


アメリカで高校生に質問すると、広島や長崎に原爆を投下したことによって早く戦争が終わった、との答えが返ってくることが多い。高校生に限らず大人でも、いまだにそう公言するのには驚くしかない。


戦争体験者は戦地での体験を家族にさえ多くを語ろうとしてこなかったが、昭和、平成、令和と元号が変わり、歳を重ねるとともに戦争の記憶が薄れていくことを危惧して重い口を開き始めた。私自身も70歳近くになったころ、戦死していった仲間のことを伝えなくてはと思うようになった。


しかし、皆が高齢になり、いつまで伝え続けることができるのかと危惧していたなか、戦争体験を聞き.取り、しっかり次世代へ残そうとする大学生や高校生が活動を始めたと、いろいろなところで耳にする。本当に頼もしく感じることだ。


この5月に広島での講演の折、広島平和記念資料館(原爆資料館)の前を通りかかったが、外国の方々のグループが、長い時間がかかりそうな列に並んでまで見学しようとしていた。人間は人から話を聞くことも大切ではあるが、実際に目で見て肌で感じることによって自分のものとすることができるのである。日本人は当然として、G7サミットで各国の首脳が献花に訪れたことで話題になったからかもしれぬが、いろいろな国からの訪問者に、しっかりと原爆の恐ろしさ知ってほしいと願うものだ。


日本は島国であり、ヨーロツパやアジア大陸などのように地続きで隣国へ行けないため、他国に本土を侵略された歴史をもたない。


先の大戦のときも、本土上陸だけは阻止するためにあらゆる術が考えられていた。唯一上陸され、陸上戦をされた沖縄の皆様の犠牲を思うとき、いたたまれぬ思いに駆られる。私も最後は特別攻撃隊に編入され、鹿児島・串良の基地から沖縄戦へ出撃するはずであった。直前の待機命令で得た今の命である。何時も私は両肩に、進発していった仲間たちの思いを感じている。出ていくときに「靖国で待っているぞ」と言った声も耳奥に残っている。靖国神社参拝についてはいろいろなご意見もあろう。しかし、純粋に家族を守りたい、日本が良い国になってほしいと願って、いまなお沖縄近くの海底に眠る人々のいることを、忘れてほしくはないのである。 








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